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奇麗に整理するとこぼれる

リモートワークする人が増える中で、「やっぱ雑談大事よね」みたいな話を聞く機会が増えたように思う。で、ふと過去に似たことを書いてたのを思い出したので、noteに転載してみることにした。

以下、2014年くらいに考えてたことです。大学教員でも職員でもなかったんですが、外の人間の立場から大学や学会の運営について考えるサポートなどしていました。

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最近関わってるプロジェクトの1つに「URAの評価について考える」がある。URAというのはUniversity of Research Administratorの略で、ざっくり説明するなら「大学の中で研究者を支援する専門職員」なのだが、このざっくり説明で本当に良いんだろうか、というところから議論する有志のグループの取りまとめ役を任せていただいている。(ちなみに、僕以外のメンバーは現役でURAとして勤務している人たちのグループで、URAで無い僕によく取りまとめを任せてくれるなと思う)

URAとはそもそも何をする人なのか、を考える上で、文科省が予算をつけて、東大を中心に検討された「URAスキル標準」というものがある。

リンク:URAスキル標準

スキル標準というと、他にも「ITスキル標準」とか「知財人材スキル標準」とかあって、知財人材の方は前職で知財部を立ち上げる際にそれなりに参考にした。

で、そのときの結論としては、「自分の中での整理には使える」だが「他の人に自分たちの存在意義を伝えるには役不足」というものだった。知財部を立ち上げて、他の部署との関係を作っていくにあたって、知財部はこんなことができるんですってこのスキル標準に書かれていることを話しても意味が無いなと思った。やって思ったというより、やるまでもなく思った。

最近一緒に活動してる仲間とよく話すのは「雑談めちゃ大事」ということである。アジェンダが準備された会議では話せない、交換できない「何か」(感情なのか、情報なのか、その辺がまだよくわからない)を交換してさえいれば、アジェンダに書くようなことは簡単に話が進むよね、と。

会議のアジェンダであれ、専門職種のスキル標準であれ、奇麗に整理すればするほど大事なものがこぼれるというのが、最近思っていることである。

URAとは何をする人なのかを伝えるためには、URAができることのリスト(=URAスキル標準)ではなく、URAとして仕事をしたエピソードの蓄積こそが重要だと思っている。言葉遊び感があるが、「何をする職種なのか」ではなく「何をする人なのか」と言いたい気分である。

人から聞いた話は、自分の頭で編集してまとめたときに、頭の中に記憶され、意味付けされる。言葉や図に整理すること、そして、それでもなお整理できない何かがあったと実感すること。この両方とも大事なプロセスだと考えている。

「URAじゃない人」がURAについての整理されていない情報を見て、彼らなりに「URAとは何なのか」と頭の中で整理しようとすることが大事なのである。整理された(ように見える)スキル標準なるリストを渡すのではなく、整理してみようと思わせる素材を提供すること。

先日、「知の技法」の著者である小林康夫さんの講演を聴く機会があった。パワーポイントのスライドを使わない講演だったが、その理由として「話す内容をスライドに書いてしまう(=整理してしまう)と、スライドに書いたこと以外のことを自分も話せないし、聞いてる人もスライドに書いてある内容だけで満足してしまう」という趣旨のことを言っていた。

この話を聞いたときも「整理すると大事なものがこぼれる」と言ってるように思った。スライドの形に整理するのではなく、話し手である自分(小林先生)、僕も含めた聴衆を交えて「この場で生まれうるものを、出来るだけこぼさないようにしたい」という意図があったのだと思う。

読んでる人にどれだけ伝わってるか分からないけど、自分の中ではだいぶ整理されてきた気がする。良い感じ、良い感じ。

(転載おわり)

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