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『未草独白』の批評を受けて、わたしが自由に語る。サンキュー、雲に星をぶら下げる仕事についても話してみるよ。

透明批評会参加者のみなさん、石川葉「未草独白」への批評の投稿をありがとうございました。またコメント欄への投稿をいただいた多くの方に感謝申し上げます。

それぞれのエントリーのコメント欄に石川葉のレスポンスがありますので、ぜひ、みなさんの批評にアクセスしてみてください。

ですので、このエントリーでは、「わたし」が批評を読んでの感想を自由に語っていきたいと思います。「雲に星をぶら下げる仕事」の観点からこたえられたらと願っています。

サンキュー、これは、わたしのうたうアンサーソング。あなたの放った光に照らされてわたしもまたたく。まだ、もう少し、わたしはうたうことができそうだ。

亀野あゆみさん

「美しいイメージの氾濫」、なんて、わたしはとても嬉しくなってしまう。美しい何かが心のうちに湧き出して、それが踊り出すような氾濫があるといい。わたしはそのために言葉をもっともっと磨かないといけないと思う。そうしたら、届けるのではなくて、惹きつけることができるようになるだろう。

「ロールシャッハ」の不明は、氾濫が過ぎるためかもしれない。星座となるか星雲となるか、いずれにしても、わたしが目指すべきは、はっとする美しさだと、思う。

「オマージュ」は、つい多用してしまうわたしの悪い癖だ。高橋源一郎さんの「さようなら、ギャングたち」で挿入されていた「アガートは大好きさ、フレガートが」のフレーズを「恐るべき子供たち」で見つけた時の喜びが、たぶん、それをさせる。でも、それは「さようなら、ギャングたち」が最高に素敵だからできることだ。わたしもそれを目指さなくてはならない。それがとびきり上手にできたら、読者を何度も喜ばせることができると思わない? 知ってる人、知らない人、後で知る人、それで興味を持って知る人。
わたしの課題として、静まって、しっかり受け止める。

(サンキュー、星座を湛えた牡鹿のダンスが夢に現れますように)


笹塚心琴さん

「美しい映画の上映会」、なんて、わたし、小躍りしちゃうよ。最初から最後までそれを続けられる力が欲しいと願う。

「震災のくだりで一気に痛みを伴う現実に引き戻される」
ある意味、わたしの狙いが奏功したとも言えます。でも、それは、表現としては失敗の上に成り立った成功なのかもしれない、と考える。読者に甘えている部分でもあるかもしれない。わたしのうたではなくなっているのかもしれない。ニュースの映像や文言をサンプリングする楽曲はあるけれど、もっと慎重にならなくてはいけない。
ここに関する答えはまだ見つけていない。

この物語を書くにあたって、釜石線に乗って岩手沿岸までロケハンをしてきたのだけれど、その頃ちょうど、多くの工事が行われていた。それは、もしかしたら、ラグビーのW杯の準備だったかもしれない。

レンジー、かわいいよね。こういうのは、余白とは違うと思うけれど、ただ、強い表現をぶつけるだけではない、何かを見つけないといけないだろう。
もう少し、わたし、探してみることにするよ。
ところで、レンジー、オリンピックマスコットよりかわいいよね。ラグビーW杯の成功を切に願う。

(サンキュー、カモシカのつがいがお互いの額にキスしあうのを見れますように)


天羽々幽香さん

「序盤が一番読みづらかった」
ああ、わたし、もしかして、今も同じことを繰り返そうとしているかもしれない。はぐらかすように、言葉を羅列すること。
実は、初稿18枚くらいは、一気に書き上げたんだ。最初のあの感じがいつまでも続く、繰り返される。その中にはスティーブ・ジョブズやブルーノ・ムナーリなんかも出てきて、はちゃめちゃだった。
テーマが明確な二番が読みやすいと言ってもらえたのは救いです。どちらもわたしの表現だから、わたしは臆することなく、磨くことを選ぼうと思う。

「擬人法が気になる」
ああ、わたし、もしかして、の続き。このわたしが、未草でもあるかもしれない、と思ってわたしは書いている。私、石川葉の中に、たくさんのわたしがいる。詳しくはこちらにエントリーしたので、時間がある時に読んでもらえたら嬉しい。私は病気で、その上で、できる表現を探している。わたしを読み取ってもらえるヒントがあるかもしれない。他力本願でごめんなさい。

「その他もろもろ」
「私はレンコンであると言っている気がしてしまいます」
この、レンコン、というところで、わたしの目は開かれました。コメントにも書いたと思うけれど、これは他のお話の膨らみに確実に影響を与えます。

未草独白はある種のファンタジーを描いています、イーハトーブ含め。かなり作者の自由度が高い物語だと思っている。
いつか、設定の厳密なハイファンタジー小説も書きたいと思っています。ウンディーネが主人公の物語。構想はできているのだけれど、筆はとまったまま。でも、これも一種、独特な物語になってしまいそうなのだけどね。

(サンキュー、鯨の寝言が歌となって、耳元に届きますように)


成田 くうこうさん

「惹かれたのは色彩感覚でした」
わたしは、素直に喜ぶ。色彩感覚が問われる仕事もしていたから。でも、本当は自信がない。そういう時はカラーパレットを見る、色彩辞典をたずねる。見える景色に近い色をピッカーで拾う。その色に意味が込められていると、言葉は、ふくよかになる。そういうことを続けていきたいと、わたしは思う。

「子どもに戻って、小さな宇宙の揺りかごに乗せられてゆらゆら揺られているよう」
一番は、そういううたになるように、心を砕いたので、これもまた素直に嬉しい。いっそそのまま眠ってくれてもよいのだと、真剣に。そこで見る夢がとびきり素敵だったら、それがまた嬉しいと。

