おじいちゃんが大好きだ。

先日おじいちゃんが亡くなった。娘にとってはひいおじいちゃんにあたり生まれて初めての死に直面した娘は大号泣だった。
娘が生まれたときに私の父と母は絶対にじじばばとは呼ばせないからと謎の主張をしてきて、娘には名前呼びを強要していたので、娘にとってのおじいちゃんおばあちゃんは、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんだ。
おじいちゃん死んじゃったってと報告すると、えっ..と目から涙がポロポロ。実家は二世帯住宅で帰ったときにはおじいちゃんの部屋に行ってボールやお人形で遊んでもらったりしていた。それを思い出して寂しくなったのだろう。
思えば私も娘くらいの年齢のときにおばあちゃんが亡くなって、これでもかと泣いたことがあった。病気が良くないおばあちゃんの病室まで行って、お話も出来ない状態のおばあちゃんに繋がっている点滴に遠足のお土産だったかのお守りをかけて泣きながら帰り、外に出てからもしばらく泣いてもう絶対死んじゃうんじゃんって母に当たったことを今の娘の姿を見てふと思い出した。
今まで当たり前にいると思っていた人が居なくなってしまう感覚って子どもからしたら理解しきれない感情だろう。死んだらどこにいくの?ママも死んじゃうの?天国にいくの?と普段の何気ない会話の中で死について話すだけで想像して泣いちゃう娘だ。本当に身近な人がいなくなってしまって感情が抑えられないんだろう。娘の気持ちがヒシヒシと伝わってそばで見ていて胸が苦しくなる。
おじいちゃんが眠ってる箱の中に好きなものとかお手紙を入れてあげれば天国まで持っていってくれるよと母との電話で教えてもらった娘は、電話を切るなり早速レターセットを引っ張り出して手紙を書き始めた。
書き始めて数秒でまたワンワン泣いている。手紙が涙でぐちゃぐちゃになるんじゃないかと思うくらい歯を食いしばりながらうわーんと泣いている。
おじいちゃんの分まで頑張って生きるぅ〜!と言う娘に、大丈夫だよ十分毎日頑張ってるからおじいちゃんも天国から見守ってくれてるよと励ます。
しばらくして手紙が完成したので読み進めていく。うん、誤字脱字がえげつない。そしてほぼひらがなだ。こんなときに書いたものだからそのままでもいいかと思っていたところ、秀才だった母が読んで一言「誤字脱字やばいなこれ直しな。」と、どストレート指摘を娘にかましている。可哀想だろと思いつつ爆笑してしまった。さすが私の母だ。自分の父が亡くなって孫が一生懸命書いた手紙の内容を冷静に指摘するやつ世の中であなたくらいだと思う。なぜか言われた娘も泣き止んでヘラヘラしている。
無事にきちんとしたお手紙を書き直して満足げな娘を連れてお通夜へ向かった。棺桶に入れる前に身体を綺麗にしてお支度をするところから参加した。こんな小ちゃかったっけじいちゃんと思いながら号泣だ。ようやく亡くなったことを実感して私も娘も悲しみに浸る。
初めて最初から立ち会ったがそれにしても支度が多いんだな。足袋に藁の帽子にスネ当てみたいなのに杖に三途の川渡る為に必要な硬貨などなど、こんな大荷物持って天国行かないといけないのかじいちゃん。1度もしたことないであろう化粧までさせられてな。最後まで大変だな。途中から葬式自体に興味が湧いている自分がいる。二重人格なのかと思う。
みんな久々に会う親戚だったので思い出話をしながら近況報告をしたりして式が進んでいく。1日目は無事に終わり2日目の告別式は納骨まで参加した。
おじいちゃんどこ行ったの?と骨になったおじいちゃんをまだ理解出来ていない模様。眉毛をハの字にして困っている。まだ分からなくていい、2日間よく頑張ったな娘。
小さかった私がおばあちゃんのお葬式を鮮明に覚えていたように、娘も大好きだったおじいちゃんのお葬式はずっと忘れられないものになるのだろう。
棺桶の蓋を閉じる前にたくさんのお花を手向け、一生懸命手紙を読む娘の姿はずっと忘れない。泣きながらもちゃんと最後までお見送りした娘はとても立派だった。おじいちゃんもきっと喜んでいることだろう。
お通夜の時間とちょうど同じ時間に東京ドームで巨人戦がやっていて4-0で勝っていた。そういえばじいちゃん巨人が大好きだったから今日はご機嫌だろうとまたおじいちゃんの記憶が蘇る。そうやってこれからもおじいちゃんのこと忘れずにいたいな〜。

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