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無理に覚めなくてもいい -統合失調症とわたし- 【小説】火曜日の美術館

 昨日、半年に一度あるかないか、のような体調のよさに、つい浮かれてしまったわたしだ。午前中から振込やら引出やらの手続きを行い、午後には公園に撮影にまで出かけてしまった。

 今日は、起き上がることができず、午後になってもベッドから抜け出せずにいた。

 そして、夢を見る。
 今日の夢もまた、わたしを呑み込む。

 わたしはそこが夢の中であることを了解していた。それは珍しいことで、初めてかもしれなかった。

(取り壊された実家にいる。ということは、これは夢だ)

 雪の降る庭にわたしは出てゆく。
 家同様、庭にある木々も健在で、わたしはひときわ大きい柿の木を見上げる。雪が降っているはずなのに、辺りは黄色く明るく、まるで映画『オズの魔法使い』の黄色いレンガの道のよう。それで、わたしは自分の夢の世界の色をテクニカラーと呼ぶ。
 根元を見ると、そこには黒曜石の、おそらくお墓があった。

 わたしは家の中に戻り、あの石はなんなのかと、祖母に問う。
 母の姉の墓だと答える。
 おばは、ひとりいるが、その姉だという。おじは彼が子どもの頃に亡くなっているのは知っていたが、おばの存在は初耳だった。

 黒曜石のところに戻ると、墓の前で、ラメをまぶしたような球体の魂が浮いて輝いていた。
 それで、わたしは祈りを捧げる。そうすると、その魂は天へと昇った。

 ああ、これで、わたしは少し解放される、そんな風に思ったのは、目が覚めてからだったろうか。

 この夢が示唆するものはなんだろうかと考える。
 クリスチャンであるわたしに、成仏、という考え方はない。仏にはならず、神の子となる。イエスを信じたら天国に行くことが約束される。
 本当に存在したのか知らないおばが、もし、いるのだとしたら天国へ昇ってくれたら嬉しいと思う。天国に直行できるのなら、或いは、生まれる前に死んでしまった魂なのかもしれない。

 目を覚ましただろうわたしは、ベッドから体を起こし、エアコンの除湿ボタンを押す。
 室外機が唸る。
 キッチンにゆき、冷蔵庫からラズベリーのコーディアルシロップと炭酸水を取り出す。少し濃いめに割り、たちまち飲み干す。

(ああ、これで、わたしは少し解放される)

 本当に、そうだったらいいんだけれどな。
 わたし、やっぱり統合失調症でいることに疲れているよ。

 最近、わたしの最期がどうなるか、核心が見え隠れしている。
 覚めてしまえば、夢の世界はアナログフィルムのような粒子感があり、解像度も低いけれど、それでもそこに属している間は、そこは現実であり、わたしは生きている。

 ようやく目を覚ましたと思っても、そこは夢の中だ。
 なんどもなんども繰り返される。
 わたしは、映画『インセプション』よろしくコマを用意しないといけないかもしれない。もし、今日の夢のように、「ここは夢の中」と分かるようになってきているのなら、もう少し疲労は軽減される。
 コマを回し、倒れれば、ここは現実。

 現実?

 ほんとうに、ほんとうに?

 けれど、心のどこかはお気楽なわたしは、「コマじゃ、いやだな」とか考えている。もう少しおしゃれなアイテムの方がいいな、と思う。
 ひとそろいのカードがいいかもしれない。

 ドロー。
「石川葉はカミキリムシを見つけた。触覚を手綱にし、黄色いレンガの道を進む。エンカウントまで低空で飛行する」

 夢の中にとどまってもいい、と思う。
 あの、覚めようとする踠きがないのならば。
 あの時間が断然苦しい。
 今夜、眠る時に言ってみようか。無理に覚めなくてもいいよと。

 果たして、そうしたらわたしは眠り続けることができるだろうか。
 レンガの道を旅することができるだろうか。
 やっぱり恋しくなって、靴のかかとを打ったりしないだろうか。

 今度、クリニックの問診の時に、この連続する夢のことを尋ねてみよう。解決の糸口は期待していないけれど、似た症例があるなら知りたいと思う。

 とはいえ、ベルナデッタにはなりはしないだろう。
 『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老のようにたちまち腐る。わたしはもっと、もっと罪深いから、眠ったまま、生きながらにして腐るだろう。

 わたしの魂は永遠の約束がされているけれど、もし、それが夢の世界の連続ならば、それはやっぱりいやだなあと思う。とはいえ、ゲヘナに落ちるのはもっといやだし、もしかしたら夢の世界は煉獄のようなものかもしれない。

 プロテスタントのわたしに、煉獄という思想はないのだけれど、夢の世界の連続は、罪深く、聖さから遠いわたしへの、神様からのギフトかもしれない。

 死が近づいているのかな。
 でも、そんなにたやすくなんかないよな。

 それでも、地獄に落ちることのないわたしは、今宵、強気になって、眠るわたしにこう声をかけるんだ。

「無理に覚めなくてもいい」

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