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独り身の気楽さから大所帯に

体当たりNPO運営記(2) (2015年6月記)
「森ノオト」がスタートしたのは、2009年の11月20日です。わたしが長女を出産したのは2009年1月。4月に寺家ふるさと村の田んぼの畦で、ウィズの森の藤江社長とかねてから語り合っていた「地域メディアをつくろう」という夢に向かって、踏み出そうと決め、6月ごろから創刊に向けた具体的な動きに入りました。ウィズの森の地域貢献事業の一環として開設のための資金と月々の運転資金をご提供いただき、「ウィズの森の目指すビジョン・地域循環型社会づくりにそぐう内容であれば、内容は自由」という、ある意味、自由だけれども責任の大きい仕事に、身震いする思いでした。同時に、わたし自身のスキル、経験を最大限に生かせる「地域×環境メディア」の創刊は、とてもワクワクするものでした。

創刊から半年間は、1カ月間で取材を重ねて、毎月10日ごとに記事を更新するスタイルでした。ウィズさん関連のコラムが4-5本、農に学ぶ。関連のコラムが4本、ほかに10本ほどわたし自身が取材をして歩いて、毎月合計20本は記事を出していたのですが、半年ほど経つと、飽きてきて、ネタ探しに苦労する日々でした。しかし、面白いもので、半年続ければ読者がつく。読者から「自分の活動を掲載してほしい」「森ノオトってどんな風につくっているの?」と声をかけられ、それがきっかけで、森ノオトへの関心が高そうなメンバーを集めてスタートとしたのが「森のリポーター」です。2010年8月が最初の編集会議で、5人からスタートしました。

メンバーの好奇心や行動力、そもそものスキルの高さ(料理や手仕事など)に驚かされ、記事の添削を重ねるうちに文章力がのびていくのを見て、主婦の潜在能力の高さに驚きました。その後も、取材などで「この人、森ノオト向き!」と思った人に声をかけてはスカウトし、2012年ごろには森ノオトのリポーターが12名まで増えました。このころは、無邪気に、ただただ楽しいばかりでした。
当時は、いわゆる取材や記事の書き方マニュアルはなく、自由に取材してもらい、個別にアドバイスなどをしていたのですが、やはりちゃんとした取材術などを共有するほうがいいだろうということで、NPOになった2013年の初頭に初めて「リポーター養成講座」を開催しました。その時に、森ノオトの読者でリポーターになりたいという、ヘッドハンティング以外で集まってきたメンバーが初めて仲間になりました。そして2014年、2015年と、同じように読者からメンバーに……と、毎年8人、メンバーが増えています。「森ノオトらしい人をスカウトする」から、「その時代に応じたメンバーで森ノオトをつくる」ように変わっていきました。ストライクゾーンも、少しずつ、広がっていったような気がします。

一人でやっていた時は、スケジュールも自由で、自分自身の編集方針に合致していれば(自己矛盾がなければ)、自由に掲載できました。今は、広がってきたなかで、「森ノオトらしさ」を担保しつつ、「その人らしさ」を交えて記事をふくらませていく、そんな編集手法をとっています。人数が増えれば、そのぶん、コミュニケーションやマネジメントの負担は増えてきます。原稿料の源泉徴収税10%に、復興特別税が0.21%加算されることも、事務作業の煩雑さにつながっています。12名のほどよい規模感よりも明らかに大所帯な35名ですが、卒業あり、隠居や産休育休もありつつの、個々の成長に応えられる組織でもありたいと、料理部やエネルギー部の営業、クリエイター集団としての仕事獲得などにも動き始めています。

「こんな社会をつくりたい(こんな暮らしを提案したい)」という、メディアでいう「編集方針」に共感した人が集まり、それぞれ、編集方針に沿ってやりたいこと(取材)をやる。つまり、取材内容は参加リポーターの個人意志にまかせ、最終的には編集長を通過するので、『森ノオトらしく料理する」ことにはつながっているのかな、と。

最近、梅原さんとよく「森ノオトは出版社のようなものだね」と話しています。NPO運営をメディア編集の文脈で語ると、腑に落ちることがたくさんあります。わたし自身のバックグラウンドというか生き様が編集者そのものなので、編集者らしくNPOを編集していけたら、それはまた新しいものになるんじゃないかと思います。NPO経営はいつも崖っぷちというかよちよち歩きなのですが(苦笑)、同人誌、ZINE的な運営から、ちゃんと雑誌として成り立つような経営にステップアップすべく、精進していきます。

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