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目黒の田楽

古典落語の演目のひとつ【目黒の秋刀魚】は、市井の事を知らぬ殿様がサンマの美味しさに気づいた事にまつわる珍事がテーマになっている内容である。最近の寄席で演じられているのかは寡聞にして知らないが、目黒区が近頃秋になるとサンマを焼いて観光客に振る舞うイベントを行っているのを鑑みるに、名前だけは知っている…と言う方も多いのでは無かろうか。

ところで、これは最近になって明らかになった事だそうだが、江戸時代の日本には元々サンマを日常的に食べる習慣は存在しなかったのだそうだ。
然し、考えてみるとそれも無理からぬ話で、サンマはそもそも相当な沖合に出て網を降ろさないと捕れない魚であり、且つ傷みが早い。近年主流の冷凍設備つきの大型漁船が無ければとても魚市場に並べられない魚なのだ(同じ事はマグロにも言えるが、今回は割愛する)。
一応、銚子などで水揚げはされていたものの、流通の際はきつく塩を施された塩引きや干物に加工される事が多かったと聞く。現在お馴染みの、鮮度の良いサンマを焼いて大根おろしとスダチを添える一品は、江戸時代には存在しなかった訳だ。

ならば、何故【目黒の秋刀魚】と言う演目は誕生したのか。
実は、この古典落語には元となった話がある。しかも登場人物は何と時の征夷大将軍・徳川家の一族だと言う。
書名も著者も失念してしまったが、今から20年前に見かけた、東京都の伝承を集めた本に記載があった話である。
後に児童文学作家で民俗学にも造詣が深かった西本鶏介先生が、ほぼ同じ筋の話を【東京都の民話】で再話されているのを知った。

内容をざっくり解説すると…。

目黒に嘗て一軒の茶屋があった。
その茶屋の周辺は御狩場…つまり将軍家の鷹狩りの場でもあり、鷹狩りが実施される日は茶屋の主人は物忌みでもするかのように店を閉め静かに過ごしていた。
ある日の鷹狩りの事、茶屋の主人がいつものように店を閉め、昼食の為に豆腐田楽を焼いていると、突然閉めた戸を叩く者がある。
「誰か居るか。将軍様が茶を所望である。恐れる事は無い。茶を準備致せ」
何と戸を叩いていたのは将軍様の側近だった。茶屋の主人は驚いたものの、逆らって手打ちにされてはかなわぬと戸を開けて一行を迎え入れ、程良い加減に淹れた茶を恐る恐る差し出した。すると将軍様、鷹狩り帰りで喉が乾いていたのかひと息に茶を飲み干し、お代わりまでして、満足そうな顔をしてからひょいと顔をあげてひと言。
「これ。店の奥から何ぞ旨そうな匂いがするが、何の匂いじゃな?」
茶屋の主人は「最早要らぬ隠し立ては却って命取りになる」と思ったのか、豆腐田楽を焼いていた事を正直に打ち明けた。すると将軍様は「喰うてみたい。遠慮は要らぬ、持って参れ」との仰せ。仕方無しに焼き立ての豆腐田楽を皿に乗せて差し出せば、将軍様はひと口食べて「これは旨いものじゃ」と頻りに大感心。忽ち豆腐田楽を残らず平らげ、銀一枚を茶代だと言って主人に握らせただけでは無く、
「馳走になった。今後鷹狩りの際は必ず立ち寄らせて貰うから、もう鷹狩りの日に店を閉めずとも良い」
と直々に仰せの上で上機嫌で帰られた。
後にこの茶店は将軍様御墨付と言う事で大層繁盛し、将軍様が茶屋の主人を「爺、爺」と呼んで慕った事から【爺が茶屋】と呼ばれるようになった。

どうやら【目黒の秋刀魚】はこの逸話を下敷きに創作された話らしいのである。因みに【爺が茶屋】は実在していた記録が残されており、彦四郎と言う名の人物が開店し、店主は代々彦四郎の名を引き継いで店は長く続いた。そして実際に三代目将軍・家光公や八代目将軍・吉宗公が贔屓にしていたと言う。

【目黒の秋刀魚】成立に関して、前述の西本鶏介先生は「大した御馳走でもない田楽やサンマをありがたがる、世間知らずな為政者に対する皮肉」と言う風に分析されていた記憶があるが、ワタクシはそうは思わない。
当時の貴人の食事は【毒見】と言って貴人の食卓にのぼる前に何度も味見をされての提供だったし、それで無くとも「魚は喉に骨が刺さると危ないから」と小骨まで丁寧に抜かれてそぼろみたいな姿となり、「塩気が多いと体に障るから」と味噌に砂糖をどっさり混ぜたり…そんな感じだったと聞く。当然貴人の口に入るまでに冷めてしまって、暖かい食事など望むべくも無かったろう。
そんな身分の方が焼き立ての豆腐田楽を「美味しい」と思うのは、ごく自然な流れのような気がする。

ところで、この将軍様と豆腐田楽の話には続きがある。
城に帰った将軍様、豆腐田楽の味が忘れられず、料理番を捕まえて「豆腐田楽が食べたい。作ってはくれぬか」と仰った。
驚いたのは料理番。将軍様は何処で豆腐田楽なんぞ食べたのだろう…と訝りつつ、早速田楽作りにかかったのは良いが、串は危ないからと引き抜き、火傷しては大変だと十分に冷まし、味噌には砂糖をどっさり混ぜたものだから、西本鶏介先生の記に曰く【冷奴に小豆餡を乗せたような】田楽の完成と相成った。
当然、これは将軍様の眼鏡に叶う筈もなく、将軍様は料理番に「次の鷹狩りの時に本当の豆腐田楽を味あわせてやろう」と言い、側近には爺が茶屋の主人に宛てて文を送るよう言いつけた。

【次の鷹狩りの折には供の者にも田楽を食べさせたいので、準備を頼む】

茶屋の主人は将軍様直々の仰せなので断る事も出来ず、その日は店を貸し切りにして朝から豆腐を沢山準備して待ち、将軍様一行が店につくと休み無しで豆腐田楽を焼いて一行に振る舞った。
初めて食べる豆腐田楽の味に目を丸くする部下達を見て、将軍様は満足そうにひと言…。

「矢張り田楽は目黒に限るな。のう爺」


(余談だが、爺が茶屋に関する記録には実際に将軍家から【団子150串、田楽100串】の注文があった事を示す一文が存在する)

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