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他人の日記を読む楽しさ

数週間前に本屋で衝動買いした村井理子の『ある翻訳家の取り憑かれた日常』を少しずつ読み進めている。本屋でこの本を目にするまで村井理子という名前は見たことも聞いたこともなかった。

この本は2023年の1月から12月まで大和書房のウェブマガジン『だいわログ』に掲載された日記をまとめたものらしい。嬉しいことに今チェックしたら2024年も日記は続いている。

日記の内容は主に仕事の進み具合や家族とのやりとり、不安定なメンタルの状態の浮き沈みなのだが、「原田とエイミー」という実話なのかフィクションなのか定かではない恋バナがたまに登場する。恐らく日記に書く内容に詰まった時か、或いはその日の出来事を無かった事にしたいような日に村田さんは「原田とエイミー」の世界に現実逃避しているのではないかと思う。勘繰り過ぎだろうか。村田さんの日常の合間に不定期に別の物語が潜入してくるという構成が面白い。

公開を前提に書かれているものなので、多少は「よそ行き」に書かれている部分もあるのかもしれないが、かなり正直にありのままの日常の出来事や精神状態について綴られている。

このエピソードなんかはツボにハマって大笑いしてしまった。ちょっと長いが引用する。

以前、義父がまだ元気な頃の話なのだが、なにかと粘着質の義父が夏になると突然草刈機を担いでやってきて、うちの庭の雑草を刈りまくるということが度々……いや、50回ぐらいあった。私はこの義父の行為(or好意?)が何より嫌いだった。というのも、私が仕事をしていると突然やってきては、爆音で草を刈るのだ。なんの許可もなしに。それも、作業がいい加減なので、ところどころ草が長かったりする。家の外壁に刃で傷をつける。義父の草刈機はとてもうるさいガソリン式だから、余計に腹が立つ。そして何より腹が立つのは、義父は刈った草を片づけない。刈りっぱなしでそのまま帰っていく。こうなるとテロではないだろうか。私はそんな義父のやり方に嫌気がさして、大枚叩いてマキタの最高機種の充電式草刈機を買い、一分の隙もなく草を刈り込み、丁寧に片づけ、庭をゴルフ場のようにすることに執念を燃やすようになった。ゴルフ場のようになった庭を見た義父は驚愕し、それを私がやったと聞くと、二度と草刈りには来なくなった。『まんが日本昔ばなし』に出てきてもいいような話だと思うが、どうか。

ある翻訳家の取り憑かれた日常 村井理子

この作者の本業は翻訳家なのだが、親の介護などについて書かれたエッセイも好評で、常に何本も翻訳とエッセイの原稿を同時進行で抱えている売れっ子ライターだ。翻訳作業の進め方やエッセイの執筆に行き詰まった時の対処法などについて書かれているのも私にとっては興味深い。

原稿が書けなくなったら(ピタリと止まってしまったら)実はやることがある。これをやると必ず最後まで書ける。私だけなのかもしれないが、今まで裏切られたことはない。確実に書ける。絶対に書ける。この方法については、今まで一度も、どこにも書いたことはない。私の秘密だからだ。家のなかでできる。24時間いつでもできる。道具はひとつだけ。Amazonで買える。所要時間30分。秘密だけど。

ある翻訳家の取り憑かれた日常 村井理子

この秘密兵器が何なのか知りたい!

翻訳やエッセイ執筆の作業が苦境に達した時など自分を勇気づけるために村井さんは「大丈夫、俺ならできる」とか「できるはずだ、俺ならば」と男言葉で唱える。

この本を読んでいると村井さんに「大丈夫、お前ならできる」と励まされているような気になるのだ。

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