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【エッセイ】daddy

先程、ある失敗をやらかしてしまい、私はどどどどんと落ち込んでいる。
あぁもう私のバカ、ほんっとバカ。
もし父が生きていたなら、こんな私を見て、はたして何と言うだろう。


父の郷里へ

ごく最近のことだが、私は父が生まれ育った街へ行ってきた。
父の実家はすでに無く、お墓も私の地元なので、親族絡みでの関係はとっくに途切れた街だ。
今回その街へ行ったのも、決して感傷的な理由ではなく、単に用事があったからだった。

実際のところ、その街で父を思い出すこともなく、滞在時間は淡々と過ぎていった。
今思うと、なんとまあ親不孝なことか。
昼食に食べた味噌ホルモン定食の美味さには、がっつり心を掴まれたものの、父恋しさを感じる暇はほとんどなかった。

確かに、もともと仲のいい親子ではなかったけれど。

日本語チェッカー父

生前、父は新聞記者だった。
あんなにワガママで自意識過剰で意固地で頑固なひねくれ者の父が、大勢の人と関わる記者の仕事を、よく勤めていられたものだと思う。
いやちょっと待て、意固地と頑固は同じような意味だぞ。

そういえば昔、オマエの日本語はおかしいと、よく父に突っ込まれた。
特に「全然大丈夫」が大嫌いだったらしく、私がそれを言おうものなら、悪魔を滅せとばかりの勢いで怒られたものだ。
どうして「全然大丈夫」が間違いなのか、演説が始まってしまうと、私も逆ギレしてケンカになった。
きっと今頃、黄泉の国で「逆ギレは日本語としておかしい!」とご立腹のことだろう。

そんな私も、現代日本でよく使われる「永遠と○○できる」だけは、何故か気になって仕方がない。
それを言うなら「永遠に○○できる」か「延々と○○できる」だろと、突っ込みたくてムズムズしてくるのだ。
他の言葉は全然平気なのに、どうしてコレだけはダメなのだろう。
……はいそうですねお父さん、全然平気もNGワードでしたね。

しかし父はすごかった

そんな親不孝者の私が、今は父に会いたくて仕方がない。
娘としてではなく、物書きとしてだ。
書き方に迷うとき、失敗したとき、仕事が不安なとき。
父に相談できたなら、きっと二言三言、ぶっきらぼうな助言をもらえたのにと思ってしまう。

この仕事を始めてから、私は父の偉大さに心を震わせている。
毎日毎日、推敲する余裕も無かったであろう、時間刻みの納期を守って原稿を書き続けていた父。
河原に土筆つくしが出たというような季節ネタから、殺人事件の取材まで、どんな記事でも見事にこなしたものだ。
アナログからデジタルへ、時代が一気に流れたときも、何とか食らいついて対応していたのだろう。
ケンカばかりしていたけれど、実はものすごい人だったのだと、生きている間に気付きたかった。

ねえお父さん、こんな娘に、今だったらなんて言う?
何やってんだって怒るのか、仕方ねぇよって慰めるのか。
いや、あなたの性格じゃ、慰めるってことはしないよね。

仲が悪かった父のことを書いているのに、どうして今、私は泣いているのだろう?

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