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【小説】オールトの雲 vol.1

作:石川葉

 カナン:Phantom Girl's First Love

 私はいつ尾を曳いて君の前に現われよう。
 できれば、よい予感と出来事を運んであげられるように。
 私の祈りは大気の層で粉々に砕けて星屑になる。
 君は願いをかけてくれるだろうか、私の体の塵は流れ星になる。

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 私は自宅のベランダで群青の夜空を見上げながら、ひとつため息をついた。
「カナンちゃん、恋をしたね」
「ヨナちゃん、ご名答」
 私の視線の中に割り込んでくる、私にうり二つな顔は妹のヨナちゃん。今にも破裂しそうなポップコーンみたいな瞳は好奇心で満たされている。
「カナンちゃんが恋ねえ」
 ふふふと含み笑いをして、ヨナちゃんはもう一度私の瞳を覗き込んだ後、指でわたしの髪の毛を梳いて部屋の中へと去ってゆく。その指は、後でゆっくり、という言葉を含んでいる。
 ヨナちゃんは私の双子の妹で、私によく似ていて美人です。
「わたしはいつかクジラに呑み込まれて世界中を旅するのが夢です」
 と真面目に言うくらいには壊れている女の子。
「カナンちゃんは犬のお散歩程度がお似合いよ」
 ヨナちゃんはちょっぴり意地が悪い。綺麗な顔で綺麗な声で、とびきりの笑顔で悪口を言われるものだから、言われた瞬間には何を言われたのか分からずにぽかんとして、そのあとなんだか唖然としてしまう。そんな私を見すえては、ジョークよ、と言う。とてもタチが悪いと思う。
 私たちは一卵性の双子だから、だいたい遺伝子もホロスコープも一緒のはず。似たような人生を歩むのかしら、と思っていた。
 でもそんなこと全然なかった。
 ヨナちゃんは軽音部に所属していてバンドのベーシスト。
 私は園芸部の幽霊部員(ゴースト)。にもかかわらず部室にはよく顔を出している。カート・ヴォネガット・ジュニアの文庫を携えて、部室の窓枠に腰掛けて陽が傾くまで読書。
 ヨナちゃんはモテモテ(女子にも)。
 私は彼女と同じ容姿なのに浮いた話はさっぱりない。雲ひとつない五月の空みたいなすがすがしさよ。ああ、カナンちゃんの青春は死にました。そういうものだ。
 そんな私にも夢はひとつくらいはあって、それはいつかオールトの雲という架空の領域にいる、まだ誰にも知られていない彗星を見つけること。そして私の名前を付けること。
 ヨナ・カナン彗星。
 うーん、どうしてもなんか先にヨナちゃんがそれを見つけてしまって、でもお情けで私の名前も入れてもらうようなイメージしか浮かばない。
 彗星が好きだというのに、天文部がないからといって、妥協して園芸部に入るという意識の低さ。ヨナちゃんなら部活をつくっちゃうだろう。実際、ヨナちゃんは軽音部を立ち上げたひとりだ。中学で軽音部があるなんて、わりとめずらしいんじゃない?
 ひるがえって、私はどこまでいっても後ろ向き。消極的。自分という存在の希薄さ。なんだけれどさ……。
 なんだけれど。
 そんな私が恋をしてしまった。
 その男の子は奇跡的に、この地球に生まれ、あろうことか日本に住んでいる。そして、どうやら私と同級生みたいなんだ。
 でも。
 彼の容姿を私は一ミリもしらない。いくつかのプロフィールをタブレットの画面の向こうのネット情報で知っているのみだ。
 彼の名前は川原吹青。陸上競技をやっている。
 彼を見つけたのは、グーグル検索をしていてたまたまだった。彗星のことを調べようとして、変換候補の下の方に出てきた吹青という言葉が少し気になって調べてみた結果だった。
 吹青という言葉自体は青色の釉薬を塗った磁器ということは分かったけれど、ページの下の方に少し違う感じの文字列が飛び込んできた。『川原吹青、一一〇メートルハードル決勝八位入賞。』
 これだけ。でも。
 カワハラスイセイ。私は、彼の名前に恋をした。スイセイなんて素敵な名前。
 私は殊更スイセイを愛している。

