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手紙社リスト音楽編VOL.22「堀家敬嗣と部員の『歌うスター』」

あなたの人生をきっと豊かにする手紙社リスト。22回目となる音楽編は、『あんな人がこんな歌』というテーマでお届けします! そう、本来は歌い手ではない“俳優”が歌った、あんな歌。今回も、まずは部員さんが選ぶ10曲を。その後いつものように堀家教授のテキスト、堀家教授が選ぶ10曲と続きます。え? あの人ってレコード(って言い方が古いですが笑)出してたの!? という方もいるかもしれませんね。さあ10曲にえらばらたのは!?


手紙社部員の「歌うスター」10選リスト

1.〈結婚してもいいですか〉竹下景子(1978)
 作詞/中里綴,作曲/仲村ゆうじ,編曲/馬飼野俊一

当時「お嫁さんにしたい女優No.1」と呼ばれた竹下景子さんのデビュー曲。ドラマのワンシーンのような切ないセリフと誠実に音を刻む歌声に、今聴いても心がキュンっとして、そっと肩を抱いてあげたくなります。竹下景子さんはこの年の大河ドラマ『黄金の日々』にも出演していて、主役・助左の妻となる役を演じています。この曲を締めくくる「鎌倉 黄昏 灯がともる」の歌詞に『黄金の日々』OPの沈む夕日を思い出し、助左がいるよと伝えてあげたい私です。
(KYOKO@かき氷)

2.〈愛の水中花〉松坂慶子(1979)
 作詞/五木寛之,作曲・編曲/小松原まさし

五木寛之原作のドラマ『水中花』の主題歌。子どもだったのでドラマは見ていませんでしたが、ザ・ベストテンに出て歌っていたし、「これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛」という歌詞も覚えやすかったので、大ヒットしました。銀座のクラブで働くという設定から、肩ストラップの黒いドレスで歌うイメージで、妖艶だけど上品さがあり、20代の彼女は美しかったです。
(はたの@館長)

3.〈青春の嵐(ハリケーン)〉 真田広之(1981)
 作詞・作曲/森雪之丞,編曲/大谷和夫

高校時代、どこでどう知ったのか。ずいぶんと遠い日のことで思い出せないのですが、きりっとした顔立ち、しかもアクションをこなす俳優、真田広之さんのファンになりました。同級生数人と日本武道館でのコンサートにも行きました。コンサートの内容は覚えていないのですが、茨城の田舎から上京、地下鉄大手町駅から地上に出て目の前の東京駅までの道を見知らぬ人に尋ねたことも。今思い返すと、ちょっと、いやだいぶ恥ずかしい思い出です。この〈青春の嵐(ハリケーン)〉の作詩作曲は森雪之丞さん。この曲を聴いて当時の私は「きゃー!」と目がハートだったのでしょう。最近、某銀行のコマーシャルに出演しているのを見て「あ!真田さんだ!」となつかしくなり、そしてテーマが「歌うスター」だったので、遠い青春時代の思い出の曲をリクエストしました。
(あさ)

4.〈夢芝居〉梅沢富美男(1982)
 作詞・作曲/小椋佳 ,編曲/桜庭伸幸

いまや情報番組で辛口コメンテーターとしてお馴染みですが、もともとは大衆演劇の役者さん。「下町の玉三郎」と呼ばれ、女形で歌番組に出演したのを見た時は幼心に衝撃を受けたものです。テレビで辛口コメントをしているのは「自分の本業はあくまで大衆演劇なのでいつ降板依頼が来ても構わない」という覚悟のもとにやっているとか。とはいえ歌とコメンテーターとしてのギャップが凄すぎますねえ。
(れでぃけっと)

5.〈Love Somebody〉織田 裕二 with マキシ•プリースト(1997)
 作詞/マキシ•プリースト,織田 裕二,作曲/GARDEN,編曲/松本晃彦

中学生の時、文化祭にて吹奏楽部で演奏した踊る大捜査線メドレーに入っていたなぁ…と。作品について詳しく知らないけど(申し訳ない🙏)、何となく覚えていた楽曲です。
(龍姫)

6.〈POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~〉反町隆史(1998)
 作詞/反町隆史,作曲/井上慎二郎,編曲/吉田健

