私はそちら側の人間じゃない。


通勤はバスを利用している。バスは日本の縮図だな〜と思う。なんだか難しそうな本を読んでる人や、イヤホンをして携帯を横に倒してアニメを観てる人、ドカドカ入ってきてずっと不機嫌そうな人がいると思ったら大きな声でありがとうございます〜!と言いながら降りて行く人。
いつからか通勤や移動中にイヤホンをすることが怖くなり使うことがなくなったのだが、かといって携帯を見続けることも理由がなければ特にしない。基本バレない程度にボーっと人間観察をしている。
朝の通勤時、といっても少し遅めの9時代のバスにいつものように乗ってたところ、おばあちゃまが乗車しようとして運転士に何かを提示していた。それだけ見せられてもICカードないと無理!持ってないの?じゃ現金だよ!とマイクを通して乱暴におばあちゃまに言う運転士。その後少しのやりとりがあって、乗車を待っていた全員が乗り込むのに少し時間がかかってしまった。
運転士からしたら、またこれだけ提示してくるやつ来たよめんどくせー。みたいな気持ちがあったのだろうが、おばあちゃまからしたら初めて使ったので使い方を知らなかったのかもしれない。
それにしてもどんな言葉遣いしてるの本当に社会人か?いや社会人以前の問題だな、その高圧的な態度。小学生の娘でも分かるぞそれが良くない態度なこと。普通に説明してあげること出来ないんか?と、一気にとても気分が悪くなった。
恐らくおばあちゃまの後ろに並んでいたのであろうおじさまとおばさまが私の後ろの席に着席する。そしてこれまたでっかい声で、
(おじ)もたもたすんなよなばあさん!
(おば)ね〜使ったことないんじゃないの!
と言っている。ただでさえ先ほどの一件で気分が悪いのに更に気分を最悪にしてくれた。
きっと私の周りの席の方々もおばあちゃまと運転士の一件を見ていて、その後このおじおばの会話が聞こえていたはずで、皆さんどちらの感情を抱きました?と、1人1人に尋ねたくなった。もちろんしてないが。
私も思ってた!よくぞ言ってくれたおじおば!スカッとしたわ〜と思った人がいたのかもしれないと思ったらとても虚しい気持ちになった。
少なくともあのバスの中で運転士とおじおばの3人は早くしろ面倒くせぇと思っていたことは確実で、そんな風に思ってしまうような心のさもしい人間にはなりたくないと思った。と同時に、私はまだそちら側の感情の人間にはなっていないということを再確認することが出来た。ありがとう3人組。そこだけは感謝してあげよう。
自分の不機嫌を相手にぶつける人は一定数いるし、相手をする必要はないんだけれど、ぶつけられた方はただの不機嫌野郎の適当発言で傷つくことがある。
見知らぬ人だけじゃなくて家族友達に対しても、不機嫌だからって自分の好き勝手を言っていいことにはならない。いつもご機嫌な人を見るとこちらまで笑えてくるのと同じように、不機嫌は不機嫌を呼び寄せるのだ。
だから唯一の同居人である娘といるときは、特にご機嫌でいたいと努めている。自分のご機嫌を保つ為に夜ご飯作るのも洗濯掃除するのも諦めることはたくさんあるけれど、最近は娘が積極的に家事を手伝ってくれるようになった。毎日のお風呂洗いとトイレ掃除は娘がやってくれる。毎度大袈裟にありがとう!と言うと、照れながら別にいいよ、と返してくる。
いつまでそうやって母に興味を持ってくれるのかな。今はうざったいぐらいママ!ママ!と呼ぶけど、それでも友達と放課後に遊びに行くこともかなり増えた。徐々に手が離れていくことが今は喜ばしいの一択だけど、それが当たり前になっていき、そのうち親うぜぇの時期になったら寂しいぞと諸先輩ママは口を揃えて言う。
そのときも私は全力で娘にご機嫌を向けていられるのかどうか分からないけど、これからもご機嫌の種を蒔き続けていくことは忘れずにいたいと思っている。

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