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誹謗中傷は悪なのか?

皆さんはSNSや現実で誰かを誹謗中傷したことがあるでしょうか?ささいな悪口とかであれば、ほとんどの人がしたことがあると思います。

そんな誹謗中傷によって、先日テラスハウスの出演者のひとりが亡くなった件がありました。これについての議論はほかでも絶えないでしょうから、今回は触れないことにします。

むしろ、今回考えてみたいのは、「誹謗中傷は悪なのか?」という事です。

こんなことを聞かれれば、多くの人は悪だと考えると思います。幼い頃からそう教育されてきたのだから当然だとも言えますね。

悪だと言い切れない例

この件に関してはどうでしょう。
京アニに放火し、多数の犠牲者を出した犯人に対し、「最低」であるとか「死ね」と言った言葉がSNS上でつぶやかれました。

これは悪だと言い切れますか?

池袋でひき逃げをしたのに捕まらなかった某上級国民に対して、SNSで攻撃した人を悪だと断定できますか?

悪であると断定できないのは、これらの攻撃的な言葉には、現状に対する正当な抗議の意味も含まれていると感じるからなのではないでしょうか。

概念を整理してみる

誹謗中傷というのは大きく分けてふたつの種類に分かれると思います。
ひとつは、快楽のための誹謗中傷。もうひとつは、怒りや不満の表出による誹謗中傷です。

前者に関しては多くの人が悪だと考えるでしょう。ぼくも同感します。

かなしいことに、人間は誰かを批判することが好きな生き物で、世の中にはそういったことで快楽を得る人が一定数存在します。例を挙げるなら、学校でのイジメの主犯格などはそれに当たるでしょう。

では、後者についてはどうでしょうか?怒りや不満があふれたことによる誹謗中傷です。

これは一概に悪とは言えない気がします。悪だと思うこともあれば、そうでないようなこともあります。

テラスハウスで自殺してしまった彼女を誹謗中傷してしまった人も、大半は後者の理由だったでしょうが、それが悪であるかどうか判断するのは難しいです。もし彼女が自殺せずに、番組側が事態を綺麗に納めていれば、彼女を責め立てた人を悪だという人は少なかったでしょう。

少し混乱してきたので…

さらにもともとの話に立ち返ってみます。

「悪とは何か?」という曖昧な概念について注目します。

こう言った曖昧な概念について考察するときには、対義語を考えることが役に立つ場合があります。「悪」の対義語を考えてみてください。

考えられるのは、「善」か「正義」あたりでしょうか。

ふたつの概念が登場してしまったので、片方ずつ紐解いていくことでややこしさを解消しましょう。

まずは「善」から、考えてみます。

善とは何か?

様々な議論がありますが、ここでは私たちが一般に思っている善について考えてみます。「人を助けるのはいいことで、人を傷つけちゃいけない」という考え方を善であるとするとどうでしょう。

こういった考えのもとでは、誹謗中傷は全て悪だと言えます。どんな些細な悪口でも言われて傷つくのが人間です。

問題になるのは「正義」の観点から考える場合です。

正義と悪について

正義の観点に立つと、人によって何が悪かというのは変わってきます。それぞれのひとがそれぞれの正義を持っていて、その対称となる悪の線引きも、また人それぞれだからです。

具体例を出すと、「殺人をした人は糾弾されて当然だ!」という価値観の人もいれば、「殺人をした人でも同じ人間なのだから傷つけるのは良くない」と考える人もいるといった感じです。

そして、多くの人が自分の正義に従って生きている以上、どこまでの誹謗中傷は良くて、どこからが悪なのかという線引きもまた人それぞれであり、この先も誹謗中傷がなくなることはないでしょう。

「一体お前はなにが言いたいんだ?」

と、言われてしまいそうですね。「誹謗中傷は悪か」という議論をしても、結局のところ各人の線引きによることになり、結論が出ませんでした。

だとすればこの議論をする意味はなかったのでしょうか?そうでもありません。

SNSで何かを呟くとき、それが良いことなのか悪いことなのかを考える。だれかを糾弾したくなったとき、正当かそうでないかを考える。

そうした葛藤こそが、人間として考えている証拠です。

ただ機械のように人を糾弾したり、擁護したりを繰り返すのではなく、その都度に考え・葛藤し・決定する。そのことが大切だと思います。


(寄稿,twitter:@abC_coins19)

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