「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ〜ポイズン!!」
アラフォー以上の世代にはもはや慣用句のようになっている歌詞ですが、ある日、30代前半の友達に言われた衝撃の一言。
「反町さんって歌ってたんですか?」
......どうやらアラサー以下世代には「イケオジ俳優」としてのイメージの方が大きいようで。リリースから25年、これぞジェネレーションギャップ! と驚いた出来事でした。「ビーチボーイズ」から「イケオジ」へ。ご本人の歴史と照らし合わせて聞いてみると、また新たな面白みを感じます。
(マリー)

7.〈恋のダウンロード〉yukie with Downloads(2006)
 作詞/松尾 潔,作曲/筒美京平,編曲/Maestro-T

auのCM用に結成されたユニット「仲間由紀恵withダウンローズ」の曲で、着うたフルで配信され、のちにシングル化されました。まだスマホのないガラケー時代の、楽曲を着うたフルでダウンロードしてもらうキャンペーンソング。彼女は元々歌も歌っていたし、聴きやすいポップな曲で、サビの部分は耳に残りました。ただ、ドラマ『TRICK』『ごくせん』で女優としてプレイクした後だったため、短期間とはいえ、このアイドルチックな路線は意外でインパクトがありました。男性2人を従えて歌っていましたが、菊池桃子のラ・ムーの時のような唐突な感じではなかったかな。
(はたの@館長)

8.〈チート〉THE XXXXXX(2019)
 作詞・作曲・編曲/THE XXXXXX

独特の存在感と渋い歌声でミュージカルでも注目されていた山田孝之さん、バンドマン経験者でギターの腕前も高い綾野剛さん、TVや舞台で活躍しシンセサイザーを使いこなす内田朝陽さんによって2012年に結成され、主に2018年〜2019年に活動していたスリーピースバンド「THE XXXXXX(ザ シックス)」のアルバム収録曲。作詞・作曲・編曲すべて3人でこなし、ロックやクラブミュージックなどをベースにした楽曲のクオリティの高さ、そして詩的・映画的な歌詞も話題になりました。〈チート〉はサビがなぜか食品添加物の名前という奇抜な曲ですが、山田さんのイケボに乗せると叙情的に感じるのが不思議! 個人的には、短い活動期間の中で唯一のワンマンライブに行けたのが最高の思い出です。
(マリー)

9.〈カエルノウタ〉森 七菜(2020)
 作詞/岩井俊二,作曲・編曲/小林 武史

「歌うスター」ということで、瑞々しさと共に頭に浮かんだのは、女優・森七菜さんの歌手デビュー曲であり、岩井俊二監督映画『ラストレター』の主題歌〈カエルノウタ〉でした。完璧な姉の後ろで目立たない妹役と、妹の娘役の二役を演じた彼女は、姉/姉の娘役・広瀬すずさんの、完成形の美しさとは対照的に、2020年当時「まだ何者でもない感じ」が素敵で、ミュージックビデオの、カエルというよりは、手と足が生えたオタマジャクシのようなものが浮遊している中を歌う様子もまた、それを象徴しているような感じがします。改めて歌詞を読んでみると、イソップ童話の1つ(恐らく無邪気にカエルを殺す少年たちと、抗議する1匹のカエルの話)がモチーフになっているとのことですが、映画と同じくすれ違いの往復書簡のようでもあり、痛切な片想いの歌になっていて、そういう意味でも好きな曲です。
(ゆめ)

10.〈青春の続き〉高畑充希(2022)
 作詞・作曲・編曲/椎名 林檎

〈青春の続き〉は、高畑充希さんの主演舞台のために椎名林檎さんが書き下ろしたテーマ曲。「私の愛する充希氏の魅力を満ち満ちと詰め込もうとし、やっとでジッパーを閉められたものの破裂しそうになっているリモワ(スーツケース)みたくなっちゃった」という林檎さんのコメントのように、充希さんの魅力と林檎さんの充希さんへの愛がたっぷり詰まっています。ダイナミックに変化する曲の展開にはぜひ注目してください。物語が始まるような可愛らしい歌い出しから、大人っぽく気怠く歌ってみたり…。充希さんの表現力にどんどん惹き込まれていきます。力強く歌い上げるクライマックスの直後、静かに歌いきるエンディングも圧巻です。ジャケット写真の衣装もとっても素敵なんですよ。ベビー服や学生服など、舞台の主人公の生きる時代のさまざまな要素が詰め込まれたデザインになっています。随所にこだわりがキラッと光る1曲、ぜひ聴いてみてください。
(ひーちゃん)


