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【トイレ史⑦】リサイクル文化

日本において、身分や個々人の経済的格差、都市部や農村など各地域の風土、人口密度の違いによって、様々な形態のトイレがその特性に応じた形で使用されてきた。そのようなトイレが鎌倉時代になると全国的に画一化されていくことになる。屎尿をため、それを汲み出す「汲み取り便所」の登場である。汲み出した屎尿は一箇所に集められるようになった。理由は環境問題・衛生問題を解決しようとしたわけではなく、肥料としての価値が出てきたからだ。鎌倉時代末期になると麦を裏作とする二毛作が見られるようになる。従来の肥料は草を刈って田に敷き込む“刈敷”や草木を焼いて灰にした草木灰などの元肥が中心だった。二毛作が広がるにつれ、新たに屎尿を追肥として使用する農業技術が広がった。
1563年に来日したイエズス会宣教師フロイスは「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を払う」と記している。
商品として屎尿を積極的に回収している様子が伝えられている。
江戸時代に入ると、屎尿のリサイクルシステムは進化を遂げ、江戸などの都市部で組織的に回収された屎尿は近郊農家に運ばれ、その流通過程において莫大な富が発生した。
 
『参考資料』
イエズス会宣教師ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」
 日本トイレ協会「快適なトイレ」
 HP「江戸ガイド」https://edo-g.com/blog/2015/12/wc.html/2

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