長野県のリンゴの日に長野県のリンゴについて語る。
結論:リンゴにとって快適な環境、おいしいシナノシリーズ。
青森県のリンゴについて、こちらをお読みください。
11月22日は長野県りんごの日
世間では、11月22日は「いい夫婦の日」が有名です。しかし、長野県では、11月22日は、りんごの日と定められています。JA全農長野が信州リンゴを広めるために2003年に定めました。主力品種の「ふじ」にちなんで、いいふじ(11.22)という語呂合わせが由来となっています。
青森県に次いで全国で2番目に生産量の多い長野県。2022年度は13.3万tが収穫されました。全国的にリンゴの名産地として知られています。しかし、長野県でも、青森県弘前市の生産量18.2万tには、かないません。
長野県でリンゴの生産が盛んな理由
地理
長野県は山に囲まれていて耕地が狭いです。水の乏しい扇状地、河岸段丘で特に栽培されています。最低限の水さえあれば、充分で、降水量が多いと、実が枝との付け根で割れてしまったり、土の養分が流れて栄養失調状態になります。
長野県では、北部の長野盆地がリンゴの生産の中心。中部の松本盆地、佐久盆地、南部の伊那盆地でも、さかんに生産されています。特に水の乏しい
リンゴは山の斜面など、日当たりのよい土地で栽培されます。年平均10℃前後の寒冷な気候、少ない降水量がリンゴにとって快適な環境。さらに、夏から秋に変わる時期に急激に気温が下がることにより、赤く色づきます。長野県は、全体的に標高が高いため、年間の平均気温は10℃前後。さらに、内陸性の気候で、夏と冬の気温差が大きく、降水量を一年を通じて少ないです。また、9月~10月の気温の下がり方も大きいため、リンゴ栽培にぴったりです。
歴史
長野県では、元々、自家消費のために、和りんごが栽培されていました。
1872年、西洋リンゴがアメリカから導入され、内務省勧業寮の新宿試験所で栽培が開始されました。1879年、長野県に西洋リンゴの苗が持ち込まれ、長野市で栽培が始まりました。大正時代までは盛んではありませんでした。当時の主産業は養蚕。諏訪湖周辺を中心に製糸業が行われていました。特に、諏訪湖西部の岡谷市では、当時、生糸の生産量日本一でした。しかし、第一次世界大戦時、ヨーロッパとの取引で不況をきっかけに、世界恐慌など不景気が続きます。長引く不況をきっかけとして、稲作、養蚕からリンゴ農家に転身するようになりました。
戦後、食糧不足、朝鮮戦争による特需景気など好景気により生産量が一気に増加しました。長野県では、「ふじ」、「つがる」など優良品種に絞って栽培していました。しかし、1962年のバナナ輸入自由化や、国産かんきつ類など強力なライバルが相次いで出現し、リンゴの価格が暴落しました。この状況を打開するため、量より質にこだわるようになりました。1970年には、オリジナルの品種の開発に取り組みました。つがる、ふじへの品種転換、コンパクトの導入し、出栽培面積増えました。最近では、「しなのゴールド」、「シナノスイート」、「シナノドルチェ」など長野県独自の品種改良も行われています。
長野県で誕生したリンゴの品種
シナノスイート
1978年、「ふじ」と「つがる」を掛け合わせて誕生しました。採れたてはシャキシャキでジューシー、甘味が強めです。
シナノゴールド
1983年、「ゴールデン・デリシャス」と「千秋」を交配して誕生しました。黄色く、酸味も感じられ、ジューシーなリンゴです。
シナノドルチェ
1983年に「ゴールデン・デリシャス」と「千秋」を交配して誕生しました。シナノゴールドとは、親も同じ、誕生年も同じです。しかし、シナノドルチェは、赤色のリンゴ。シナノゴールドより、甘味を感じます。似ているようで似ていない兄弟です。
好きなリンゴの食べ方、選び方
リンゴは、叩いて「カンカン」と金属に近い乾いた音のするもの、お尻まで真っ赤なもの、ずっしりした重さを感じるものがオススメです。特に寒くなる11月〜12月にとれたリンゴは、蜜がたっぷり詰まります。蜜が詰まったリンゴは、より甘味を感じられます。
シャキシャキしてみずみずしいリンゴが好きです。時間が経ってしまうと、シャキシャキ感が失われ、舌にまとわりつくような食感へ変化してしまいます。この食感の変化をボケると長野県などリンゴの産地では言います。ボケたリンゴは、生で食べるとおいしくないため、ジャムなど加工します。好きなのは、リンゴをコンポート(砂糖と一緒に煮る)したり、じっくり焼いてから、一口大に切って春巻の皮に包んで揚げたリンゴの春巻です。