唄う!銀幕/ブラウン管のスターたち

映画が発する音声
そもそも映画は、1895年に誕生した当初は、基本的には固有の音声を発していませんでした。1927年にはじめて映像に同期して音声が再生されるトーキー映画が公開されるまで、そこにあった音声といえば、映写機がフィルムを回転させる雑音や観客のざわめきといった騒音、あるいは気の利いた映画館なら銀幕上の映像にあわせて提供される生演奏の音楽、とりわけ日本の場合には、登場人物の台詞や物語の筋を講談のごとく説いてみせる活弁士の口伝の類いばかりで、それらは当の上映の機会限りで成立し、その都度かたちを変える、いわば事故のような、したがって再現性のない響きでした。

ところが、トーキー映画の完成以来、それを再生する装置の導入された映画館ならどこであれ、ある映像に関連づけられた特定の音声をいつでも同じ具合いに響かせることができるようになります。銀幕上の登場人物がその右の掌と左の掌を衝突させた瞬間に彼の拍手の音が聞こえ、また彼が椅子から立ちあがった瞬間にその足もとの床の軋む音がする。ドアの閉まる音にしても、彼がドアを閉める所作の完遂された瞬間に、遅延なく観客の鼓膜に届くこと。私たちの普段の生活において当然のこととしてその視覚と聴覚に出来する統覚的な世界のありようを、ここでようやく映画は近似的に模倣することに成功したのです。

映像と音声との同期。これが、トーキー映画が実現した新しさにほかなりません。なんらかの音が聞こえ、その音源と思しきなにがしかを銀幕上に視認できるならば、私たち観客は、この音をそれが発したものと因果づけ、そのように理解するのです。視覚と聴覚とを統合してひとつの出来事を捕捉すること、もしくはそれを、ひとつの出来事として捕捉すること。映像と音声との同期は、こうして映画の表現をめぐる次元を刷新し、その空間と時間とを拡張しました。

もちろん、実際には映像が音声を発するわけではなく、音が聞こえた瞬間に、私たち観客がその所在を銀幕上に定位するのであって、たとえトーキー映画であっても、その音源のかたちがすべて映像として銀幕上に同期的に提示されるところでは必ずしもありません。

たとえば、ある音声について、観客に可視性を担保する銀幕の外側で、しかしこの可視的な空間の延長で地つづきに想定される隣接的な領域への定位を映像やその連鎖が促すならば、それは単に可視性のフレームの外側から内側へと浸透してきた音声なのでしょう。加えて、アンダースコアと称されるいわゆる背景音楽や、あるいは音として響くことのない胸中の独白を含むいわゆるオフの声など、登場人物が所在する空間や時間とは別の位相で実現される音声もまた、映像と音声との同期を前提に成立する表現です。

オペレッタ映画
いずれにしても、そこには映像と、それと同期的に接合された音声そのものが屹立します。そしてこの観点において、最初のトーキー映画が『ジャズ・シンガー』だったことはいかにも示唆的です。

本来はもっぱら映像のみをもって、それでもなお表現しきれない概念的な説明は文字の力能を借りて、映画は、音声を獲得するまでもなく物語を展開するすべを洗練させてきました。だからこそ、いまさら音声を獲得したところで、これは映画の発生にあたって不足していた、その表現に必須の構成要素をようやく入手したものと歓迎されたことを意味せず、それゆえ物語を綴る装置として未熟だったわけではけっしてない映画にとって、むしろその手にもてあます余剰として疎まれかねない事態だったのです。

それでもなお、音声を獲得しないことには映画がどうしても表象できなかったものがありました。音、声、すなわち聴覚的な響きそれ自体です。最初のトーキー映画の題材として、当代に流行のさなかにあったジャズの歌い手が主人公に設定されたことは、したがってなんら疑念を呈する余地のない必然だったといえます。登場人物に歌を唄わせること。彼の歌を、その歌声を観客に聴かせること。観客の鼓膜に向けて、聴覚的な響きそのものを直接的に提示すること。

このとき、映画の観客は、まぎれもなくアル・ジョンソンの聴衆となりました。事実、日本でも、日活と提携して映画の音声システムの研究開発を試みていたP.C.L.が、日活から提携を解消され自ら映画の製作に着手した最初の公開作品を『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1932)としています。