 私はヨナちゃんとそっくりな姿形なのだけれど、実は見分けることができる部分が一箇所だけ存在する。
 私のお尻には、小さなちいさな突起がついている。尻尾だ。
 手術をしなければ困るほど大きくはなく、洋服だってヨナちゃんとお揃いのものを身に付けることが出来る。
 ただ二人が裸で並ぶとその違いがはっきりと分かる。両親は言う。
「尻尾があるのがカナンちゃん。ないのがヨナちゃん」
 その話題になるとヨナちゃんはちょっとむくれる。
「なんか尻尾とか六本目の指とか、明らかに個性的でかっこいいじゃないか」
 私はそういうヨナちゃんの反応を見ると少し得意な気分になる。
「でもカナンちゃん。わたし以外にこの尻尾の話をしたらダメだからね。きっとどこかのマッドな博士の研究材料にされちゃうよ」
「私だっていやだよ」
 私はうそぶきながら思いを巡らす。
 小さな頃から尻尾のあるものに勝手に愛着を抱いていた。猫のかぎ尻尾に惹かれた。大きく振られる犬の尻尾に憧れた。カナヘビの尻尾をいくつもいくつも集めた。ひからびたたくさんのそれを見つけたお母さんは悲鳴をあげ、すばやくゴミ箱に投げ入れ、私の机まわりをしつこく除菌した。そして、こんなことをしてはいけない、とこっぴどく叱られた。別にいいじゃんね、と思ったけれど、般若みたいな母の形相に私は泣いてあやまることしかできなかった。
 それで、スズメガの幼虫(イモ虫)のぴょこぴょこ尻尾もかわいくて好きだったけれど、捕まえて帰ったら大変なことになりそうだったのであきらめた。
 牛や馬の自由自在な尻尾にあこがれた。ふと、この世で一番大きな尻尾は何だろうと考えた。もう恐竜はいないし、やっぱりクジラかなあ。ヨナちゃんと一緒にホエールウォッチングをするのはいいなあ、なんて考えていた。
 その後、もっと大きな尻尾の存在を知ることになる。
 もしかして地球そのものを滅ぼすことが出来るかも知れないほどの存在。
 それは、ネイチャー系のテレビを見ていた時だった。
「その大きな尻尾は軽く地球を飲み込んでしまいます。3.8天文単位に及ぶものもありました」
 なになに、天文単位ってなに? 調べてみたらそれは、とてつもない距離だった。一天文単位は地球と太陽との間の平均距離なんだって。
 でかい! 私は一発で彗星にやられた、彗星が好き!
 オールトの雲から長い周期でやって来る天体。彗星。尻尾を持つという、勝手な親近感だけれど、時々しかやって来ないということにも惹かれたし、何より生まれ故郷が謎に包まれているということにもとても強く惹かれた。
 オールトの雲という領域で彗星は作られる。だけれど、それはオールトという天文学者が設定した架空の領域であるということ。
 架空の領域。その領域で生まれた私はヨナちゃんと同じ遺伝子、同じ星回りを戴いているにもかかわらず、決定的に違う軌道を描くのだ。
 ヨナちゃんが太陽みたいにキラキラ輝く存在なら、彼女を重心としながらも、独立して輝き、尾を曳くことが出来る特別な存在。氷の塊、私のコアは冷たく冷えている。

 そんな勝手に親近感を彗星に抱いている私が、ただ吹青という名前だというだけで、顔も知らない同級生の男の子に恋をしている。
 私は、部屋の中に戻って包み隠さずそのことをヨナちゃんに打ち明ける。どうせ隠し事をしたって以心伝心してしまうのは双子のさがだ。だったら最初から話してしまった方が面倒は少ない。
 椅子に腰かけ足を組んでいるヨナちゃん。私は床に座り込んでヨナちゃんを見上げてことのあらましを伝える。うんうん、ともっともらしくヨナちゃんはうなずいた後で、
「それはとてもカナンちゃんらしいな。これはぜひとも実際に走っているところを応援しにいかなくてはいけないな。リサーチが必要だよね。わたしが競技情報をチェックしておいてあげる」
 ヨナちゃん、それはお節介というのだよ、としかつめらしい顔をして言ってみたものの、本当はヨナちゃんがそんな風に言ってくれることを願っていたのだ。こういう甘え方、長女の方が少しだけ上手にできるのだ。その特権は不公平だと自分でも感じながら、手放す気がないところがいやらしいというか打算的というか。私は、両親にもヨナちゃんにもこんな風に甘えてしまうのだ。
 
