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ジャズ進化論試論 ~マイルスのカツラと最後の恐竜としての鳥について~

ジャズの進化とはマイルスのカツラである、或いは、1930-40年代にレスター・ヤングのスタイルがあまりにもカッコよく、当時の若手ミュージシャンに圧倒的な支持を得ていたわけだが、各地で独自にレスターを研究していた若手ミュージシャンが同時多発的に、後年「ビ・バップ」と呼ばれるようになったスタイルを育んでいったのではないか?というか絶対そう。という様な事を以前書いた。
まあカツラの話はともかく、しばしばチャーリー・パーカーを「ビ・バップの創始者」とする様な物言いを見かけるが、本当にそうならビ・バップ・ムーブメントはもっと遅れて始まったはずなのである。
実際にビ・バップ演奏の最初の録音とされるのは1941年、パーカーの4歳年上のギタリスト、チャーリー・クリスチャンによるものだ。ウィキペディア先生によると、やはり彼もレスターの影響下にあったらしい。当時のレスター・ヤングはカンザスにいながら全国的な名声を得ていたというから、手にした楽器にかかわらずジャズ・エイジに生まれた若者達はこぞって彼の真似をしたのだと思う。彼は当時のミュージシャンの中ではずば抜けてカッコ良いソロを取る存在だったのだ。そして、彼のフォロワー達が起こした「ビ・バップ革命」を以ってジャズはダンスミュージックから即興の芸術となり、「モダン・ジャズ」と称されるようになる、といわれている。
実際には当時もレスター・ヤングの他に様々なスタイルが生まれ、しかしフォロワーに恵まれず廃れていき、レスターのスタイルだけがジャズの歴史となったのだろう。それが「変化」なのか「進化」なのかはともかく、前世紀のモダニズムの時代に最も支持された「変化」がレスターのスタイルとそのフォロワーたちによるものだったのである。そのスタイルの「普及」は、パーカーがレスターのレコードを抱えて山籠もり修行をしたというエピソードに表れている様に、レコードという当時の最先端技術を用いた音楽メディアの「普及」がなければ考えられなかった。そう考えれば、そのモダニズム全盛期の技術革新と一体化した音楽スタイルの変化を「進化」と呼びならわす理由も何となく肯ける。
そしてジャズの「進化」は、様々なスタイルを経て現在も続いているということになっているらしいのである。

しかし、考えてみれば、どうしてマイルスの『Bitches Brew』はジャズの進化したもので、中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』はジャズが進化したものではないということが有ろうか?同じく多様化したジャズの一形態であるという解釈が可能な2つの音楽が、一方は進化したジャズであるが一方はそうではないとされる時、そこにはどのような力学が働いているのであろうか?
どの様な音楽上の変化を「進化」と呼ぶのか、ソレはどのような根拠に、もっと言ってしまえばイデオロギーに基づくものなのか、考察してみるのも面白そうではあるが、現在の僕には過ぎたテーマである。ここでは僕が以前からモダン・ジャズというものについて徒然と考えていたことを記してみたい。もしかして上手くいけば、運が良ければ、少しだけマイルスのカツラの秘密に近づけるかもしれない。

さて、「モダン」という言葉を聞いた時、我々は何を思い浮かべるだろうか?確か20年前に勉強した時、「モダン」という概念は元々は建築様式や美術のスタイルを表す言葉であったが、それがやがて思想や哲学の分野でも使われるようになった、その定義に統一的なものはないが大体そんな感じ、とフワフワながら記憶している。そんな僕が「モダン」と聞いて思い浮かべるものは「啓蒙主義」「人間中心主義」「理性」「合理主義」「ヒエラルキー構造」「バウハウス」「フォーディズム」「進化論」「精神分析」「工業化」「大量生産大量消費」「大衆」「国民国家」「都市化」「直線的時間概念」「進歩」「産業革命」「モータリゼーション」「早い安い旨い」といったものだ。それほど間違ってはいないのではないだろうかという気がする。そして、確かそのモダニズムの行きついた先が「死体製造工場としてのアウシュビッツ」だったことにショックを受けた人々によって、啓蒙主義がファシズムに転じる謎を解き、ソレを克服するために「ポストモダン」の思想が生み出されたのだったと思う。
モダニズムの時代の最後に、高度な理論と技術に裏打ちされたスピード感あふれる最新の音楽スタイルとして、ニューヨークの摩天楼のイメージのもとに現れたビ・バップは、まさしくモダニズムの象徴の様な音楽だったのだろう。
しかし本当にビ・バップは、モダン・ジャズは「モダン」な音楽なのだろうか?

