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『悪くないのも』を残していく

最近、哲学に興味がありいろんな哲学の入門書などを読んでいます。

そんな中、戸谷洋志さんの著書『ハンス・ヨナスの哲学』という書籍を読みました。

ハンス・ヨナスHans Jonas、1903年5月10日-1993年2月5日)は、ドイツ生まれの実存主義哲学者であり、ハイデッガーとブルトマンに学び、ホワイトヘッドのプロセス哲学の影響を受けた。彼を著名にしたのは、近代技術が人間に及ぼす影響とそれに対する倫理的努力に関する著作だった。また彼は実存主義の立場よりグノーシス主義を研究し、浩瀚な書物を著した。

Wikipediaより引用

この書籍では、ユダヤ人であるヨナスが、アウシュビッツ収容所で母親を亡くすという悲しい経験などを受けて、人間とはなにか、テクノロジーとは、未来への責任とはなにかなどの哲学的思考を堪能できます。

もちろん、哲学初心者の私には理解できないこともたくさんあり、手放しにいい書籍だったとは言えませんが、私の心に残ったことを伝えたいと思います。

未来への責任とは

ヨナスは『未来への責任の基礎付け』という章の中で、以下のように言っています。

未来世代への責任を考えるときに重要なのは、未来世代に対してよりよい状態を贈ることではなく、未来世代が自由を喪失するという最悪の事態を避けることです。

ハンス・ヨナスの哲学『第六章 未来への責任の基礎付け』本文より引用  

21世紀を生きる私たちには、未来に生きる人たちにとっての『良いもの』は分かりません。

固定電話やビデオデッキ、ラジカセ、ガラケーなど、昔は身近にあったものが今では見かけなくなりました。それは時代が変わり私たちにとっての『良いもの』が変化したからです。

しかし、私たちが20年、30年前に生活していたころに、こんな未来がくるとは誰にも分からなかったはずです。ちなみに私は21世紀は車が空を飛んでいると思っていました。

そう考えれば、未来にはどんなテクノロジーがあって、どんな価値観で生きているのか絶対に分からない。今の『良いもの』を未来の人に向かって「コレ便利だから使ってよ!」は迷惑なだけです。

つまり、現在に存在しない『未来の世代』に対して、私たちは『良いもの』を残すのではなく、『悪いもの』を残さないという考えをするということです。

私の思う『悪いもの』とは人種差別や性差別、思想などの人々の感情に関わるものと、環境問題など人々の暮らす環境です。
もちろん正解なんて分からないので『良いもの』は残せません。でも人を傷つける言葉、地球を傷つける行為は『悪いもの』です。

第二次世界大戦を生きたヨナスは、未来世代へ「戦争のない平和な世界」を願っていたのではないかと思います。

「その未来に自分が生きていたらどう思うのか?」

この考え方をすることが大切です。

子育て・教育も同じなのでは?

ヨナスの未来への責任の考え方は、子育てや教育にも通ずるのではないでしょうか。

私たちが教育を受けていたころと、現在では時代が違います。ネット環境も不十分なのでYouTubeもなければ無料コンテンツもない、そもそも携帯電話さえも普及していません。タブレット端末で学習するなんて世界中で誰一人として考えていなかった世の中です。

でも、私の周りの親世代を見ると、自分の受けた子育て方法や教育を「これが正解だから」とでも言わんばかりに忠実に再現しようとしています。

「今の子どもはそんなこと求めていない」

私は、そんな親を見ると疑問でたまりません。

生きている時代が違うのに、子どものころに受けた「こんな教育が良かった」「あの体験が素晴らしい」という自分にとって『良かったこと』を、今の子ども世代に押しつけることが本当に良いことなのでしょうか。

そうは思いません。

私たち親ができることは『悪いもの』を残さない、逆に言うと『悪くないもの』を子どもたちに残すことです。

そして『悪くないもの』とは、自分で判断できる知識や考える力だと思います。

この力が身につけば、誰かの受け売りやネットの記事に惑わされることなく、自分の力で『良いもの』を見つけられるでしょう。そして、自分の責任で『良いもの』を目指してがんばってくれると思います。

だから自分で判断できる、知識・考え方を身につけさせる

そんな子どもたちは『良いもの』を自分で決めます。

おわりに

『良いもの』は分かりません。なぜなら時代や環境で『良いもの』は変化するからです。未来のことは未来世代の人にしか分からない。今の子どものことは子ども世代にしか分からない。

だからこそ『悪くないもの』を子どもたちに残していくことが大切です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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