嫌われる勇気はまだない。

疲れた忙しいアピールをすこぶるうざったく感じるときがある。それは周りに対してだけではなく、自分自身が周りにそう愚痴をこぼすことに対しても同じだ。おそらく生理によるホルモンの問題が大半なのだろうが、自分がそれを言うのも周りが言うのを聞かされるのもうんざりして、全ての社交関係をシャットダウンしたい周期に陥るときがある。
毎日のちょっとしたタスクの積み重ねによって精神状態がじわじわキャパオーバーになって爆発寸前なのか、胸のあたりがソワソワする感覚になって夜寝ることも十分に出来ずに日中に睡魔に襲われることは毎度お馴染みだ。
そうかと思えばある日は天気が良いだけで気分が良く、今日も1日何事もなく無事に過ごせたことにやたらと感謝したくなる善人モードに入るときもある。
つくづく人間ってめんどくせぇ脳みそフル活動させて日々生きてるなと感じる。
どうにもうまく物事が運んでないと感じるときは総じて自分自身に余裕がない。あーあのとき余裕なかったな〜と後から思うことがたくさんある。娘に対してもなんであんなことにいちいちイライラしてたんだろうと反省することも数知れず。あのとき無意味にイラついててごめんねって言うと、いいよ〜って軽く返される。よっぽど娘の方が余裕のある大人だ。
自分の思い通りに生活出来てる人って私の知る範囲の限りひとりもいない。仕事や家族子どもやお金などのしがらみまみれの中で生活していく難しさを年々感じている。みんな生活を維持する為に精一杯生きているんだなと思うようになってからは、日常に現れる嫌なやつにも最悪な出来事にも、昔よりはおおらかな気持ちで対応出来るようになったような気がする。
母の入院に同行したときには普段はまったくと言っていいほど物怖じしない肝っ玉系の母が、不安で眠れなくて寝不足だの咳が酷いから大部屋が心配だの、病院までの移動中にマシンガントークをかましまくっていた。そんな姿を見て、あーこの母を持ってしても今は全く余裕がないんだなと少し可笑しく思ってしまった私は、それが身内のことであっても自分の身に起こっていることじゃないので結局他人事な気持ちになっていた。
だからこそ普段から想像力が必要なのだと思う。一見苦労してなさそうな幸せそうに見える人にももしかしたら辛い経験があったのかもしれないし、それが行動に出てしまったのかもしれないし、実は悩んでることがあるのかもしれない。実際は違かったとしてもそう想像しておくことで自分自身の心の安定に繋げることが大切なことだ。
それと同時に自分に起こったこと以外は全て他人事だと割り切ることも重要で、他人の出来事に自分が思い悩む必要は全くない。そんな暇はない。20代ピチピチの頃に読んだアドラーの嫌われる勇気がアラサーの今になってちゃんと沁みているあたり少しは大人になったかなと思いたい。
たとえ自分の子どもであっても自分と子どもは違う人間だと認識することで、良い意味で適当に子育てをすることが出来るようになった。入学時はどうなることかと心配でたまらなかったのに、相変わらずの真面目ぶりを発揮しまくっていて今では支援級から追い出されそうになっている娘。それもこれも私じゃなく娘の頑張りによる結果だ。
そうやって自分と他人と切り離して物事を考えるようになれれば自分自身だけに向き合えて、調子いいときもあれば悪いときもあるよね〜と思えるのだが、まだまだその境地に達することは出来そうもない。
この感情の波は生理が終わるまで続くのか、でも終わってからも更年期は大変だって言うし、女って一生このモヤモヤする気持ちってなくならないんじゃないのって今から落ち込みたくなる。何事もひとつずつ真面目にこなしていつか報われたと思えるように生きていきたい。
まずは習い事の送迎だ。無事に娘を連れて帰ってくることが今目の前のミッションだ。

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