とはいえ、映画のトーキー化は、視覚的な魅力を誇示してきた銀幕のスターたちに対して、それまで問われることのなかった悪声や訛り、台詞まわしの不細工さといった演技上の諸問題への対応を強いるものとなり、これらが映画の出演者を淘汰する契機ともなります。まして彼らに歌唱を期待することは酷であって、そうして到来したトーキー時代の初期に重宝されたのは、あらかじめ歌を唄えて芝居もできる舞台の演者でした。

当時の日本では、たとえば浅草オペラで人気を博した榎本健一などがこれに相当するでしょう。ほどなく東宝となるP.C.L.製作によりエノケン一座の総出演が謳われた『エノケンの青春酔虎傳』(1934)では、“エノケン”の役名で榎本健一が出演しているほか、二村定一も“二村”の役柄を配され、ともに大学生の体裁で、冒頭のシークェンスから女声合唱隊をしたがえて歌声を響かせています。彼女たちの扱いにバズビー・バークレー風の演出を認められなくもないこの映画作品では、榎本や二村の芝居も存分に堪能できます。

二村定一は、日本で最初のジャズ・ソングのヒット曲とされる〈あほ空〉(1928)を発表していますが、この楽曲については榎本健一が吹き込んだ版もよく知られるところです。

主題歌
〈ダイナ〉(1934)を歌唱したディック・ミネは、所属していた帝国蓄音機との提携で日活が製作したオペレッタ映画『鴛鴦歌合戰』(1939)に骨董を買いあさる若い殿さまの配役で出演し、その全能感を高らかに唄うなか、彼が誇る審美眼はたちまち町娘に奪われてしまいます。ここで音楽を担当している大久保徳二郎は、ディック・ミネによって〈或る雨の午後〉(1939)や〈上海ブルース〉(1939)の作曲家として起用され、そうした経緯のもとこの映画作品に関わることになったもので、戦後の〈夜霧のブルース〉(1947)もまた彼が提供しています。

女優の歌声としては、1914年の芸術座の舞台『復活』で、島村抱月の作詞と中山晋平の作曲により松井須磨子が劇中歌として歌唱した〈カチューシャの唄〉が、無伴奏のまま〈復活唱歌〉(1914)としてレコードに録音されています。

これや彼女の〈ゴンドラの唄〉(1915)のあたりを嚆矢に、映画では、1939年に松竹の製作で万城目正と仁木他喜雄が音楽を担当した『純情二重奏』で、主演の高峰三枝子が万城目による主題歌を歌唱し、これも〈純情二重奏〉(1939)として発売されます。ここには淡谷のり子や中野忠晴、彼のリズム・ボーイズの姿もみえます。その翌年に東宝が製作した『支那の夜』では、満州映画協会のスターだった李香蘭が服部良一による旋律で歌声を聴かせています。この楽曲の音盤は、渡辺はま子と霧島昇の歌唱で〈蘇州夜曲〉(1940)として吹き込まれました。

日本の戦後の大衆歌謡は、やはり万城目正と仁木他喜雄の音楽による松竹作品『そよかぜ』に主演した並木路子らによって披露され、彼女と霧島昇とが録音した〈リンゴの唄〉(1945)から幕を開けます。なお、この映画の脚本家である岩沢庸徳の子息に、のちにブレッド&バターを結成する幸矢と二弓の兄弟がいます。

こうした、あらかじめ主題歌を謳う楽曲をレコード化し、映画作品の公開それ以前からラジオなど他のメディアで露出させて宣伝効果を狙う話題づくりの戦略、そしてこれが功を奏したあかつきには映画作品もレコードも相乗的にヒットすることをももくろむ、いわゆる“タイアップ”の手法、その最初は、溝口健二が日活で監督した『東京行進曲』の主題歌たる〈東京行進曲〉(1929)とされます。ただしこの映画作品それ自身は無音です。佐藤千夜子の歌声で実現された中山晋平による主題歌は、そこでは単に西條八十がものした歌詞の文句が冒頭で字幕として掲げられるのみで、また佐藤の出番もありません。