 そして私たちは、名前しか知らない、今のところ架空の存在である吹青くんを応援するために旅に出かける準備をはじめた。彼は、全国大会に出てくるようなアスリートではないみたいだから、彼の所在地まで私たちは遠征するのだ。
 地方大会はしかし、平日に開催される。私たちはどんな風にしてそこへ乗り込むか計画を綿密に立てた。
 私たちには普通に授業がある。二人揃って病気を患うことは難しい。いや、応援をしなくてはいけないから、少なくとも仮病をつかわなくてはいけない。応援する側が病んでなどいられないのだ。
 日帰りできないほどの距離ではなかったけれど、特急に乗らなくてはいけない。資金はどうしよう?
 しかし、私たちはそういった懸念を振り切って競技場に向かうことにしたのだ。
 両親には嘘をついて出てきた。いや、嘘をつくことをしないで、いつも通りにいってきますと家を出発した。
 特急料金はなけなしのお小遣いとお年玉の残りを使うという正攻法に出た。
「わたしの分はわたしが払うのかな?」
「あたりまえでしょ」
 ヨナちゃんがとぼけたことを言うので、私は置き去りにすることも少し考えた。でもヨナちゃんが好奇心に負けることなどないことを読んでいた私は心配などしていなかった。
 結局、チケットを買ってきたのはヨナちゃんだった。彼女は非日常が大好きなのだ。
 私たちは駅のトイレで制服から私服に着替えて特急列車を待つ。この駅からその地方まで一本で行けるなんて、カナンちゃん、もしかして二人は運命の糸でつながっているのかもよ、なんて言う。まあ、それはないな。電車が一本でつながるくらいで運命なら、携帯電話でつながったら添い遂げることまで出来そうだ。
「サングラスも必要かな」
「それはかえって不審だよ」
「だよね」
 私たちは特急列車のボックス席に腰掛ける。
 平日の朝の時間に多いのはサラリーマンの姿。私たちが向かい合わせに座っていると少し怪訝な顔をして別の席を探しに行ってしまう。
「電車の旅にはポッキーだよね」
 交互に取り出し、カリッ、ポキリと食べ始める。
「そうだ、わたし、カナンちゃんを応援するために道中で聴くプレイリストを作ってきたんだった。LINE MUSICで共有しておいたよ。一緒に聴こうよ」
 ヨナちゃんは音楽をやっているだけあってそのセンスに私は絶大な信頼を寄せている。
「一曲目はこれだよ」
 ヨナちゃんがiPhoneの画面を私に見せてくれる。見覚えのあるピンクのドラゴン? のジャケット。
「あ、この曲好き」
 これは坂本美雨のPhantom Girl's First Loveだ。ファーストラブは分かるけれども、ファントムガール?
「ヨナちゃん、ファントムガールって何?」
「うーん、幽霊? ゴースト? ほら、カナンちゃん園芸部のゴーストだし、似たようなものじゃない?」
 プレイリストを開くと「スイセイLOVE」というプレイリストができ上がっていた。
「ちょっとこれ、公開されてんじゃん!」
「そんなの誰も見ないって」
 そんなの、ってなんだよ。そもそもLOVEってなんだよ。LOVEっていうかFavoriteなんだよなあ、と思いながらプレイリストを開く。
 何だか承服しかねるけれど、初恋にちなんだ曲だし、とてもいい曲だし、まあいいか。
 私たちはせーの、のタイミングでそれぞれのiPhoneで曲をスタートさせる。どちらも両親のお古のiPhoneに格安SIM? を入れて使っている。何とかコントロールで機能は制限されているんだけれど、音楽はLINE MUSICのファミリープランに加入しているから、新旧織り交ぜた曲を聴くことが出来るみたい。
 イヤフォンを差し込んで流れてくる音楽に体を預けて寄りかかり、無意識にポッキーを口に運ぶ。カリッ、ポキリ。
「ヨナちゃんてさあ、もてるよね」
「まあね」
「でもすぐにふられちゃうよね」
「うん」
「なんで?」
 聞きたい? と私を上目遣いで覗き込んでくる。何か企んでいる?
 私が少しおののきながらもうなずくと、長い髪をさっと掻き上げて、窓枠に右肘をついて車窓の外を見ながら語り出した。
「わたし、よく放課後、男の子と帰るじゃない? 基本的には誘われたから、いいよ、と答えて帰るわけ。で、そういうシチュエーションてすごく緊張しちゃうんだよ。笑わないでよ、分かるでしょう?」
 私はうん、とうなずく。
