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【感想】約束の果て 黒と紫の国

ファンタジーノベル大賞2019を受賞した本作が気になり、読了しました。

デビュー作とは思えない圧巻のストーリー構成でした。とても面白かったのでブログにしました。

尚、本ブログの内容はネタバレを多分に含みますのでご了承ください。

ストーリー構成は第一章から最終章まで5章分あり、

前書き

第一章 旅立ちの諸相

第二章 コウ国の都

第三章 伍州の境界

第四章 目前

最終章 黒と紫

となり、「南朱烈国演義」及び「歴世神王拾 バ帝」という二つの偽史を交互に繰り返しながら、第三章途中から田辺幸宏によって書かれた小説「約束の果て 黒と紫の国」を通して、田辺幸宏の息子の尚文によって物語は現代で約束を果たす流れとなっています。

この「約束の果て 黒と紫の国」のタイトルが第三章で登場したとき、「それで黒と紫なのか!」となりました。

ファンタジーノベル大賞を受賞しただけあって、ここはお約束の如く「ボーイミーツガール」です。

しかし、他作品と違うのは人間同士の「ボーイミーツガール」ではないことだと思います。

本作は「ボーイミーツガール」は二回あって、「バ九」と「ヨウ花」、「真キ」と「ヨウ花」です。

「識人」同士のボーイミーツガールなので、ちょっと勝手は違うのかなって読んでて思いました。

ヨウ花は花なので、相手を必要としないですし。

でも、長い時を経てバ九が約束を果たそうとしたのは、彼が恩義を持っていることや義理固いだけでなく最終章の文章からも恋愛感情もあったのだろうと思います。

ヨウ花はバ九のことをどう思ってたのでしょうか。単に義理堅い識人の王とも取れます。(どちらかと言うと、バ九や真キの片思い?)

ヨウ花は真キがコウ国へ戻る際、次のように言っています。

「わたしが真キのことを迎えに行ってあげると言ってるの。真キは、もう家族だから」

また、ヨウ花は真キをコウ国から助ける際、次のように言っています。

「真キは、もうわたしたちの家族と同じでしょう。真キであっても、他の誰であっても、コウ国に連れ去られたなら、取り戻さなくてはならない」

現代社会では基本的に男女が恋愛して時を重ねた結果、結婚して家族ができます。しかし、ヨウ花は恋愛感情は無くとも、共に苦楽を過ごした仲間たちを家族として接していると考えられます。上記の言葉に識人の炎能も驚いていたことから、この感覚はヨウ花独自のものだと考えられます。

周りの識人達やコウ国の人達が「~である。」「~であろうか。」と昔ながらの堅苦しい言葉遣いなのに対し、ヨウ花の口調は自由奔放を表すが如く

「じゃあ~すればいいじゃん」「あ、そう。」「ふーん。」

基本タメ口でした。最初は子供だからかなーと思っていたのですが、成長したヨウ花は口調は変わらず。

周りを振り回しながらも実行する行動力含めてお転婆な少女という感じでした。

また、登場人物は国のためにしがらみに囚われていますが、ヨウ花だけは前半まで自由の象徴のようでした。

真キをコウ国から救い出すシーンは、まさに真キとヨウ花が自由を手に入れるような熱いシーンでした。

しかし後半、「識人」としての能力を見たときは、只の少女じゃないと見方が変わります。

それと同時に国のためにどうすべきか判断して、バ九を止めることになります。

有事の際には、ヨウ花も国のために「自由」を捨てなければならなかったのです。

強いヨウ花が見れたのは嬉しいですが、その力をもってしても肉だるまバ九の意図を読み切れずに全てを失うのは切なかったです。

ヨウ花の能力は、生きていれば記憶を全て引き継いだ状態で現代まで生き延びることができます。

それをしなかったのは物語の都合やファンタジーノベル大賞に応募するためなんだと思いますが、現代での物語の起伏が乏しかった分ちょっと勿体ないなーと思ってしまいました。

本書を読み終わってから、もう一度前書きを読んだときは感動しました。

最初は何か物語を始めるための、「つかみ」としてちょっと大げさな書き方をしている程度の認識でした。(Key作品の「Air」っぽい。)

しかし田辺幸宏の息子の尚文によって語られる、この前書きに出てくる「椋鳥」「菫」というのは、おそらくかつての「識人」と「ヨウ花」を連想できます。

何だかボヤっとした前書きが本書を全て読むと「そうだったのか!」という感想に変わります。

そして国や名前に使われる漢字の部首にも作者なりの意図があるように思えます。

(漢字変換ができず誠に恐縮ですが)例えばコウ国の「コウ」の字は土偏が使われ、バ帝の「バ」は虫偏が使われています。

これらも「蟻」を連想させるような部首を選んでいると考えられます。

また、「歴世神王拾 バ帝」の書き手は冒頭に

それを知るものは、愚老の他に潰えた。
かくして、愚老がこうして論を立てねばならなくなったのである。

と書いてあることから最初は「老人が書いているんだろうな」という認識が、最後にこの老人が「少沢」だったことがわかります。

小説でも漫画でも、伏線を張るストーリー構成は二度読みしてお得した気分になるので私は好きです。

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