おもちゃ箱いっぱいのガラクタ。

最近のテレビの特集って大体が時短家事とか便利グッズとかばっかでつまんないな〜と思いつつ、結構ちゃんと見て最終的にこれのどこが時短なんだよって悪口言ってる自分がいる。テレビではそんなのばっかりやってるのに、SNSではキラキラ女子やおしゃれママの丁寧な暮らしぶりの記事がわんさか出てくる。
きっとモノトーンやら流行りのニュアンスカラーなどで統一されたお部屋に、ひとつひとつキレイにラベリングしたおしゃれなボトルに洗剤やシャンプーを詰め替えているんだろう。全然出来る気がしない。
詰め替え用にキャップがついていて自立してくれればそのまま使うし、むしろ商品の良さよりもそこをプライオリティにおいて買うくらいだ。柔軟剤は常に大容量のキャップ付きしか買わない。
ゴミ箱は見たくないので自分の見えない所に置いておいて、ゴミが出たらわざわざそこまで捨てに行くんです、とテレビで橋本環奈が言っていた。ありえない。
私は必ず自分の手の届く位置にゴミ箱を移動させて、鼻をかんだティッシュやお菓子のゴミをすぐに捨てられるようにしている。もうゴミ箱を腰巾着にしたいくらいだ。
皿を出すのも洗うのもしまうのも面倒なので、自分ひとりならパンを焼いたらアルミホイルに乗せたまま食べるし、納豆だったらパックにご飯を入れて納豆ご飯にする。掃除は気が向いたときだけだけど、よしやるか。と思ったときにはなかなか荒れ果ててる部屋の中でなぜか引き出しの整理から始めたくなる。丁寧とは程遠すぎてむしろ清々しい気持ちだ。
仕事が休みの日にまとめて片付けだけはして部屋をリセットするよう心がけているのだが、確かに思いっきり片付けて整頓された部屋はとても心地いいものだ。丁寧な暮らしをする人たちは毎日こんな気持ちなのかなと思うと純粋に羨ましい。普段から整理整頓された部屋で暮らす人は自ずと身だしなみや姿勢も美しくなるんだろうと勝手に想像している。いや〜できない。少なくとも今は。
まず娘のものが自分のものよりはるかに多い。私からすればどれもこれもがガラクタに見えるのだが、捨てていい?と聞くと必ずダメと言う。
なにかで子どもと一緒に確認しながら片付けるのが良いと聞いた記憶があったので、意を決して部屋中にガラクタを広げて、いるものといらないものを分けようと始めた。
本人すら知らない2次元キャラクターのキーホルダーを見せてこれいらんよな?と聞くと、これはばあちゃんとゲームセンターに行ったときに取ったやつだからいる。と言われ、じゃあこっちは?と別のおもちゃを見せれば○○ちゃんちに行ったときに貰ったやつだからいる。と言う。それからはおもちゃごとに娘の記憶しているエピソードをただただ聞くだけの時間になり全く片付けが進まなかった。
せっせと集めていたパンパンの箱の中のおもちゃは娘にとっては全然ガラクタじゃなくて、友達との思い出や家族との思い出が詰まった大切なものだった。結局片付け作戦はボロ負けを期し、今よりもっとデカイおもちゃ箱を買って終了した。
成長すればこのパンパンのおもちゃ箱もどんどんなくなっていって、自分の趣味のものや服などに変わっていくんだよな〜と思うと、このおもちゃいるの?ここ置いとくんなら捨てるぞ!って言わなくなるのもあと数年なのかもしれないと気付いた。
まったく片付かない我が家だけど、色んなものを片付けすぎて思い出まで捨てるのは良くないよな。って娘を通して今のズボラな自分を肯定できた。ありがとう娘。そのままの君で居続けていてほしい。いつしか逆の立場にならないように、母も服とスニーカーばっかり買うのは控える努力するね。無理かも、許してね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?