【エッセイ】散歩中リサイクル本が落ちてた
休日は朝十時という時間帯に散歩できるのが心地良い。平日だと朝散歩してる余裕は無い。本当は朝に散歩をするとセロトニンが分泌され体内時計がリセットされるので、出来れば続けたい習慣だ。しかし通勤してる人はそれが運動の一環になるけど、テレワークになると運動する時間を確保するのが難しい。そんな訳で、休日の朝散歩は私にとって特別な事だ。
散歩の途中、バス停のベンチに本が置いてあった。メモが挟んであり、「ご自由にお取り下さい。」とあり、「リサイクル本」のシールが貼られている。何やら難しそうな本で、全然惹かれない。ただ、野晒しに置いてある本が何となく可哀想に思った。この道を折り返した時にまだ残ってたら、ちょっと手に取ってみよう。
今日は信号にも引っかからないので、いつもより遠くまで歩いた。高齢者がゲートボールを楽しんでる景色を通り過ぎ、習志野水道局を通り過ぎ、ウサギと亀の像まで歩く。久しぶりにここまで歩いた。学生の頃は、この像を折り返し地点として毎週ランニングをしていた、思い入れのある像だ。私は辺りを見回した。私の家の周りは幾つか一軒家が取り壊しになっているけど、この辺りは大して気色が変わってないようだ。強いて言えば、マンションの補修工事を行なっている事くらいか。どうやら変わらない景色を見て安心する年頃になって来たのかもしれない。私はいつものようにウサギと亀の像を折り返した。
先程のバス停に戻ってくると、本は無くなっていた。誰かが持って行ったか、持ち主が持って帰ったか。恐らく後者だろう。実は以前にも、この本が野晒しになっていた記憶がある。一体この本の持ち主はどんな人なんだろう。変わり者であるのに違いは無いけれど、手放したいけど手放せない本とのドラマがちょっとはあったりするんだろうか。
私は自宅に戻った。そういえば、使わなくなったシンセサイザーや電子デバイス達をどうしようか。特にシンセサイザーは年代物の為、アナログの理解がある人しか扱えない。メルカリに出して、買い手がつくだろうか。悩んでてもしょうがない。さっさとやろう。モノは誰かに使ってもらってナンボである。
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