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龍神

以前、札幌市に程近い豊浦地区に嘗て存在した、ありがたい霊水が湧く霊場の話を記事にした。

その折、北海道には龍神を祀る霊場や神社が少なくない事、そしてワタクシの生まれ故郷・函館市に龍神を祀る沼がある事を付記した(遍く知られている通り龍神は水の神としての側面を強く有する)。
今日は、その沼の事を改めて記したい。

龍神がおわす沼、名を【赤沼】と言う。
粘土層の土に周囲を囲まれた比較的小規模な沼で(【赤沼】の名はこの粘土層に因むらしい)、所謂【冷鉱泉】でもあるらしく、水源付近はかすかに硫黄の匂いがすると言う。湧水量は極めて豊富であり、函館市を流れる川・亀田川の重要な水源でもあるそうだ。

ワタクシが以前、家族と共に赤沼の畔に来訪した際、沼の畔に小さな祠が建っていた。
ワタクシが興味本位で中を覗き込もうとすると、普段は気焔轟轟な父が恐ろしいものでも見たかのような顔をして、
「この祠は興味本位で中を見てはいけない。早く帰ろう」
と、ワタクシの手を引いて赤沼の畔から逃げるように離れたのだった。

我が父は龍神を祀っており、実家にある瀬戸物の龍の絵皿には毎日汲みたての水が猪口に満たされて供えられていた。そんな父だから、もしかしたらあの祠の周囲に龍神の気配でも感じていたのかも知れない。
あの祠は今もあるのだろうか。

気になって、Google検索で調べて見たが答えは出なかった。
…と言うのもこの赤沼自体、林を抜けた奥の奥にあり、訪ねた人の大半が到着出来ず赤沼を見る事を断念して引き返してしまうから…らしい。
更に近頃では付近にヒグマが出没する事もあり、ますます凡人には近寄り難い場所になりつつあるようだ。

ところで、上記の祠とは違う方向から、この赤沼の龍神への信仰の火を絶やさぬように計らっているお寺があると言う。
日蓮宗に属するそこそこ大きなお寺(勿論某宗教団体とは無関係である)で、年に一度の斎日に信者が集まり、丑の刻参り(丑の刻は現代で言えば夜中の2時くらい)を行うのだと言う話だった。

そう言えば、赤沼の龍神が人々に知られるようになった切っ掛けもまた、仏教が深く関係しているそうである。
京都に住むとある女性が、悟るところあって出家し、念仏三昧の日々を送っていたところ、夢枕に仏のお告げを受けた。
「蝦夷地箱館に赤沼と言う沼あり、そこへ向かい修行をせよ」
女性は長旅の末に赤沼に辿り着き、庵を結ぶとそこでひたすら修行に打ち込んだ。するとある日、赤沼の龍神が女性の目の前に姿を現した。
最初は恐ろしげな蛇体で現れた為に女性が驚き慄いてひれ伏すと、龍神は直ぐさま姫神の姿に変わったそうだ。姫神の姿に変わったと伝承されている事を鑑みるに、女龍だったのかも知れない。

こんな事があって以来、土地の人々は赤沼の龍神を深く敬うようになったのだと言う。沼の水で目を洗うと眼病に効くとか、沼の畔で祈願をすれば必ず豊作になったと言った伝承が残されている。

前述の丑の刻参りでは、祈祷の際に【オサンゴ】と言うものを作る。小銭や米を白紙に包んでおひねりにしたもので、丑の刻参りに参加した信者は願いを込めて、このオサンゴを赤沼に投げ入れる。
投げ入れられたオサンゴは直ぐに沈むものもあれば、なかなか沈まないものもある。
沼に投げ入れられたオサンゴが早く沈めば沈むほど、そのオサンゴを投げ入れた信者の願いが叶うと言われているそうである。

昨今では信者の高齢化に伴い参加者は少しずつ減少傾向にあるとの事だが、それでも月にロケットが飛び、化学が幅を利かす現代に置いて、こうした素朴な信仰の世界が残っている事がワタクシにはこよなく嬉しい。

追記

残念ながらこの【丑の刻参り】、2016年を境に実施を取り止めているとの情報を得た。背景は不明だが、恐らく信者の高齢化に加えて、前述の通り赤沼近辺にヒグマが頻繁に出没するようになり、危険を鑑みての決断であろうと推測する。
オサンゴを沼に投げ入れる風習は過去のものとなったが、龍神信仰は何らかのカタチで永続すれば良いな…と密かに願う。

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