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自分の生業(なりわい)について思うこと

1年前、修士論文を書き上げて、新たな一歩を踏み出すことへの決意をnoteに書き記した。

組織と自分の間でもがき苦しみ、長くつらい冬が明けて、春に心機一転。組織の中身(中の人)は変わらずも体制を変えて、たどたどしくもフレッシュに再び歩み始めて、今、組織にいい風が吹いているのを感じる。私は新編集長の編集センスと細やかな感性のファンで、彼女の手によりライターの個性がみずみずしく立ち上がる記事を読むのがうれしい。新事務局長の人間力と覚悟に頼もしさを覚える。

私自身は、2014年来組織運営に集中するために止めていた執筆業を、昨年再開した。生活クラブ生協の月刊誌『生活と自治』で、エッセイを連載している。森ノオトで出会った活動や私自身の関心、暮らしを、誰もが応用可能な「考え方」として伝える、「#エコライフ実験室」という名前の連載だ。書いていてとてもラクで楽しく、透き通る呼吸のようにスルスルと執筆できている。

今年1月からは、友人(というよりも同志という言葉が合う)の山川勇一郎さんが立ち上げた株式会社さがみこファームを、広報支援・アンバサダーという立場で手伝っている。私の暮らす横浜とさがみこファームがある津久井エリアは、水源・流域という関係でつながっている。食とエネルギーの自給は、私自身のテーマでもあり、それを壮大なスケールで実現しようとしているチャレンジに心動かされる。自分のスキルや経験を求められ、それを生かす場があるのは、ありがたいことだ。あの風景に会いたくて足を運ぶし、私のもう一つの居場所になりつつある。

この夏は、夫の発案で始まった家族プロジェクト「横浜市長選全候補者インタビュー」に取り組んだ。長女の主権者教育のために夫が主導し、イヤイヤ取り組んだ長女、ワクワク相乗りした私。私の記者人生のなかでも、最大限に集中して書ききった記事の反響はものすごく、森ノオト史上最大のアクセス数となった。家族や森ノオトメンバーとの分析を重ねるなかで、政治とメディア、ローカルなジャーナリズムの役割もくっきり浮かび上がった。

こんなふうに、自由さをもって自分自身として「書く」「伝える」を取り戻していくと、素直な呼吸が自分自身に戻ってくる感覚で、アンビバレントに苦しんでいた数年も自らの糧になっていることがわかる。

「自分でやらねば」を少しずつ手放してみよう、しかし、私はそれが苦手であることも最近よくわかった。歳を重ねるに連れて、近しい者に求める要求水準の高さや、行為や発言に対する許容範囲が狭まってくるのも感じる(一方で、近しくない存在にはスルーする冷たさも自覚している)。自分の苦手、それを理解し認めて、意識的に改善していきたい。
ある人に私自身の特性として「メタ認知能力の高さ」を指摘され、なるほどと合点したのだが、自分の失敗や反省を切り刻み追求し言語化していく作業を常日頃からし続けているのだろうなと思う。

先日、ある場でファシリテーションをする機会があった。相手から出た話をメモに書き連ねてキーワード抽出をし、それを感覚的につなぎ合わせることで、言葉というか概念がわきあがってくる体験をした。そういえば修士論文の執筆の際にも同じ手法でキーワード抽出、概念の組み立てをやっていたことを思い出した。書物の中の膨大な知恵、知識、インタビューや対話から導き出された言葉、自らの経験の言語化、こうしたものをつなぎ合わせてくることで浮かび上がる新たな概念。たとえそれが使い古され陳腐化した言葉であっても、あまたの人生・体験・経験を経て重ね合わせられたものであれば、真実味をもって迫ってくる。結果的にシンプルで素直な言葉の根っこにある、多数の思いを引き出すインタビュー・ファシリテーションが、私のこれからの生業の一つになるかもしれない、と思った。

組織は、メンバーを信じ頼って、事業継承しながら、自分にしかできない領域の開拓をしていく。そのためにも「自分」をしっかり持って伸ばしていく。個人としての人生、生業の軸を立たせていこうと、あらためて思った44歳の誕生日。組織も個人も「私」のアイデンティティにほかならない。無理に分離せずに、分野横断的に影響し合いながら、よき方向に進んでいけるように。

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