他方で、〈東京ブギウギ〉(1948)などは、まずは舞台公演で、さらに服部良一が音楽を担当した東宝の『春の饗宴』の劇中歌として笠置シヅ子が披露したのち、音盤が発売されています。

唄う役者/演じる歌手
『踊る龍宮城』への出演とその主題歌〈河童ブギウギ〉(1949)を吹き込んだ当時11歳の美空ひばりの評判に乗じて、翌年には松竹は彼女を主演に迎えて『悲しき口笛』を製作します。その主題歌〈悲しき口笛〉(1949)を皮切りに、〈東京キッド〉(1950)から〈あの丘越えて〉(1951)、〈リンゴ園の少女〉(1952)まで、彼女の歌声のもと映画作品と同題のレコードが主題歌として発売され、彼女がスターの座を揺るぎないものとしていく基礎となります。

映画作品の主演俳優に主題歌を歌唱させる“タイアップ”の域を超過し、もはや映画に出演する役者活動の付帯的な業務としてではなく、ほとんどそれと遜色ない比重で楽曲を歌唱し、レコードに吹き込む歌手活動を尊重したのは、石原裕次郎の登場以降、プロデューサー・システムからスター・システムへと路線を転換した戦後日活の仕業でしょう。

とりわけ小林旭については、甲高い声質と抜けるような発声が聴くものの鼓膜に強く印象づけられるものの、なによりそれも彼の確かな歌唱力があってのことです。そのうえで、彼は歌唱力に溺れることなく、きわめて挑発的な楽曲を発表しつづけます。映画作品との紐帯を緩め、もしくはその出演者としての立場から遊離し、ひとりの卓抜した歌謡曲の歌手として小林旭は唄うのです。

演じるスターであるとともに、唄うスターであること。〈さすらい〉(1960)、〈北帰行〉(1961)、〈昔の名前で出ています〉(1975)はいうまでもなく、〈ダイナマイトが百五十屯〉(1958)、〈アキラでツイスト〉(1962)、〈アキラでボサ・ノバ〉(1963)、〈宇宙旅行の渡り鳥〉(1964)、 さらに〈自動車ショー歌〉(1964)や〈ホラ吹きマドロス〉(1964)、〈スキー小唄〉(1964)、そしてもちろん〈赤いトラクター〉(1979)から〈熱き心に〉(1985)まで、その世界観と音楽性の多彩さは驚くばかりです。

やがて映像メディアの中心が映画の銀幕からテレビのブラウン管へと移行していくなか、娯楽を提供する媒体はいよいよ複合的に多様化していきます。こうした情報社会の到来に積極的に与し、従来の“タイアップ”の手法を援用してテレビを含めさまざまな媒体に相乗効果を波及させる仕方で、1970年代後半のほとんど死に体にあった映画興行のありように変革がもたらされます。

角川映画の功績は、テレビを映画の対立関係に設定するのではなく、それを含め書籍や雑誌、ラジオやレコード、広告やスターの存在性に至るまで、可能な媒体のすべての統合を試み、その核心に総合的な表現メディアとしての映画を措定したことにあります。いわばメディアミックス的なこの着想は、のちにデジタル技術をもって滑らかに実現されることになるものです。しかしながら、その端緒については、映像が音声をあてがわれ、視覚と聴覚とによる統覚的な空間と時間の表現に映画が着手したその瞬間にあったわけです。

堀家教授による、私の「歌うスター」10選リスト

1.〈宇宙旅行の渡り鳥〉小林旭(1964)
 作詞/水島哲,作曲/叶弦大,編曲/重松岩雄

日活映画『ギター抱えたひとり旅』挿入歌。
すでにガガーリンが宇宙旅行を実現し、NASAによるアポロ計画が月への有人飛行に向けて進捗するなか、ギターを抱えて日本を放浪していた小林旭もまたそうした時勢にあやかって「ちっちゃな地球に住みあき」、「恋も名誉も 義理も人情も」あっさりと歯切れよく「みんなバーイバイ」してしまう壮大な楽曲。ロケットの飛行のさまを表現したものか「バーバババーバービュー」なる擬音にまみれ、「ツートト ツートト トツート ツートト」となにごとか交信してはいるものの、あくまでそれは「気楽」な「ひとり旅」である。編曲の根本ではエレキサウンドの台頭を踏まえた最先端の響きこそ聞こえるが、これに動揺する気配も迎合する姿勢も微塵もみせず炸裂するアキラ節。ほかでもないジ・アストロノーツをしたがえてザ・ヴェンチャーズが再来日を果たし、日本でブレイクするのは、この楽曲の発表の数ヶ月後のことである。 

