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88歳の女将と呑める店 ー 「呑み屋は女将が9割」第3回

■「店を始めたときは、センター街が舗装されてなかった」

渋谷に40年以上続く呑み屋がある。女将は88歳(2016年7月時点)だ。

店の間口は狭く、その古めかしい扉を開くには、勇気がいる。意を決して開けたとしても、今度は目の前にいきなり急な階段があり、圧倒されてしまう。実際に、扉を開けてはみたものの、階段を上ることなく引き返していく客も多い。そこを上りつめた者だけが、店内の様子を知ることができる。

女将(88歳)は、都内のホテル勤務を経て、40歳で店を始めた。「当時はまだ、センター街の道路が途中までしか舗装されていなかった」という。カウンターと小さなテーブルが1つだけ。10人入れるかどうかという小さな店だ。メニューや値札のたぐいは、一切ない。

席が常連の男性ばかりで埋まると、女将(88歳)は「バブルの頃は皆、二号さん(=愛人)を連れてきたものだけどね!」などと愚痴を言う。女性客や、若い店員さんに「可愛いね」などと話していると、「私は? 私は?」などと割って入ってくる。

今なお、青春を生きている人なのだ。

しかし、女将(88歳)が本当の意味で青春時代を過ごしたのは、終戦前後(昭和20年頃)。「当時は若い男が(出征していたため)周りにいなくて、寂しい思いをしたわ」と、今の若い人たちを本気で羨む。そういうところがまた、愛おしくなる。

■奇妙なバランスの上に成り立つ店

客もまた、年季の入った人が多い。30代の俺などは、この店ではいわば、カミングセンチュリーだ。年輩組(50歳以上)のトニングセンチュリーには、医者や大学教授、社長、商社勤め等、いかにもな紳士がずらりと並ぶ。創業時からの40年越しの常連さんも現役だ(この方は現在70歳)。

テレビや雑誌で何度か取り上げられたこともあって、今では俺のごとき、どこの馬の骨とも知れぬ人間でも受け入れてもらえるが、かつては一見さんお断りの、敷居も(物理的な)カウンターの位置も高い店だったようだ。

現に、今では常連となっているKさんは、女将と常連さんに顔を覚えてもらうため、人に連れて行ってもらってから3ヶ月のあいだ、1人で毎日通い続けたのだという。

女将も女将で、気の強い一面があり、女将を「ばばあ」扱いする常連さん(この人も「じじい」に近い年頃なのだが……)が来ると、そーっと離れた場所に移動して、そっぽを向いてしまう。

また、部下に対する態度が横柄だった客には、お会計の代金を「こんなの受け取れるか!!」と投げつけ、(ちゃんとした塩がなかったので)卓上塩を何度も手のひらに出しては、ばーっとまいたという話も聞いた。

その一方で、料理の材料や調味料が足りないと、我らカミングセンチュリー組の常連に、近くの店まで買いに行かせることをいとわない。

実に、奇妙なバランスのうえに成り立つ店だ。だが、そこが面白い。

常連のAさんも、その「奇妙なバランス」を楽しむ1人だ。Aさんは20代の男性で、俺が通い始めるよりも前からの常連だ。この人は、仕事のあと、神奈川県小田原市から1時間半をかけて渋谷までやってくる。それだけでも尊敬に値するが、さらにすごいのは、彼がお酒を1滴も飲めないという点だ。毎回、他の常連と楽しそうに話しながらも、1人コーラや烏龍茶をロックで飲み続けるさまは、皮肉でもなんでもなく「一周まわってかっこいい」

女将から客の1人まで、実にあなどれない。

(了)



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