サカナクションは夜歩く

 新しい経験は幸福感をもたらすことが分かっていて、それは単に「移動する」ことでももたらされるという研究結果がnature誌に掲載され話題となりました。通勤通学のような習慣的・恒常的な「移動」よりも、馴染みのない場所への新規性のある「移動」の方が幸福感を感じやすいことも分かったそうです。ドライブや散歩といったように、本来手段であるはずの移動が目的となって我々に幸福感をもたらすという経験は誰しもあると思います。コロナ禍で移動が制限される昨今、切実に感じられる話でもあります。

 一方、音楽を聴くことで得られる効能はわざわざ論文を引っ張り出すまでもなく皆様日々実感しておられるかとは思われますが、システマティックレビューでは、若年から高齢者まで様々な世代において音楽を聴くことは、不安の軽減、気分の高揚や、うつ病のリスクを減少させることに有効であるとされています。

 このように、幸福度を促進する手法として、移動、そして音楽鑑賞はある程度の有効性を持っているようですが、これらを同時に行うことの出来る方法として、我々はドライブを楽しんできました。日本で初めてカーラジオが自動車に搭載されたのは1951年のことであり、1964年の東京オリンピック後、自家用車の一般家庭への普及、いわゆるモータリゼーションが進んでいくことと並行して、1968年にはカセットカーステレオが登場し、好きな音楽を能動的に楽しみながら移動することが可能になりました。カーステレオが普及していった70年代には「中産階級が手の届く夢」を歌った松任谷(荒井)由美が登場し、ニューミュージック、そしてシティポップが流行していきます。人々は自家用車で少し背伸びをした都会的で洗練された音楽を楽しみながらドライブし、幸福感を高めていきました。

 しかし、ここで一つの大きな転換点が訪れます。1979年、ウォークマンの登場です。これまで移動しながら音楽を聴く手段として「車」しか選択肢が無かったところに、新たに「徒歩」が登場したのです。この発明は主に若者の音楽体験に大きな革命をもたらし、現代に至るのは周知の事実です。しかしながら、ウォークマン登場後も依然として「車に乗って音楽を聴く」という体験が若者の中で大きな位置を占めていたこともまた事実でしょう。

 この時期に隆盛を極めた「シティポップ」は音楽のジャンルとしては極めて曖昧な定義しかありませんが、ある程度共通のビジュアルイメージというものがありました。永井博に代表される極めて二次元的でビビッドな色合いのジャケットが表していたテーマには主に二種類あり、一つは「サマー・リゾート」、もう一つは「シティ・ライツ」でした。前者のテーマはそのまま行楽地を表すともに、そこに至る過程、いわゆるサマー・バケーションの旅の過程も想起させます。このイメージが色濃い代表的なアーティストが山下達郎であり、3枚作られた彼のコンピレーション・アルバムシリーズである"COME ALONG"は、1枚目はバス、2枚目と3枚目には自動車がモチーフになっていますし、BMG時代のLP BOXではビーチサイドを思わせる通りに停車された沢山の自動車が描かれています。昨今のネオシティポップムーブメントの旗頭であったSuchmosのセカンドアルバム"THE KIDS"のジャケットも自動車モチーフでしたし、タワーレコードのシティポップコンピレーション"SUMMER BREEZE"シリーズのジャケットを見ても、70-80年代当時、「洒脱な音楽と車」がイメージとして切り離せない関係であったことが伺えます。これは先にも述べたように70-80年代という時代が急速に自家用車が広がり車社会化が加速したことと無関係では無いでしょう。

画像1

 さて、車社会が(大都市圏中心にですが)変化してきたのは2000年代以降のことです。長びく不況に伴う若者の「車離れ」が指摘されるようになりました。そんな中、サカナクションが2007年にデビューを果たすことになります。彼らは作品の中で「夜」というキーワードを意図的にプッシュしてきました。「ナイトフィッシングイズグッド」、「夜の踊り子」、『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』等々、曲名や歌詞、MV、そして黒を基調としたステージ衣装(コムデギャルソン)などそのイメージ戦略は徹底しています。それは陳腐な言い方ですが凡百のロックバンドに比べて圧倒的に「お洒落」でした。このイメージは、彼らの活躍と時を同じくして起こってきたネオシティポップ・ブームととても相性が良かったはずです。実際、「新宝島」以降はサカナクションは明らかに80年代を意識したイメージを打ち出してきました。しかしサカナクションとネオシティポップ・ミュージシャンとの間には大きな違いがありました。それが、「徒歩」と「車」なのです。

 「黄色い車」という曲があるにせよ、サカナクションの楽曲は「夜」でありながら圧倒的に「徒歩」感があります。代表曲からして「歩く」アラウンドですし、『歩き出せ煙の中を(新しい世界)』、『甘えてもう一歩(ナイロンの糸)』、『歩き疲れた君(アムスフィッシュ)』、『歩む足跡(潮)』、『今煙の中を歩き続けて(セントレイ)』『君の歩幅で歩きたい(ルーキー)』など、直接的に歩くことを描写したり、『立ち止まった(ネイティブダンサー)』り、『ショーウィンドー(アイデンティティー)』を見たり、間接的に歩いていることを想起させる描写も多く見られます。一方で、車に乗り、疾走するような描写はほとんど見られません。これは夜の高速を摩天楼に向けて飛ばしていた旧来の「お洒落さ」のイメージとは一線を画すものでした。

 これが広く若者に受け入れられ、サカナクションがビッグバンドへと成長していった理由の一つが、車社会からの脱却と、ポータブルオーディオの進化だったと思われるのです。歩きながら音楽を聴くというスタイルは40年ですっかり当たり前のこととなりました。移動+音楽という幸福感の最大化公式はわざわざ車を買わなくても手軽に体験できる行為となり、そして大都市圏の公共交通機関の整備の広がりと車に対する価値観の変容が「シティポップ的」お洒落さをフィクショナルなものとしたのです。対して、多くの若者は寄り添って「歩く」サカナクションの音楽を圧倒的に「リアルに」洒落ているものとして自分の中に落とし込めたのです。

 さぁイヤホンを耳に突っ込んで、「さよならはエモーション」を聴きながら深夜の街を散歩しませんか?これがコロナ禍で味わえる最大の幸福かもしれません。信じるか信じないかは貴方次第です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?