2.〈浜辺で逢えるさ〉渡哲也(1967)
 作詞・作曲/奥村英夫,編曲/清水路雄

日活映画『錆びたペンダント』主題歌。
石原裕次郎譲りのムード歌謡から『わが命の唄 艶歌』を背負った宿痾か次第に演歌調を色濃くしていく渡哲也が、爽やかなキャンパス・フォークを歌った楽曲。1拍3連のリズムや、間奏で歌唱者によって台詞が語られるあたり、東宝の若大将こと加山雄三による〈君といつまでも〉の大成功にあやかったものだろうが、曲や歌唱の調子としてはむしろ、渡のものが発表された1年ほどのちに発売されるザ・リガニーズの〈海は恋してる〉に近い。

3.〈夜に賭ける〉天知茂(1968)
 作詞/天知茂,作曲/丸山明宏,編曲/伊達政男

日本テレビ/大映テレビ『夜の主役』主題歌。
天知茂自身が作詞を担当しているうえ、美輪明宏こと丸山明宏が作曲に採用されている事実に驚きつつ、この時期に早くもボッサ・ノヴァのリズムを導入した編曲が実現する「夜」のムードに痺れずにいられない。なお、『夜の主役』の前番組だった『ローンウルフ 一匹狼』の主題歌となる〈ローンウルフ 一匹狼〉では、やはり主演の天知が山下毅雄の作曲による難しい5拍子の旋律に挑戦している。抑揚ある節回しで台詞を語るその延長線上で歌唱をこなしているようなこちらも必聴。

4.〈サニー〉勝新太郎(1970)
 作詞・作曲/Bobby Hebb,日本語詞/曽根幸明,編曲/池田孝

《勝新太郎夜を歌う》に収録。ボビー・ヘブによる世界的なヒット曲のカヴァー。R&Bのこの傑作からテンポを大きく緩め、しかしそのソウルは損なわない巧妙な演奏をしたがえて勝の喉が震わせる声の深み、漂う魅惑のラウンジ感。歌手を、スターを、そしてどこまでも勝新太郎を演じきった役者の鑑が発する存在性に溺れる。 

5.〈シンボルロック〉梅宮辰夫(1970)
 作詞/志賀大介,作曲・編曲/藤本卓也

東映映画『夜遊びの帝王』主題歌。
和田アキ子による〈どしゃぶりの雨の中で〉の系列に連なるファンキーなリズムのもと、作曲および編曲の藤本卓也は歌謡曲の夜の裏街道を爆進する。不良番長こと梅宮辰夫の夜の帝王ぶりをも追い越すその怪しさ、いかがわしさ、胡散臭さに追従するものはいまなお現われない。だがはたして、「シンボルちゃん」とはなにか。

6.〈銭ゲバ行進曲〉唐十郎(1970)
 作詞/奥田喜久丸,作曲/浜口庫之助,編曲/松本浩

東宝映画『銭ゲバ』主題歌。
ジョージ秋山による漫画作品を原作に映画化された、状況劇場の唐十郎による主演作品にあって、浜口庫之助の協力をえたこの楽曲もまた、和田アキ子による〈どしゃぶりの雨の中で〉の系列に連なるファンキーなリズムを維持している。ただしその行方は予定調和的で、破綻するところがない。アンダーグラウンドで名を馳せた演劇人の破天荒さをそうしてまんまと丸め込むもの、それは、まさしく社風や作風として謳われる東宝という映画会社の、ひいては小林一三以来の阪急電鉄という企業の風土であろう。

7.〈ぼくの一番長い日〉草刈正雄(1973)
 作詞/阿久悠,作曲/森田公一,編曲/馬飼野俊一

いかにも清潔な甘い二枚目として売り出された草刈正雄のために、清々しい旋律を書かせればこの作曲家の右に出るものはいないだろう森田公一によって作曲された楽曲は、彼の長身からは想像しがたい草刈の意外なまでの高音の張りを強く印象づけるべく、〈霧の摩周湖〉の布施明を思わせる、伸ばした母音をいったん区切ってしゃくりあげる歌唱法をサビで提示する。沢田研二とも西城秀樹とも重なるような彼の歌唱は、のちにファンクなども積極的に導入した最初のアルバムを吹き込みはしたものの、さらに“シティ・ポップス”路線へと帆を向けるなか、次第に平凡化していく。なお、前川清とクール・ファイブによる〈長崎は今日も雨だった〉と加山雄三による〈君といつまでも〉のあいだを彷徨し、どっち着かずのままここで宙吊りにされたイントロは、草刈が東宝映画で加山の若大将シリーズを引き継ぐことでようやく決着する。

