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新10000円札の裏の顔+生みの親のコレクションとは?

結論

朱色と白色のコントラスト、装飾を施した青銅色の屋根の美しさ、耐震性も兼ね備えられた建築が100年以上にわたって人々に愛されていた


2024年7月3日、20年ぶりにお札のデザインが変更されます。10000円札の裏面には、東京駅が描かれています。

今回は、東京駅のデザインした建築家、辰野金吾さんにフォーカスします。

東京駅を設計した建築家、辰野金吾さん

東京駅の赤レンガ駅舎は、佐賀県唐津市出身の辰野金吾さんが設計しました。辰野さんは、下級藩士の家に次男として生まれ、9歳から武士の教養を学び、四書五経、習字など学んでいました。

明治時代になり、近代化を進めるため、政府は洋学へ転換が始まりました。当時、洋学校に入れば兵役を免除されるという制度もありました。学問に集中できるため、洋学を学ぶことにしました。このときに、高橋是清と出会い、海外とつながることになります。高橋是清は、佐賀藩の英語学校の教師を勤めていました。高橋是清の後を追うように上京し、工部大学校(現在の東京大学工学部)の第一期生で首席をとりました。

卒業後、日本出身の建築家として初めて本格的な西洋建築を学ぶためにイギリスへ渡りました。フランス、イタリアも視察しました。

辰野式建築とは?

赤いレンガ造りに白い花崗岩のラインが入り、屋根には、塔、ドームなど装飾が施されています。

辰野式建築は、英国で出会ったヴィクトリア建築の影響を受けて誕生しました。ヴィクトリア建築は、産業革命により大英帝国として繁栄した19世紀に誕生しました。レンガ造りや石造りなど、中世ヨーロッパの建築を踏襲しつつ、豪華絢爛の装飾が施されています。英国だけではなく、米国、オーストラリアなど大英帝国の影響を受けていた地域でも、ヴィクトリア建築が残っています。

1891年10月28日に発生した濃尾地震により、耐震性も意識ししました。組み立てた鉄骨の周りにレンガを積む鉄骨煉瓦造を採用しました。その結果、東京駅は1923年に発生した関東大震災でも倒壊を免れました。

美しさと機能性が両立されており、現在では、文化財として保護されている建物がほとんどとなっています。

辰巳金吾さんが、デザインした建物

旧岩手銀行中ノ橋支点(岩手県)

東北地方に現存する唯一の建築物です。1911~2012年、銀行として使用されました。当初は盛岡銀行本店として使用され、岩手殖産銀行を経て岩手銀行本店の建物になりました。1983年、本店が移転したことにより、中ノ橋支店に変更されました
保存修復工事を経て、2016年から岩手銀行赤レンガ館として一般に公開されています。

日本銀行本館

1896年に完成しました。上空から見ると円の文字に見えます。ちなみに、円という単位は同じ佐賀県出身の大隈重信が提案しました。

東京駅

1914年完成しました。ロンドン警視庁の2代目建物(現在は、ノーマンショウビル)がモデルになったと言われています。ネーデルランド(オランダ)の首都にあるアムステルダム駅をモデルにしたという説もあります。
新10000円札の裏の顔に指定されました。10000円札の裏の顔は、東京駅で降りて丸の内北口を出て東京駅丸の内北口の横断歩道を新丸ビル方面に渡った場所から見る東京駅が近いです。

旧日本生命九州支社

福岡市に1909年完成しました。日本生命のオフィスとして1966年まで使用された後、1972~1990年、福岡市歴史資料館として活用されました。1996年以降、市民の交流の場として活用されています。

旧唐津銀行本店(佐賀県)

辰野金吾さんの出身地、唐津市に現存する唯一の辰野式建築です。1912~1997年、唐津銀行として利用され、保存のための修繕工事を経て、2011年から一般公開されています。現在は、市民の文化発信、交流の場として活用されています。

旧台中駅

1917~2012年、使用されました。現在は、フードコート東京駅に見た目がそっくりです。現在の駅舎に機能を移した後も、遺産として残されています。足を踏み入れると、タイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができます。

今回は、新10000円札から、辰野金吾さんが手がけた近代建築について振り返りました。全面ガラス張り、木材をふんだんに使った開放的でぬくもりも感じられる現代建築もよいです。しかし、豪華絢爛な装飾など、近代建築の美しさに魅了されます。

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