「でさあ、本当は音楽の話とか、洋服の話とかおしゃれなことを話したいのね。でも、中学の男の子たちって、そういう部分全然ダメなの。わたし、アイドルとかってよく分からないし、ママと一緒に洋服を選ぶなんて論外なんだよ」
「ヨナちゃん、手厳しいね」
「で、なんかいきがっているのはヤンキーみたいになっちゃって、地方都市のヤンキーってまあ、イオンモールがあれば全てが満たされちゃうでしょう。わたし、そういうのじゃないんだよね」
 ヨナちゃんはポッキーをかじる。カリッ、ポキリ。
「で、そうなると、お休みの時何をしているかの話しになるんだよ。わたしたち家族は、特に何の疑問もなしに教会に通うでしょう」
 私は、うんとうなずく。私の名前、カナンは約束された土地という意味を持つ名前だ。直接的な引用箇所はイエス様に「あなたの信仰は立派です」と言われたカナン人の女に由来しているという。ヨナちゃんのヨナは、旧約聖書に出てくる預言者のひとりの名前だ。クジラに呑み込まれたのは本当の出来事だ。
「で、教会に通っているんだけれど、君も一緒に行く? と誘うんだよ」
「ヨナちゃん、それはすごいね。伝道をしているじゃないですか」
「奏功したことは一度もないけれどね。やれ部活だ、やれ今週は用事があって、とか体よく断られることが多いんだよね。あ、かわいい子もいっぱいいるよ、とかも誘ってみるんだけれどさ、どうもそれはわたしのことどう思ってるの、っていう地雷みたいなものだと勘違いされちゃって、余計に失敗しているんだよね」
「でもヨナちゃんすごいね」
「うん、なんとかイケメンを教会に引っ張ってきて、それをエサにかわいい子をたくさん連れてきて、で、それを見た男子たちがやってくる、という夢のコンボを決めたいと思っているんだけれど、うまくいかないなあ」
 私は、その事実を初めて知って、なんだかとても恥ずかしくなってしまった。クリスチャンである私の使命は福音をみんなに知らせること。で、みんなと天国で再会すること、なのに。自分の初恋のことでてんてこ舞いになってるなんて、これはちょっと恥ずかしいことじゃないのか。
「でも、カナンちゃんみたいにちゃんと恋をして、その人を連れて行くっていうのが理想なのかもな。クリスチャンの男の子ってなんだかダサイんだもん」
 私は、ははは、と乾いた笑いをしてしまう。そうだねえ、私の通う教会にはかっこいい男子はいないかもねえ。高校生にはちょっといるかなあ。
「ここ、あいていますか?」
 突然声を掛けられてあたふたする私たち。
「ああ、はい。もちろん、どうぞどうぞ」
 ボックス席に入ってきたのは若いお母さんと赤ちゃん。赤ちゃんのふんわりとした甘いようなだるいような匂いに私はちょっとうっとりしてしまう。
「かわいい! こんにちは! すごいかわいい!」
 やたらとはりきって声を掛けるヨナちゃん。すごく積極的な態度に見えるけれど、実はとても緊張していることの裏返しだということを私は知っている。私は緊張してなかなか声を掛けられないタイプだけれど、ヨナちゃんはこれを越えていきたいと思っているみたい。ステージに立ちたい、でもフロントよりは後ろの方で、というのが彼女がベースという楽器を選ぶ理由なんだな。
 赤ちゃんはくるくるした瞳で私たちを交互に見ている。おんなじ顔が二つ居るのはきっと初めてなのだろう、それは不思議な光景だろうねえ。赤ちゃんはおあいそも上手で、私たち二人に平等に笑顔を分け与えてくれる。
「中学生? 今日は学校はお休みなの?」
「いえ、今日は陸上競技会があって陸上部の遠征の応援に向かっているんです」
 ヨナちゃんはよどみなくすらすらと答える。私は少しうしろめたい気持ちになっちゃうんだけれどなあ。
「赤ちゃん、お名前は?」
「あおいっていうの」
「あおいちゃん、かわいいでちゅねえ。あ、ほっぺに触れてもいいですか?」
 どうぞ、と促されるままに指先で触れる。私たちが同時に覗き込むと、先ほどと同じくるくるした瞳で私たちの顔を交互に覗き込む。ヨナちゃんはサカナクションのAoiを小さく口ずさんでいる。
「双子の女の子を見るのは初めてだものねえ」
 きゃっきゃ、と笑うあおいちゃんの睫毛はお母さんに似て、とても長くてぱっちりとしている。
 しばらくの間、私たちは空間をともにした。私たちの降りる駅の少し手前で二人は立ち上がった。
「さよなら。よい応援ができるといいわね」

