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「生き恥を晒せ!」

生き恥ってなんだ

共同マガジン開設を促した男の言葉に、正直なところ、私は全くピンと来ていなかった。
生き恥なんて言葉は、人生の中で使ったことがない。
なんかものすごい言葉じゃないか。

ちなみに"恥"を使った言葉なら、いくつか知っているものはあった。

恥さらし。
恥の上塗り。
旅の恥はかき捨て。
逃げるは恥だが役に立つ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
据え膳食わぬは男の恥。

…最後の言葉はここに並べるか少し迷ったが、まぁいいか。

"恥"

恥ずかしい気持ち。
耳まで真っ赤になる。
穴があったら入りたい。
そんな状態を指すことだ。

じゃあ生き恥を晒すって?

調べてみたところによると、「生き永らえて恥を人目にさらすこと」を言うらしい。
戦争中の捕虜は、生き恥と呼ばれていたとか。

この意味を知って思わず後ずさりした。

いやいや、そんな!
人に晒せるほどの面白い生き方してませんし!
そもそも罪な生き方もしてませんし!

生き恥を晒すって、良いにせよ悪いにせよ、なんだか「生き様を見せる」みたいなイメージがある。
自分の生き様を見せるなんてことは、私にとってチャレンジだ。
かっちょいいような、どこか気恥ずかしいような。。

………あ、そういうのをやっていこうってことでもあるのか。

ということで、マガジン開設から今日までの私の思考をお読みいただきました。
自分でテーマを回収して、やっとスタートラインに立てた模様!

どうも、しがないアラサーエンジニア、さりーです。
リレー走者は3人目。
一巡締めくくり担当です。

はてさてマガジン1発目は、「恥」を人一倍恐れる私が、救われた言葉についてでも書きましょうか。

***

大学の教授が卒業間際に贈ってくれた言葉を、私は今でもたまに思い出す。

あの時、未来が、ただ不安だった。
何とも言えない不安が常に付きまとっていた。
周りがみんな「大丈夫」に見えて、不安を表に出せず、同時に強がってもいたから、余計に。

卒業。
学校という枠組みから、いよいよ卒業。
何の約束がなくても毎日会えていた仲間たちとの別れ。
名実ともに、もう「子ども」ではいられなくなる焦燥感。

これからは、自分で道を作っていかなければいけないと。
失敗は、できないと。

目に見えないプレッシャーに押し潰されそうになっていた。

そんな中、確か最後のゼミだったか、教授からの言葉が私の胸を打った。

人は、生きてるだけで、そこにいていいんです

それは社会に出る前の自分にとっても、
今までの自分にとっても、
すごくすごく重要な気づきだったのだと思う。

思えば昔から、自分は目立ちたがり屋で、人に構われたくて仕方のない子だった。

高齢の両親に、しっかり者の姉を持った、ばっちり末っ子気質の私。

今でこそ「承認欲求が強め」と分かるが、もちろん当時の私はそんな言葉を知る由もなく、それは向上心が強いだとか、負けず嫌いだとかで表された。

反面、失敗を過度に恐れるきらいもあった。

1つの失敗ですべてが崩れ去るような感覚に陥り、元に戻れない。
ゲーム中に負けそうになったら、電源を抜いて全てリセットしたくなる、あの感覚。

「失敗は、さっさと忘れて次に挑む」
「次に活かすことで昇華される」
言い聞かせた。

それでも、失敗の数を重ねるほど、もっと慎重になる自分がいたのが事実だ。

「嫌なことも寝たら忘れる!」
あっけらかんと話すO型の友達が、ひどく羨ましかったことを覚えている。

ふと気づけば、経験を積むほどに、自分で自分を縛ることが多くなったように思う。
もう大学生なんだからこうあらねば。
社会人になるんだからこうできなければ。
そうでなければダメだと。

するとどうなるか。
とても生きづらくなるのだ。

動きづらい。チャレンジしづらい。失敗がこわい。ますます動きづらい。負のループだ。自分を認めるには、人に認めてもらうには、もっともっと頑張らないといけないという悪循環。

だからこそ、別に何をしなくても、そこにいるだけでいいんだよとハッキリ言われたのは、自分の中でかなりの衝撃だったのだ。

ただそこにいるだけで、
貴方が貴方でいる意味はあるんだよと。

言葉をくれた坊主頭の教授は、大学生活の中で、一貫して同じメッセージを発し続けてくれていたと、はたと気づいたのもこの時だ。
ありがたい。

***

さあ、ここから私は自分自身を認められるようになり、ばりばり活躍できる社会人になったのだった!!

−−なんていうかっこいいオチはもちろんない。

人の思考グセというのは中々治らないようで。
あの言葉に衝撃を受けてからもう6年近くは経つと思うが、いまだに失敗はするし、恥もかくし、自分に自信をなくすことは日々ある。
ほんとめちゃくちゃある。

だが、あの時もらった言葉を思い出すと、なんだかフッと力が抜けて、とても安心するのだ。
安心の基盤ができてこそ、人は、また頑張ろうと思えたりするようで。

オーバーワーク気味な今日も、なんとかやっていけてるみたいです。

***

そういえば、据え膳食われなかったことも、1回あったなぁ。あれは大学4年の…

え、これはもう生き様じゃなくてただのいらん暴露ですって?

コホン。

これからの我らの生き様も、どうかお楽しみに。
さりーでした!


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