8.〈死ね死ねブルース〉愛川欽也(1975)
 作詞/奥山 恍伸,作曲・編曲/高田弘

《欽也一夜物語 泣く泣くかぐや姫》に収録。ヴィターリー・カネフスキー監督による映画作品『動くな、死ね、甦れ!』をも想起させつつ、連呼される「死ね」の一語がこれほど「生きろ」の反語として強く響く楽曲をほかに知らない。ソウル調をまとった左とん平による〈とん平のヘイ・ユウ ブルース〉の一方で、こちらはファンク調をまとってともに和製ブルースの所在地を刷新する、キンキン渾身の傑作。

9.〈いかすぜ!この恋〉西田敏行(1980)
 作詞・作曲・編曲/大滝詠一

《風に抱かれて》に収録。〈いかすぜ!この恋〉の題名のもと、すでに最初のアルバム盤《大瀧詠一》の最終曲として、エルヴィス・プレスリーの数多の楽曲名を歌詞に綴り込んで発表されていた〈いかすぜ!この恋〉をリメイクするかたちで、大瀧詠一がNIAGARA FALLIN’ STARS名義で発売した《LET’S ONDO AGAIN》のために吹き込まれた〈烏賊酢是!此乃鯉〉を、俳優として上昇機運にあった西田敏行がさらにカヴァー。この当時の大瀧のエルヴィスへの愛着は、自身によるシングル・カット盤でジャケットのデザインにわたるまで詳らかにパロディ化されているが、同じくエルヴィスへの憧憬を示す西田の版では、再びこれを〈いかすぜ!この恋〉と称し、いくぶんかこの俳優の生真面目な側面を示唆してみせる。プロデュースも大瀧が担当し、冒頭の台詞の背景を彩るコーラス・ワークにザ・キングトーンズを迎えている。

10.〈君はトロピカル〉中井貴一(1984)
 作詞/安井かずみ,作曲/加藤和彦,編曲/奥慶一

小津安二郎に命名された中井貴一は、松竹の二枚目俳優だった父の佐田啓二を幼くして自動車事故で亡くし、またのちに大学在学中に東宝作品で俳優デビューを飾るあたり、上原謙の息子である加山雄三と似た出自を有している。しかし彼のようには中井が音楽に惹かれていたわけではないことは、そのディスコグラフィをたどれば容易に把握できる。そうしたなか、シングル盤のB面に収まっているこの楽曲は、そのA面の〈二人だけのラブコール〉ともども安井かずみと加藤和彦の夫婦コンビによる詞曲であるとはいえ、その聴きどころはただひとつ。ジャケット裏面の歌詞カードでは「oh oh, oh oh,…」と表記されるフレーズが、誰の指示か発想か、なぜか“わっはぁ〜ぉん”と喘ぐように歌唱されている点に尽きる。

番外.〈マツケンサンバⅡ〉松平健(2004)
 作詞/吉峯 暁子,作曲・編曲/宮川 彬良

マキノ正博監督による戦前の日活オペレッタ映画『鴛鴦歌合戦』でディック・ミネが演じた殿さまの末裔か、それともその落胤か。暴れん坊将軍のこれほどまでに向こうみずで無自覚な暴れっぷりは、まさに役者の本懐だろう。勝新太郎をその師匠格とする事実にわだかまりを禁じえない堂々たる衒いのなさゆえに番外とした。




文:堀家敬嗣(山口大学国際総合科学部教授)
興味の中心は「湘南」。大学入学のため上京し、のちの手紙社社長と出会って35年。そのころから転々と「湘南」各地に居住。職に就き、いったん「湘南」を離れるも、なぜか手紙社設立と機を合わせるように、再び「湘南」に。以後、時代をさきどる二拠点生活に突入。いつもイメージの正体について思案中。

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