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離婚届出してスキップした話。

今から一年程前、私は離婚をした。結婚生活は6年程であった。
6年間続いた結婚生活であったが、まともな結婚生活を送ったのは最初の1年だけだった。前に書いた通り私はホストにハマり、その間に元夫は単身赴任になり、2年後にまた同居を始めたものの、私はすぐに他の男と出会い、好きになり、不倫関係になった。最後の2年は会話すら無くなっていた。そんな夫婦の状況を知った実の両親に『早く離婚しなさいよ』と言われる始末であった。

私自身、早く離婚がしたかった。こんな夫婦生活を続けても何の意味もない。しかし、離婚の仕方やきっかけが分からない。私は友人であるデリヘルの店長(右手と左目が無い)(この人もなかなかぶっ飛んでいて面白いので、また後日改めて書こう)にある日聞いてみた。

『店長、離婚ってどうやってするんですか?』

この店長も長年破綻した夫婦生活を続けた後に、最近離婚していたのだ。店長は一瞬だけ考えて、すぐに答えた。

『どっちかが勇気を出して言うしかないっすよ。』

…まぁ、そりゃそうだよなぁ。。
この言葉を聞いて、私が勇気を出して離婚したいと言うしか方法は無いと改めて思った。

しかし、その後も一年半くらいは離婚をせず、なんとなく日々を過ごしていた。離婚はしたいけど、ひとりぼっちになって私は本当に大丈夫なんだろうか?生活出来るんだろうか?不倫相手とは一緒になる気はない、頼れない。だからと言って実家に帰る?いや、両親だって自分達の生活で精一杯なんだから、むしろこれからは私が養っていかなければならない。風俗嬢の命は短い。今は楽しく暮らしていける位毎月ちゃんと稼いでいるけど、どんどん歳を重ねていけばいずれ稼げなくなる。そうなった時私はどうなる?老後生活が出来なくなり、姉や姪っ子に迷惑を掛ける訳にはいかない。
風俗嬢のくせに、私は意外と堅実だ。今後の人生を色々と考えてしまい、なかなか離婚に踏み切れなかった。

しかし、その時は突然来た。年末年始に実家に帰省した時の事だった。母親に言われた一言がきっかけだ。

『あんたの運勢を毎年勝手に暦の先生に見てもらってるんだけどね。今年の節分を期に運勢が良くなるらしいのよ。だから今年の2月4日に離婚しなさい!』

…なんて勝手な母親なんだ。
私は全くスピリチュアルには興味が無いし、母親も所謂宗教にハマったり、高いお布施を納めたりはしていない。ただ、母親は人生に迷うと占いによく行っていた。私は人生の岐路に立つとイースタンユースの音楽を聴いて『何クソ畜生!!!』と気合いで解決してしまうタイプだが、母親は恐らく人に話を聞いてもらうと解決するタイプなのだろう。
正直私は占いなんて信じないし、話のネタとして雑誌の占いの記事を読んだりする程度だった。その為、最初は『何言ってんのこの人…』という感じであった。しかし徐々に、母親のその言葉がすんなりと体に染み込んでいく感じがした。そう、私はきっかけが欲しかったのだ。
そして少し考えた後、母親にこう言った。

『じゃあさ、離婚するから目二重に整形して良い?』
…母親が母親なら、子も子である。離婚と引き換えに整形の許可を得ようと目論んだ。
以前から一重瞼がコンプレックスで、化粧の技術レベルを上げてなんとか誤魔化していたのだが、毎日の化粧の時間や化粧品の消費量を考えると非常にコスパが悪く、いつか整形したいなぁと思いつつ年月が流れていた。整形もするきっかけが欲しかっただけであった。
私の突然の整形宣言に一瞬母親は驚いたが、
『あんたがしたいなら好きにしなさい!』
こう言って許可を得ることが出来た。

この件で一番とんでもなかったのは父親であった。この一連の母とこの会話の流れを黙って聞いていた父親。その時は何も言わなかったのだが、次の日に父親は突然私にスマートフォンの画面を見せてきた。そこには、女優の石田ゆり子さんの写真があった。

『お父さん、ゆり子みたいな二重がいいと思うんだ。』

…まさかの、娘の目を自分の好みのタイプにしようとしたのであった。とんでもねぇ父親である。

そんな訳で、私は本当に2月4日に離婚届を出した。店長に言われた通り、勇気を出して離婚して下さいと元夫に伝えたら、少しはごねられたものの意外とすんなり離婚届にサインを貰えた。離婚すると決めてからは早かった。必要な書類を揃え、新居となるアパートの契約をし、離婚届に判を貰う前に既に引っ越し業者も手配していた。

そして離婚届の提出当日。区役所での手続きは1時間もかからなかった。あっけないものである。
離婚届を提出し、地下駐車場までの道を一人歩いた。歩いていると、徐々に離婚した実感が湧いていた。ずっとモヤモヤしたものを背負っていた。それがウソのようにすーっと消えている。すごい。身体が軽い。
そして私の脳内には、湘南乃風の睡蓮花が流れ始め、脳内でタオルをブンブン回していた。嬉しい。自由だ。自由を手に入れたのだ。私は人目も憚らず、スキップしながら帰宅した。
そして数日後には引越し、整形と、去年の2月は怒涛の勢いで過ぎていった。

女は30代後半くらいになれば、どんどん守りの人生に入っていく。私自身も、もう今後は変わり映えのない安定した生活を送っていくのだろうなぁと思っていた。しかし、ちょっとしたきっかけで人生は面白く動いていく。
私の人生のモットーは『おもしろおかしく』だ。これはサイプレス上野とロベルト吉野というHIPHOPユニットの曲のタイトルなのだが、一度の人生やっぱりおもしろおかしく生きていかないと勿体無い。退屈や安定と書いて幸せと読む、という言葉も聞いた事はあるけど、私にとってそれは幸せではない。私にとっての安定は、精神の死を意味する。これからも守りに入らず、おもしろおかしい責めの人生を送っていきたい。

あ、でもお金に関しては私堅実だし安定派だからね、積立NISAと個人年金でしっかり積み立ててるし、最近保険も見直してめっちゃ良いやつ入り直したし、FPさんに相談して新たな積立も始めたよ。責めの人生送っていても人に迷惑を掛けるのは私のポリシーに反するから、何があっても良いようにちゃんとお金貯めないとアカンで!

※見出しの写真は埋没+目頭切開した私の目です。可愛いでしょ?


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