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心が動く時

子どもの頃

怒りという感情を表すことは

あまりなかった。

そんな記憶の中で

パチン!とスイッチが入るかのように

大声を出すわけではないけれど

体の内側が急激に熱くなるという

怒りを感じることがあった。

それが

常識を振りかざされた時。


常識の中で過ごすことがラクということを

知っていた妙に冷めた子どもだったから

いわゆる常識、ということは

わかるつもりでいた。

このわかる、ってのは

納得しているわけではなくて

世の中そういうものなんでしょ!的な意味の

わかる。


わかる、けど

常識振りかざされた側のことは

まるで無視なわけ?

という怒り。

これは、自分が振りかざされたのではない。

そういう光景を見て

私がスイッチオンとなったという話。

*****

ラクな生き方は

大人になれば、とても重宝な過ごし方ではある。

社会に出て

周りの常識の中で

ふわふわしていたら

スムーズに時間が過ぎていく。

それでいいと思っていた。


が、

常識に反応する自分に気づいてから

ふわふわしていられなくなった。

常識の中では生きていられないことが起きて

常識の中にしがみつこうとして

苦しくて

なんなんだ!ってなって

常識ってなんだ?っていう流れ。


多数派な常識が正しいとされる世の中で

少数派は必ずいる。

少数派が間違っているわけではない。

少数派の人には、その人なりの正解があって

その正解が、その人にとっての常識。


多数派を責めるつもりは全くない。

多数派、って言っても

それぞれの人にとっての正解ってだけだから

少数派の人と同じなんだもの。


みんな、それぞれが正しい。

他人の正しいとは違う。

それだけなんだよね。


多数派の人の方が

賛同を得られることに慣れているのかもしれない。

少数派はいつでも

賛同を得られにくいから。


自分が

自分の1番の味方でいること。


みんな、それぞれ

愛されている存在であること。


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