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unu korpo

日本では、節目の日となった5月1日、わたしたち夫婦は病院にいました。クリニックで、妻が穿刺吸引細胞診を受けたのですが、その結果がよいものではなく、すぐに紹介状をもらって大きな病院で針生検を受けるためでした。

結果は10日後に判明しました。
乳がんでした。
他の臓器への転移がないか調べるため、CTスキャンを受けました。
その結果が今日、分かりました。
他の臓器への転移は見つからなかったこと。
手術前にMRIも受けて、そこで浸潤があるかが分かり、ステージもはっきりするそうです。それでもおそらくステージとしては0か1であるということ。初期の段階です。

がんと診断されて、すぐにわたしたちは通っている教会の牧師に祈りの要請をしました。また教会員にも伝えてもらいました。がんが癒されるように、転移がないように。わたしのツイートを気にかけて、クリスチャンの友人、というかお世話になっている方(わたしたちは姉妹と呼びますが)も手紙を送ってくださいました。カトリックのその方は、ルルドのパティスリーを届けてくださいました。わたしたちは、すぐに祈りの要請をメールで伝えました。

わたしたちはクリスチャンですから、転移がなかったことを主の御業と信じます。多くの祈りが捧げられ、それが聞かれたと信じます。そしてクリスチャンでも(当たり前ですが)病になることは避けられないことを覚えます。
聖書の中にはこのような御言葉があります。

...「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
ヨハネの福音書9:2-3

病になるのは(様々な要因はあるにせよ)、何か悪いことをしたからというのではないこと。むしろ(信じるならば)神の業が現れること。
妻の病に主の栄光が現されることを切に祈ります。

わたし自身は統合失調症で障害者手帳を持っていますし、はたから見ると随分不幸に思われるでしょうが、それでも喜んで主を賛美します。もちろん、嘆くことは多いです。どうして、と口をついて出てくることもしょっちゅうです。

これからの妻の手術や闘病生活を考えると(主に金銭面で)大きな不安があります。だからといってがむしゃらに働ける健康さはありません。どうしたらよいか、これから祈りつつ考えていきたいと思っています。

それでも、決めたことがあります。わたしは、日曜日に働くことをやめ、日曜礼拝に参加すること。昨年末くらいまでは、礼拝に参加した後、出勤していたのですが、今は体調が悪くてそれができない状態です。医師の意見書は、週4日、1日6時間程度の勤務が望ましいと提出されています。現在は週5日、1日7時間の勤務なのでそれを週4日に戻すことにしました。お金が必要なのに、あさっての行動のようですが、無理をして欠勤することが多いので、結果的に、稼ぐ金額は変わりません。それよりもしっかり休みを取って、礼拝に参加し、土日休みの妻との時間を持つこと。増えた休日を執筆の時間に充てること。どうしても、ものを書くことを諦められなかったのですから、より強い覚悟を持とうと思ったのです。
何より、聖書にある放蕩息子の例えのように、わたしたちは、しっかり天の父の元へ帰らなくてはなりません。そしてそこにある祝福にあずかろうと思っています。

霊は主の御元におきますが、体は旅に出ることもしっかり計画しようと思っています。本当に人生は儚く過ぎ去ってゆきます。楽しんでいても苦しんでいても、束の間です。それなら楽しむことを選ぼうと考えています。

わたしたち夫婦に子どもがいないからできる選択かもしれません。残念ながら、わたしたちの子どもは生まれる前に天使になりました。妻は本当にこの人生で癒されるべきだと思います。ですから、どうぞそのこともお祈りいただければ、と思っています。

わたしたち夫婦の人生は、つまずきが多いです。新婚早々、二人とも(会社都合の)無職になったり、新居の住所を間違って送ったせいで手紙が戻ってしまい、行方不明とされていたり(吉祥寺をふたりが笑って歩いているのが目撃され、その人によって安心がシェアされた)、わたしが身勝手にも自殺をしようと家を飛び出したり、様々なことがあります。ネタ人生なんて笑っていられないまま、不安定な道を歩んでいます。

それでも、今回の病を通して、多くの恵みがもたらされました。祈り、細やかな配慮、実際的な支援。

タイトルに掲げたunu korpoはわたしたちの指輪に刻んだ言葉です。エスペラント語で一心同体をあらわします。ノンクリスチャンだったわたしたちが、その後、教会に通うようになって聖書の中にその言葉があることを知って驚きます。

『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となる』と言われたのです。…
マタイの福音書19:5

ですから、わたしは妻の重荷をもっと担わなければならないし、わたしたちは手を取り合い、主を喜んで賛美することを選びます。

わたし自身は、noteは変わらずハイペースで更新しようと思っています。詩の勉強もこの1年は続けます。写真は、もしかしたらフルサイズミラーレスとあるだけのレンズ、そしてライカゾフォートも手放すかもしれません。でも、その前にAdobeStockに再びチャレンジしようかなとも思っています。ストックフォトで稼げるのなら、それはしっかりした手段です。
いずれはデザインの仕事にも復帰したい。でもその前に書き上げたい童話や小説がいくつもあります。それをきちんと完成させること。

妻の手術までは、少し時間があります。そのくらい余裕を持てることにも感謝します。とはいえ、がんであることには違いがないのですから、油断せず、日々を過ごしていきたいと思います。

また、健康診断も大事なことです。妻は、しこりに気づいた後、ほどなく健康診断があり、そこで精密検査を勧められたという経緯があります。

お読みくださり、ありがとうございます。苦しむ方があれば、わたしたちはその方のために祈ります。病によってわたしたちは主に近づくことができました。ですからその苦しみも益となるようにお祈りします。

次にわたしたち夫婦のことを投稿するときは、愉快なものをお届けしますね。なかなか微笑ましいものが多いんですよ。そうだな、例えば、MLLR:0066の「おもいだすわぁ」というリリィ。読んだ妻も、同じセリフを口にします。読み終わって、はっとしています。わたし、リリィと同じことしてた! すごく伝わりにくいけど、そんな風な愉快さなのです(読んだ人なら分かるかな?)。

そういうものをお届けできるように、とびきり人生を楽しみますね。


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