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罪 第35話(最終話)

【前回の話】
第34話 https://note.com/teepei/n/n2693bfc28cb6

はい、と、女性はぼんやりしたまま答える。
そりゃあそうだよな、突然言われれば。
菊池がそう思った次の瞬間、
「あの」
と女性が意を決したように言う。
「はい」
女性の勢いに押されて、谷崎と菊地が口をそろえて応える。
「あなたは、誰かと一緒にいませんでしたか」
谷崎に問いかける。
あ、と谷崎が何かに気付く。
「ええ、まあ、いたと言えばいたけど…」
「やっぱりそうなんですね。なんだかぼんやりとしか覚えてなくて、夢だと思ってました」
女性が思った以上に嬉しそうな声を上げたので、菊池が驚く。
「それじゃあ、もうひとりの人もいるんですか」
「え」
「一緒にいた人」
「え、いや」
谷崎が言葉を詰まらせているのも構わず、彼女が続ける。
「よく覚えてないけれど、なんだかとても懐かしい人だった気がするんです」

「まったく人工知能のくせによ」
谷崎が、誰に言うでもなく愚痴を漏らす。
「だけどさ、あのプールで捕まった男の人のこと、やっぱり忘れられないもんだな」
菊池もまた、誰に言うでもなくそんなことを口にした。
ふと、谷崎が足を止める。
「違うぞ」
気付かずに、二、三歩先に行った菊池が振り返る。
「あの人は死んだんだ」
淡々とした表情で、谷崎が告げる。
唐突で、菊地は言葉についていけない。
「え」
「大橋に見つかったろ。そのあと、俺達が入り口に進み出て、そこでお叱りを受けた。
その間に逃げてもらったんだ。だけどよ、あの人はやっぱり復讐しないわけにはいかなかったんだ。結局、次の日に死体で見つかった」
そこまで聞いて、菊地の記憶が開きだす。

翌週の月曜日、プールの前で生田からそのことを聞く。
そこには谷崎もいて、泣いている。
菊池も泣きながら、堪えている生田の大人びた表情を見ている。

場面が脳裏に映し出され、あ、と思わず声を漏らす。
「あの日、俺達が犯した罪はオッサンを逃がしてやったことなのさ。もし大橋に、誰かに捕まってたら、オッサンは死なずに済んだ」
深く閉ざした、最初の罪の記憶。
久々に思い出し、菊地の胸が締め付けられる。
谷崎が歩き出し、それから菊池も再び並ぶ。

昇降口へ出ると、夏の日差しが降り注ぐ。
拡張現実空間が見せる空と外光は限りなく本物に近い。
しかし近づけば近づくほど越えられない一線があることを、こうして思い知らされる。
谷崎を送るため、菊地や本山、それに今回の関係者が外に出てきていた。
「それじゃあな」
刑務官に連れられて、谷崎が護送車に向かう。
しかしすぐに立ち止まる。
刑務官も併せて止まる。
「あのよ」
谷崎が振り返って言う。
「俺が捕まったことに罪悪感なんて持つなよ」
「持ってねえよ」
「だからよ、被検体に晒すような無茶はもうするな」
虚を衝かれて、菊地が止まる。
谷崎の奴。
「分かったよ」
そう答え、谷崎は微かに笑みを見せたようにも思える。
「じゃあな」
「ああ」
不自由な手は、小脇から振るのが精いっぱいのようだった。
谷崎を乗せ、護送車が出発する。
見えなくなってからも、しばらく菊地は立ち尽くしていた。
「中に入ろうか」
 そう言って菊池の肩を叩き、本山が戻っていく。

 菊地は手をかざし、空を見上げる。

 太陽の光はすべてを見透かすようにして、菊地達の上に降り注いでいるのだった。
(了)

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