ジャズは南北戦争後に解散した南軍のマーチングバンドの楽器が南部に安く流通した事がきっかけとなり、元宗主国のフランスやスペイン、イギリス、アフリカ、カリブ系先住民等、ありとあらゆるアイデンティティを持つ人々の影響を受けながら、ニュー・オリンズを重要な舞台とし、黒人達がその担い手の中心となって成立したと言われている。やがて1910~1920年代、フォードのモダンな大量生産体制下で始まった本格的なモータリゼーション等に伴い北部の工場で大量の労働者が必要になると、南部から北部への黒人の大移動が始まる。その音楽は人々の流れと共に北部の都市に伝わり、「ジャズ」と呼ばれるようになった。ルイ・アームストロングがシカゴへ来たのが1921年、ニューヨークに来たのが1924年の事だ。
このころミュージック・シーンには先述した様にレコードというメディアが加り、1921年にはマンハッタンでブラックスワン・レコード会社が設立される。ティン・パン・アレーを中心とする新曲を楽譜として販売するシートミュージック・シーンは既に一大産業に発展していた。ラジオも普及し、1925年には全米で560局以上のラジオ局が放送をしていたという。レコード産業が未発達だった時代に、ラジオ局お抱えのミュージシャンによる生演奏はラジオの重要なコンテンツだった。コンサートホールやホテル等でのライブ演奏に留まらない音楽産業の発展が始まり、多くのミュージシャンが求められる時代が到来したのである。そしてニューヨークではこの時代―ジャズ・エイジ―にハーレム・ルネサンスと呼ばれる黒人文化運動が花開こうとしていた。スウィング・ジャズはこの様な背景のもとに一大ムーブメントを引き起こしたのだ。(以上が最近勉強した事のまとめ)
さて、このモダニズムの時代に大きく花開いたこのスウィング・ジャズこそが、本来は「モダン・ジャズ」と呼ばれるべきものではなかったのでないだろうか?フォードのモデルTがベルトコンベアのラインに乗って作られ、「スピリット・オブ・セントルイス」と名付けられた飛行機がニューヨークからパリへ飛ぶ時代、スウィング・ジャズも同様にモダナイズされたものとしてあったとしても何の不思議もないだろう。

例えば、ティン・パン・アレーの楽曲大量生産体制はモデルTの生産ラインに準えられるだろう。現在のジャズスタンダードの多くがこの時代に作られているのは、ジャズが大きな輝きを放っていた時期に同様に隆盛を誇っていたティン・パン・アレーの存在があったからこそだ。ティン・パン・アレーでは、まさにフォードのモデルTがラインに沿ったベルトコンベアに乗って組み立てられていくように楽曲が大量生産された。作曲家がメロディを口ずさみ、それを編曲家が楽譜に落とし込み、すかさず作詞家が歌詞をのせていく。32小節一枚のシート・ミュージックの出来上がりである。この合理的な分業体制はまさにモダニズムそのものであると言えるだろう。
また、スウィング・ジャズを演奏するビッグ・バンドをめぐる2重のヒエラルキー体制も西洋合理主義を彷彿とさせる。スウィング・ジャズが人気を誇っていたこの時代、全米に数多くあったビッグ・バンドは大都市で人気があったカウント・ベイシーやデューク・エリントンを頂点とし、ジミー・ヒース達の様な多くの地方の人気バンドを下位に置く序列が存在した。そしてバンド内でも、バンドリーダー、ファーストソリストを頂点としたヒエラルキー体制が存在した。ビッグ・バンドは指揮者を頂点とするオーケストラの体制に倣って構成されたものであるから当然のことだ。まさにバチカンを頂点としたキリスト教会のヒエラルキー体制が象徴し、やがてパノプティコンへと連なる秩序体系そのものである。この西洋合理主義的体制もモダニズムの重要なキーワードだ。上昇志向のあるミュージシャンは、地方のビッグ・バンドで腕を磨きながらカウント・ベイシーの様なトップ・ビッグ・バンドでソリストとなることを夢見ていた。
更にその演奏はダンスホールでマイクやスピーカー等の音響機器に頼らずに大音量で演奏するため、西洋音楽の理論を学んだ編曲家によって、リズム・メロディー・ハーモニーに分かれた分業体制を伴う合理的なアレンジを施されていた。
この様にスウィング・ジャズは、楽曲制作の方法、バンド内外の社会的構造、編曲の様式と幾重にもモダナイズが施されていると言えるだろう。そうすると、実はスウィング・ジャズこそが「モダン」なジャズであると言えそうだ。

