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何者にもなれなかったワタクシ

随分昔の事だが、まるで昨日のように鮮明に覚えている記憶がある。

あれはワタクシがまだ生まれ故郷の北海道函館市に居た頃の事。
我が家に父方の親戚が遊びに来た。
その時、ワタクシは確か小学生高学年位ではなかったかと思う。

幾らかの会話の後、突然親戚はワタクシに問いかけた。
「お前の将来の夢は何だ」。

その時、ワタクシは明確に将来へのヴィジョンを持っていなかった。ただ、昔からクリエイティブな職業に対する憧れだけはあったので、何となしに「小説家か画家になりたい」と答えたような気がする。すると親戚はワタクシの顔を見てゲラゲラ笑い出した。
「身の程知らずな奴だ。お前みたいに頭が悪くて勉強嫌いな奴に小説家や画家なんか務まる訳がないだろう。お前みたいなバカは若い内にせっせとカネを貯めて、それを資金に政治家にでもなった方がまだ世の為だ」
当時、政治家はバカがなる職業…と言う謎の風潮が我が故郷には存在していた(勿論、実際はバカに政治家は務まらない)。親戚の暴言も恐らくはそれが根拠だったのだろう。
ワタクシは不快に感じたが、反論の言葉を持たなかった為に黙って愛想笑いするより他に術が無かった。

あれから40年近い年月が経つ。
高校卒業と同時に我が一家は父の仕事の都合で静岡県浜松市に移住してしまった為、親戚のその後については知らない。いや、今頃はとうに墓の土だろう。

高校卒業後、函館市から出たワタクシは就職して社会人になった。大学進学は選択肢の中には無かった。
ただ、長い社会人生活の中で幾度か漫画のコンクールに作品を送ったり、イラストのコンベンションに応募したり位の事はしている。いつかは…と言う気持ちがあの頃はあったのだろう。だが、所詮独学の付け焼き刃程度のスキルではクライアントに相手にされる筈もなく、やがてワタクシは社会に認められなかった事への無念と、糊口を凌ぐ目的で仕方無しに続けたガテン系の仕事によるストレス(主にパワハラ)で神経をすり減らして、都合3回程ドロップアウトを経験した。
特に3回目のドロップアウトの時は症状が深刻で、まともな日常生活を送れるようになるまで8年余りの歳月を費やする結果となった。その8年間の療養生活の間もイラストやテキストと言う手段で在野ながらクリエイター足らんと必死に足掻いたワタクシは、行動する度に周囲から異を唱えられた。

「お前の作品に商業的価値なんかない」
「下手の横好きの癖に、身の程知らずが」
「お前の作るものはゴミだ」
「己の無能を他人に責任転嫁するな」

どれだけ痛罵されたか今では然と思い出せない。

そして、時は流れた。
社会も大きく変わったが、同時にワタクシも大きく変わった。残念ながらネガティブな意味で…である。悟りと言うには些か短絡的過ぎるが、

ワタクシは恐らく
この現世では何者にもなれないのだ


と言う、絶望にも近い境地に至ったのである。
いや、もっと言えば、

「もう、何者にもなれなくて良いや」


位に何もかもすっぱりと諦める事が出来てしまったのだ。

それが救いだったのかどうか、客観視するのが難しい。
だが、結論から言えば…ワタクシは就労支援事業所の後押しを受けて大きな企業に拾って頂いて、今日に至るまでその職場で奉職させて頂いている。現在の職場に落ち着けたのも「何者にもなれないのだ」と悟ったが故に却って肩の力が抜けて気負わず就職活動が出来たからでは無いかと思う。この先どれだけの期間奉職出来るかは未知数だが、取り敢えず社会を動かす歯車としてはアイデンティティを得たと言って良い。

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本日、49回目の誕生日を迎えた。

来年はいよいよ五十路の大台に突入する。
以前の雑文でも宣言したが、50歳を迎えるに当たり、クリエイティブな活動を少しだけセーブしようと考えている。
若い頃は「生涯現役」を公言して憚らなかったが、自律神経失調症を患って思うように創作活動が出来なくなってからは考えが変わった。
どうせワタクシは、何者にもなれなくて、何も残す事は出来ないのだ。
せめて50歳以降の、死ぬまでの残りの日々は社会を動かす為に精一杯働きながら、誰かの為では無く【自分の為】だけの創作活動に終始したい。

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