ワタクシがまだ小学生低学年の頃の昔話。
札幌市に程近い【豊浦】と言う地区に、万病に効くと噂された霊水が湧く、かなり規模の大きな霊場が存在していた。
新興宗教だったのかも知れない。
外傷にも、外から見えない病にも効くと言うその霊水は、一升瓶に詰めて持ち帰る際に蓋を締めて持ち帰ると必ず瓶の底が抜けて水が漏れてしまう(蓋をするのは【天を塞ぐ】に等しいから…と言うのが理由らしい)…と言う、物凄い曰くつきの霊水だった。
当時我が家は函館市にあったが、年に一回程度、その霊場まで水を頂きに行くのが嘗ての恒例行事だった。
その頃は土曜日休みなんて無かったし、オマケに我が父は自営業だった。だから、行くとなると日曜日の暁、まだ夜も明けきらぬ内に叩き起こされて車に乗り、片道4時間かけて移動して水を頂き、夕方にならぬ内にトンボ帰りと言う強行軍であった(念の為に申し添えるが、函館市から札幌市までは東京都から静岡県西端に行く位の距離がある)。
だが、ワタクシはこの強行軍が必ずしも嫌いな訳では無かった。
その霊場の建造物(寺院と呼んでも良い外観だったが、仏様を祀っている訳では無いのでこの語が適切か判断が難しい)が極めてきらびやかで、見ていて飽きなかったからである。
霊水が湧く事に因むのだろうか、伽藍や祭壇にはとても活き活きとした龍の彫刻があちこちにあしらわれており、幻想的な雰囲気を醸し出していた。幼いワタクシは父母が霊場の人々の法話を聞いている隙をついてはこっそりと伽藍を【探検】し、その度に探しに来た母にきつく叱られた。対して霊場の人々は全くおおらか且つ寛大なもので、伽藍や祭壇にあしらわれた龍の彫刻を見てはしゃぎ、祭壇の傍の戸棚にひっそりと安置されていたセンザンコウの剥製を見てまたはしゃぐワタクシの事を、暖かい眼差しで見守ってくれるのであった。
そんな霊場に、ワタクシが足を運ばなくなったのは果たしていつ頃だったろうか。
少なくともワタクシは中学生以来、その霊場に足を運んだ記憶がない。
そして、ワタクシは高校を卒業してひとかどの社会人になり、いつしか30年近い月日が流れた。
(そう言えばあの霊場、どうなったろう)
ふとそんな思いに駆られたワタクシが、本当に何気無くGoogleのトップページに表示されたニュースを見ると、【北海道】【豊浦】【霊水】のキーワードが並んだブログ記事があった。
もしや!と思ったワタクシは迷わずその記事をクリックした。
その記事は、天理教(幕末〜明治時代に奈良県天理市で勃興した新興宗教)を信奉される方が「飽くまでフラットな目線で、色眼鏡抜きで」との主旨の枕詞を皮切りに記されていた。
そしてその内容は、間違いなくあの霊場についての記事だった。
記事に依るとかの霊場は、初代貫主(この語も適切かどうか甚だ心許ないが、やむを得ずこう記述する)が何らかのお告げ…天啓を受けて設立したものなのだそうだ。
ワタクシは幼かった頃の事とてあまり深く知らなかったが、初代貫主の霊感はとても優れたもので、慈愛に溢れる説法に救われた人は数知れず。評判を聞いて道内各地は愚か道外からも参拝者が後を絶たず、当時は霊場に行く為に専用の路線とバス停まで設けられていたと言う。スケールがデカ過ぎる。イマドキ大企業でも市営のバス会社に専用のバス停及び路線を作らせるなど難しかろう。
ところで、この初代貫主には息子が居た。この息子、当然跡取りとして周囲から期待されて育ったのだが、何かいざこざがあったようで親元を離れて大学に進学し、そこで変な思想に染まってしまったらしい。
そして悲劇は起こった。初代貫主が亡くなられたのだ。
関係各位は慌てて息子を呼び戻し、二代目貫主として迎え入れたが、既に手遅れだった。息子…二代目貫主は初代貫主の慈愛に満ちた活動から一変、初代貫主とは真逆の怪しい霊感商法(?)…所謂ハンドパワー的なものと言えば伝わるだろうか…を行うようになったのだと言う。
関係各位はひとり去りふたり去り、遂には殆ど全ての関係者が二代目貫主を見限る事となった(現在、離反した関係各位は初代貫主の遺髪を継ぐ形で札幌市内に新たに施設を設け、祈祷をメインとした活動を行っていると風の噂に聞いた。他方、孤立した二代目貫主は初代貫主が掲げていた看板を下ろし、跡地に神仏習合式の新たな施設を作ってしまった…らしい。周囲から諌める人が絶えて最早暴走状態にあるのだろうか)。
そして、二代目貫主を見捨てたのは関係者だけでは無かったようだ。
あれ程霊験あらたかと謳われた霊水が、初代貫主が亡くなった頃を境にただの水になってしまったと言うのだ。
何でも、地元の参拝者が霊水を頂いて帰宅したら幾日もしない内に白濁して飲めなくなったのだと言う(幾ら止水の事とて悪くなりやすいとは言え、数日で白濁するなどあり得るだろうか)。
二代目貫主は、どうやら霊水を護る【龍】にまで見放されてしまったらしい。
概ねそんな内容の記事を偶然見かけて、ワタクシは落胆とも愕然ともつかぬ微妙な気持ちになってしまった。そして何の根拠も無く、ひとつの確信を抱いた。
(この記事に巡り会えたのも、もしかしたらあの霊場を護っていた【龍】の導きなのかも知れない…【龍】は嘗てあの霊場の伽藍を嬉々として探検していた腕白な幼児…今のワタクシに、霊場の現状を伝えたかったのかも知れない)
と。
余談
本記事を書いて暫くしてから、ふと気になり【北海道 豊浦 霊水】で検索をかけてみたのですが、あのブログ記事にはそれきり辿り着く事が出来ていません。削除されたのか、検索漏れかは不明です。或いはワタクシが本記事をカタチにした事で、豊浦の龍神が「役目は終わった」と判断して隠してしまわれたのか…。
真相は龍神のみぞ知る、と言う事でしょうか。
尚、北海道には龍神に纏わる伝承や神社仏閣が少なくありません。
我が故郷・函館市にも【赤沼】と呼ばれる沼があり、畔に龍神を祀る小さな祠が存在しました。それについては別個に記事を書いたので、合わせてお読み頂けると僥倖に御座います。