「羊は喋れないのか?」
喋れたら嬉しいねえ。どう? 何か語ってみる? ん、まだ分かんない? まだ分かんないみたい。

「睡蓮はどうやって羊の背中に乗るのか?」
天羽々さんの言葉にヒントがありました。それとは別に、未草独白は映画「ペーパー・ムーン」にも影響を受けています。それで、わたしはテータム・オニールが座るみたいにして、腰掛けている。未草は「ペーパー・ムーン」の時のテータム・オニールを想像してください(軽口なので聞き流してください)。
実は、ちょっとマンドレイクを意識もしているのです。うたをうたうところなんかもね。

「イーハトーブの下りがちょっと難しいよ」
ここでもう一度、羊達にインタビューします。いかがですか? 何か語れますか?
……。
本当に、ここについての答えをわたしは、未だ持ち合わせていない。何かのきっかけで(もちろんキックオフはこの透明批評会だ)回り出しそうな気がしています。
もう少し、時間がかかると思います。

「これは書くことに対して切実な人だけに与えられる種類の幸せ」
書くことへのきっかけになったのなら、それは、本当に嬉しいこと。ぶら下げられた星は、作り物かもしれないけれど、夜を演出する。それは眠りまでの自由時間、受容する心に届く。星をつくってもよいのだと、雨に濡れる星でもよいのだと。

(サンキュー、言葉の端がめくれて、蝶のはばたきとなりますように)


アセアンそよかぜさん

「もし実際に優しく話しかけられたら、思わずその話を耳を澄ませて聞いてみたい気がするからです」
うんうん、聞いてみたい、とっても。わたし、いつかみどりの指ならぬ、みどりの耳をもてたら、と願う。でもね、花々のお喋りって、すごく噂話とかしてそう(というのをモチーフにした物語が、いつか発表するアネモネダイアローグです)。

そして、現実世界ではこんなことも(記事はちょっと古いけれど)。植物学者に真剣に研究してもらって、わたしはそのエッセンスで、物語を紡ごう。

「最後は「婚礼」と言うちょっと明るめ内容で締めくくって」
やっぱり、喜びのお知らせが届くのは嬉しい。冠に姿を変えたミモザ達も嬉しくてうたっているように思うのです。電信柱の新婚生活を想像するのも、また楽しいことです。

「いきなり「現実」に引き戻されるような気がしたこと」
序、というアイデア、なるほど、と思いました。現実と心象スケッチの、もっと上手な融合が必要なのかもしれない。それはまさしく作者の手腕に依るところなので、本当に真剣に考えなくてはいけない。
手品よりもスマートに、サーカスよりもスリリングに、現実から遠く離れ、ねむれねむれと催眠できるように。

(サンキュー、ラナンキュラスのつぶやきが、耳たぶをくすぐりますように)


丹宗あやさん

「タイトルは未草独白、でよかったのか?」
ナカグロなしのスイレンモノローグにしようかなあ。わたし、まだ、ずっと考えている。丑三つ時に、未がうたう(奇妙な物語)というのと、そうそう、未草書房(私の個人活動)の最初の物語だからつけた、というのもある。未草、かわいくてまだ悩んでる。

「「君」は一体誰(あるいは何)なのか」
まだ見ぬ君も求めてる。でも、noteで開かれて、わたしはよかった。これからもたくさんの物語を開いてゆこうと思っている。いつまで正気を保てるのか、本当によく分からないから。でも、年齢を重ねることで寛解することもあるらしいし、気長に、「わたし」と付き合っていきたい。

「素晴らしい構成、スリープソング」
分析してもらえて、その構成を汲んでもらえて、とても嬉しい。
いつか、三番、四番、五番を書けたらいいな、と思う。それで再構成するという方法もあるな。そうしたら、もしかして、いろんな懸案が解決するかも? モノローグでもなく、ヒツジがうたうこともあるかも! タイトルまわりを含めて、もしかして……。
冒頭に戻る、というのも好きなのです。そのうたを通り抜けて、それは非可逆だけれど。物語はそのままなのに、見えてくる景色の変わること。難しいけれど、チャレンジしていきたい。

「きらびやかなディテールとダイアローグの魅力」
「誰のための、何のための物語なのか」
結果的に、とても実験的な物語を用意したことになります。批評されるなら、この作品だよね、という直感でした。批評に加え、多くのコメントをもらえたので、本当に恵まれた作品となりました。わたしは、これをさらに磨く必要がある。まだまだ変容できる可能性を見つけました。
わたし、ランウェイに立ち、キャットウォークもできるよ。コレクションの最後もやっぱりウェディングドレスがいいものね。
そして、お喋りする物語がうずうずしているから、彼女達のメイクもはじめなくちゃね。

(サンキュー、白鳥のララバイが、羽のぬくもりとともにありますように)

雲に星をぶら下げる。
それはつまり、太陽も月も星も遮られている、昼と夜。
そんな時代でも、物語を書き続ける。
焼かれても、誰かの心を照らせればと、大きく願う。
ねえ、素敵な星をつくって、飾ってみない。
溢れれば、それは真昼のようにまばゆくなるかもしれない。

お読みいただき、ありがとうございました。
そして透明批評会はまだまだ続きます。様々な言葉が寄せられて、ひとりひとりの物語がさらにまばゆくなりますように。

今回の企画を立案・運営してくださっている丹宗さんに感謝を。ありがとう、わたしは、物語を書くことに、怖れのひとつをなくしました。とにかく、持ち合わせているものを、そして新しい物語を公開してゆこうと思っています。
そして、これからの展開も楽しみです。
批評されること、すごく力になるよ。つまずく部分もあるにしても、それはきっと必要なこと。そこから新しい言葉が芽吹いて、それは、たちまち嬉しい。


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