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 パン、という号砲とともにランナーが一斉にスタートを切る。
「スイセイ! ゆけー!」
 ヨナちゃんが立ち上がり大声で応援をする。陸上トラックの脇で何人かがこちらの方を向いた。
 ハードルを飛び越える。
 ガタガタといくつかは倒れる。
 私は息をのむ。
 吹青くんとおぼしき姿を追いかける。
 あ、あ、と思う間にゴールラインが近づく。
 バタバタと空中を泳ぐように手を回す走者たち。

 吹青くんの順位は分からない。
「ゆくよ」
 私の腕を抱え、ヨナちゃんが立ち上がる。
「何……?」
 ヨナちゃんはまっすぐにトラックの内側に私を引いてゆく。
「ちょ、ちょっと……」
 私たちはクールダウン中の吹青くんの前に立つ。
 私たちを見て面食らったような顔の吹青くん。
「川原スイセイくんですよね?」
「あ、はい」
 吹青くんはめちゃくちゃキョドっている。周りの好奇の視線が痛い。
「写真、一緒に撮らせてもらっていいですか?」
 あいまいに頷く吹青くんを見て、
「カナンちゃん、早く」
 私は、思いがけずさっと、彼の隣に並んだ。ヨナちゃんは、ダッドに借りた一眼レフのデジカメをかまえている。
「Say cheese.」
 ネイティブみたいな発音で(でもきっとデタラメだと思うけれど)ヨナちゃんがスマイルを促す。私はVサインをして小首を傾げて見せる。
 写真のあと、私は勢いに任せて握手を求めた。おずおずと差し出される彼の手をがしっと握る。汗で手のひらはぐっしょりと濡れていた。
「ありがとうございました。これからも陸上頑張ってください」
 あなたの(名前の)ファンでした。これからもずっと。 
 私たちは写真を撮り終わると競技場を後にした。振り向くと、吹青くんが部員らしき人たちに取り囲まれていくのが見えた。私たちは颯爽と競技場から去ってゆく。
「吹青くん、意外にイケメンじゃん。彼女居るんじゃない?」
 ヨナちゃんは余計なことばかりを言う。私は走っている吹青くんを見られただけでも幸せ。次に出会えるのがハレー彗星並に遠くの時間でも満足だった。
「彼女がいたって別にいいし」
「LINEとか交換しなくてよかった?」
「うんいい。なんか満足した。ヨナちゃん、ありがとう」

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 私たちの遠征旅行は、次の日にあっさりばれる。そして、先生にこってり絞られた。その話はまた今度にしよう。今はまだ、あの日の余韻に浸っていたい。それでも私の初恋は、恋心は、直接吹青くんに会うことでどうも解消されたみたいだった。
 今はまた、園芸部の部室の窓枠に腰掛けている。イヤフォンから流れてくる音楽はPhantom Girl's First Loveだ。幽霊の恋は流れ星みたいに刹那で消えてゆく。
「あれ、ヨナ、じゃねえ、か。ごめん間違いました」
 私をヨナちゃんに見間違えるなんて珍しい。ああ、でもイケメンはみんなヨナちゃんに吸い込まれていくわけだ。少しくらい間違って好きになってくれたっていいのになあ。しかしまた美しいツーショットを放課後に眺められるんだねえ。

 プリントアウトした吹青くんとツーショット写真を手に取る。吹青くんの表情はとても強張っている。私はヨナちゃんと見紛うばかりの明るい表情で笑っている。
 私はいつか、遠い将来、吹青くんにばったり会うことがあれば、こんな風に伝えたいと思っている。
「あなたのハードルさばきは今でも目に浮かべることができるくらい素敵でした。尻尾の残像が見えるくらいに、とても美しかったです」

第一話 おわり

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次回 第二話 ヨナ:ジョニー

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<セットリスト>

"Phantom Girl's First Love" 坂本美雨

"AOI" サカナクション

スイセイLOVE

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