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子育ては「子ども時代の嬉しかったこと」で決める

子育は難しい。「これが正解」ということがないから。時代や環境、子どもの特性によって感じ方も人それぞれ。

私は基本的に、子どもの気持ちを主体に子育てを行なっていますが、子どもには知らないこと・分からないことがたくさんあります。知らないから正しく決められないんです。

そんなとき私は、子どもの頃に「こんなことをしてもらったら嬉しかったな」ということを選ぶようにします。


まずは『やめる』を始める

「こんなことをしてもらったら嬉しかったな」ということを選ぶ前にやることは『やめる』です。理由は新しいことを始めるには、過去のことをやめないと始めることすらできないからです。
特に私は、以下の2つのことを意識してやめています。

「こうやって育てられたから」をやめる

ひとつめは「私はこうやって育てられた」をやめることです。よく自分が育てられた方法が最善の子育て法だと勘違いする人がいます。「私は苦労して育ってきたから、楽はさせない」なんて発言は、とても子供のことを想っているとは私には感じられません。

私たちが子どもの頃と時代も環境も違います。さらに脳科学などの進歩により、どんなことが子どもに悪影響があるかなどの研究も進んでいます。凝り固まった『私の子ども時代』の子育てはごみ箱にポイっと捨てましょう

「最善の方法を探す」をやめる

ふたつめは「子育てに100%の正解」を求めないことです。子どもの幸せを願うほど、子どもの最善な方法を求めてしまいます。
私自身、子どもの習いごとを何にするか、正解を求めネットや本を読み漁り『正解』を追い求めていた時期がありました。しかし、なにをやっても正解に感じません。「あれが良かったんじゃないか」「これの方かも」とさらに悩みは増えていくばかりです。

悩みの理由は簡単で「知識の中の子どもと、わが子は違う」「やってみないと分からない」です。一人ひとり個性があるので、これが『正解』というものはありません。そして、やってみないと子どもに合っているかなんて一生分かりません。

私の経験だと、この『正解』を追い求めるゾーンに入るときは、親自身の余裕がないときに発生しやすいです。子どものことを想う前に、自分に向き合い充分な休憩を取ることを薦めます。

失敗したときは「うちの子には合わなかった」としっかり学び、次に活かせばいいだけです(本当は失敗ではないですが)。

子ども時代の私が『羨む』ことを選ぶ

「こんなことをしてもらったら嬉しかったな」の選びかたですが、私は子ども時代に戻ったつもりになり「こんなことをしてもらえるなんて、いいなー」と子ども時代の私が羨むことを選ぶようにしています。

たとえば「新しいゲームや遊びを一緒にやってみる」です。子どもと私のお互いに時間が空いているときは、テレビゲームやボードゲームなどで遊ぼうと誘います。
この「誘う」が私にとっての羨ましいポイントです。理由ですが、私の父親はどちらかというと威圧的で、あまり一緒に遊んだ記憶がありません。実際は休みも少なかったので、遊ぶ時間がなかっただけかもしれませんが。
なので私は、子ども時代に戻ってみると「父親に遊びを誘われるなんて!」と羨ましい気持ちになります。

あとは「体験させる」もあります。先にも説明しましたが父親の休みが少なかったので、遠くへ出かけることもありませんでした。家族で遊園地や旅行に行った記憶もありません。
今の私は幸せなことに休みが多くあるので、家族旅行や遊園地での遊び、美術館やバレエ観賞などの体験を積極的にしています。これは本当に羨ましいです。

このような感じで「こんなことをしてもらったら嬉しかったな」を選びます。選ぶといっても「これだ!」みたいな強い気持ちではなく「こうかなー」ぐらい軽い気持ちで選ぶのがいいと思います。子どもの個性や価値観は親とは違うので、気持ちが強いと押し付けみたいになってしまいます

おわりに

子どもには幸せになってほしい。しかし想いや気持ちが強くなりすぎると「子どものため」と押し付けになってしまいます。だから私は「こんなことをしてもらったら嬉しかったな」くらい軽い気持ちで子育てをしています
親は子どものサポーター。子ども自身を余裕を持って見守れれば調度いいと思います。

親が決めたベストではなく、子どもと一緒にベターを見つけよう
これは私の子育てのひとつの指針です。親と子どもがお互いに尊重し合い、コミュニケーションをとりながら、最善の方法を探していくことが大切だと思います 。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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