Recover7

「待たせたな」
 感動の再開にラルスがややひきつった笑みで言った。極大の鎌を受け止める腕が小鹿のように震える。引退した元冒険者には少々応える状況でありながらも、彼は笑みを途絶えさせはしなかった。
「ウ……ぅ……」
 それはひとえに自分に岩の塊を叩きつけんとする、レーナを安心させるため。少女の殺意の裏にある恐怖を受け止めんがため。
「すまん……道中いろいろとあってな、来るのが遅れた」
「……」
「よく頑張ったな、もう大丈夫だ。だからもう帰ろう」
「アアアアァアアァア!」
 殺人的な咆哮を上げレーナが腕を引く。構えなおした腕を、今度は横なぎに振るってラルスの首を狙う。
「レーナ! クソっ」
 制止は不可と判断ししゃがみこむ。ラルスの首を外した鎌は代わりに彼の後ろにいた盗賊の首を両断、あっけにとられた間抜け面が風に躍った。
 そんな盗賊にラルスは駆け出した。一気にトップスピードへ、鎌の届かぬ間合いの内側へ肉薄し、右手に持った斧を掲げる。
(ここならば、肉体に傷はつかん!)
 確信をもって一閃。中程から綺麗に断たれた鎌は急速に形を失い砂に帰っていく。これで落着。あとはレーナを、といったん集中を途絶えさえたラルスは、顔面へ向け飛び込んでくる別な岩塊に気が付くのが遅れた。
「ぐぅ!」
 間一髪、受け止めた斧がマッチ棒のようにへし折られた。そのまま一緒に吹き飛ばされたラルスは、盗賊の死体の場所まで戻されてしまう。
「オオオオォォ!」
 勝鬨の叫びをあげるレーナの姿は全身に岩の鎧が成形されつつあった。このままいけば人間としての心を失う可能性もある。それほどまでに、レーナはおびえ恐怖していた。その事実に、ラルスは自分への怒りで奥歯をかみしめる。
「悪かった、レーナ……」
 盗賊の剣を抜き取り、ゆらりとラルスが立ち上がる。素人目には全身から力が抜けた、ただの棒立ちにしか見えない。だがよく見れば、彼の瞳から地平の向こうまで焼き払わんばかりの炎がたぎっているのが分かった筈だ。
「あまりに静かな暮らしが長すぎて、油断しきっていた」
 毒気を抜かれて大事なものを奪われ冒涜された自分への怒り。
「もう二度と、こんな目には合わせない。お前に近づく怖い奴は全部、俺が片付けてやる。だから――」
 そして、もう一度平穏な生活を取り戻すという、執念ともいえる渇望。
「もう止めろ、レーナ!」
「アアアァアアァア!」
 すかさず駆け出すラルスにレーナの岩塊が襲い掛かる。先端をとがらせた巨大なランスの形をとる大岩は、ランスの心臓をめがけて一直線に、愚直なまでに単純な軌道で突進する。
「はぁぁぁ!」
 突っ込んできた岩塊をラルスは状態の動きだけでかわすと、無防備な塊の横っ面になまくらの剣を叩きつける。ガキン、と硬質な音が響いて剣の方が折れるかと思いきや、折れて砂に帰ったのは岩塊の方だ。
 ラルスが剣を振るう。再び岩塊が砕けて砂に帰る。もう切れ味など関係ない。怒りと持ち前の腕力に任せて剣を振るい、ランスを折る、折る、折る!
「オオオオオオオォ!」
 恐怖と怒りにレーナの顔が引きつる。先におられた方の腕を再生成し、鎌の形を作った彼女は、仕上げた獲物を早速ランスの脳天目掛け振り下ろすが、
「レーナ」
 鎌が獲物を捉えることは、なかった。
 間合いを詰め切ったランスはそのたくましい腕で、変わり果てた娘の小さな体を抱きしめていたからだ。
「レーナ……レーナ!」
「……」
 鎧に覆われた体をきつく抱きしめられ、レーナは動きを止めてしまった。正気に返った少女を逃がすまいと、ラルスの抱擁は固く閉じる。すまない、すまない、と言葉にならない謝罪の念を込めて。
 だがレーナの本能はいまだ告げていた。敵を殺せと。
 殺せ、殺せ、殺せ! 執拗な催促にレーナは両手の岩塊を巨大な腕に変えて、死の抱擁をラルスに施さんと――
「レーナ」
 体を離したラルスがまっすぐな目でレーナを見据える。その曇りなき瞳に魅入られた彼女はわけも知らずに、涙を流し始めた。
「家に帰ろう、レーナ」
「……おとうさん」
 答えたと同時にレーナは意識を失った。
 怒りの咆哮で満ちていた地下室は急な静けさに包まれる。動く者のいない沈黙の世界の底で、ラルスは眠る少女の頬をいとおしそうに撫でると、家への帰路に就いた。
~~~~~~~~~~
 騒動を終え平穏を取り戻した森の中を、レーナをおぶったラルスが行く。
 途中、不愉快なものに気が付いた彼は足を止めると、レーナを近くの切り株に寄りかからせ不愉快なもののもとへ向かう。
「よう、まだ逃げてなかったか」
 一応同じ人間である筈のそれに、ラルスは最大限の侮蔑を込めて言った。
 呼びかけられたもの、レイモンドは返す言葉もなく、肋骨の折れた胸を苦しそうに上下するだけだ。
 返事もしない虫けらにラルスは気をとがめた様子もなく、すぐそばにしゃがみこんだ。
 レイモンド、傭兵どもがラルスに襲い掛かったのは、小屋を見つけて引き返してからすぐのことだった。
 4、5人の傭兵など彼の相手ではなく、レイモンドごとこうしてぶちのめして捨てておいたわけだが、一連の事態に心変わりしたラルスはもう一度会いに来たのだ。
 そう、平穏を乱しかねない者に情をかけるなどもってのほか、情けはそれをかけに値するものだけにかけろ、というのが、今日ラルスが得た教訓だ。
「お前らには、感謝してるよ」
 最後に残しておいた狩猟用ナイフを眺めながら、ラルスは独り言のようにつぶやいた。怪我でマヒしたレイモンドの顔面も、恐怖ではっきりと強張る。
「お前ら程度の雑魚で気が付けて良かった。もっと強い連中だったらこうはいかなかった」
「...…」
「敵に容赦するな、それが冒険者の掟。お前らが取り戻してくれた掟を胸に、これから俺は生きていくとしよう。これは礼だ――」
 ラルスの振るうナイフがレイモンドの首を走った。
「残り少ない人生を、たっぷり嚙み締めて生きるといい」
 自分の血で溺れつつあるレイモンドを放置して、ラルスは彼のもとを後にした。
 次こそ遅れはとるまい、戦士としての覚悟を胸に。

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