さて、ではスウィング・ジャズこそが「モダン」なのだとしたら、ビ・バップは何なのだろうか?
ビ・バップはカンザスにいたレスター・ヤングに影響を受けた若いミュージシャン達が起こしたムーブメントだということは先述した。彼らは例外なくスウィング・ジャズの全盛期に幼少時代を過ごし、その中のスタープレイヤー達に憧れながら自分達もスウィング・ジャズのビッグ・バンドの中で腕を磨いてきた人々だ。つまりビ・バップはスウィング・ジャズから生まれたと言える。
彼らは自分達の所属するビッグ・バンドの演奏が終わったアフターアワーズのコンペティティブなジャムセッションの中で、ソロの腕前を磨いていった。その切磋琢磨からビ・バップが生まれた、という様な事が言われる。しかし、こういったジャムセッションは別にビ・バップ世代が始めたものではない。カンザス・シティーに来ていたコールマン・ホーキンスがフラッと訪れたチェリー・ブロッサムでのアフターアワーズ・セッションで、まだ無名だったレスター・ヤングやベン・ウェブスター達と伝説のバトルを繰り広げたのは1934年の事だ。ビ・バップの成立にとっては、レスターのフォロワー達がジャムセッションの現場で彼の方法論を深掘りして行く作業が決定的に重要だったとはいえ、恐らく、もっとずっと以前から、ジャズという名前が生まれる前からこういうジャムセッションは行われていたのだろう。
気心の知れたミュージシャン達が、曲のキーとコード進行だけ決めて、順番に自分のソロの腕前を披露しあう。クラシカルな教育を受けた編曲家による、モダンなアレンジを施されたビッグ・バンドの演奏とは圧倒的に異なるそれを思い浮かべる時、想像は自然とニューオリンズへと行きつく。ニューオリンズで演奏されていた音楽もその様なモノではなかったのか?みんなが一斉に音を出し合う。フリースタイル・ラップのルーツと言われるダズンズが相手の悪口を如何に上手に言うかを競った様に、彼らは何でも競争にしてしまう。トランペットのバックでピアノがソロを取り始める。ベースが疲れて演奏を止め、ビールを飲みだす。サックスがアルペジオでコードを出す。ドラムがふざけてテーマをユニゾンする。そこにはヒエラルキーどころか本当に最低限の秩序しかない。深夜から始まって空が明るくなり始めても終わらない、コード進行に沿ってぐるぐると廻り続ける円環的な時空が出現する。合理的どころか魔術的ですらあるその空間では容易にいくつもの伝説が生まれて、また忘れ去られていく。そこにはモダニズムなど一片も存在しないのではないだろうか?そしてそれは、楽器を演奏する人ならだれでも知っている、人類が音楽を始めてから今に至るまでずっと続けている行為なのだ。ビ・バップはビッグ・バンドから生まれて、そこへ帰って行っただけなのだ。ビ・バップの演奏を聞くと時々そんな気がするのである。そして、モダニズムの塊であるスウィング・ジャズのオルタナティブとして、非モダンなジャムセッションという現場から立ち現れたビ・バップは、優れて「ポスト・モダン」な音楽なのではないか、そんな想像が働くのである。

技術的な話をすると、まずビ・バップが他の音楽と異なる際立った特徴として、アドリブで演奏されるソロが挙げられるだろう。ビ・バップを演奏する目的はソロを取る事であり、聴く目的はソロを聴くことである。まあ、人によって色々だろうが、大まかにはそういう感じのはずだ。他のジャンルの音楽にも即興でソロを取るケースはあり得るが、それはあくまでブルースやポップスの様に楽曲の1パートであったり、カントリーやクラシックの様にサブジャンルであったりするのではないだろうか。「ビ・バップ」の様に即興演奏をメインとする音楽ジャンルとして確立されたものも、他に有りはするのだろうが浅学にして僕は知らない。いずれにせよビ・バップが即興演奏という点でずば抜けて存在感と影響力を持っている音楽ジャンルということは言えるだろう。では、ビ・バップにおいて、そのソロはいったい何を表現しているのだろうか。
ビ・バップにおいては演奏される即興のソロが表現するものは、そのソロの「メロディ」~旋律だけではなく、曲の「グルーヴ」つまりリズム、及び「コード進行」~ハーモニーも含まれている(もちろん楽器の音色や演奏する人物のイメージも含まれるが、それは取り敢えず置いておいて)。ソリストが、その演奏のリズムとハーモニーがどの様なモノかを決定するのであり、それを可能にする為に取られる方法が、コード進行の再解釈と細分化である。
ビ・バップにおいては演奏される曲のコード進行を細分化して4度進行に落とし込むように解釈し直す、ということが行われる。これは、4度進行~ドミナント・モーションという強力な指向性を持つコード進行を利用して使用するコードを増やし、それによって使用できる音を増すことでソロのフレーズのバリエーションを増やす為である。これによって1小節の中で使用できる音が増え、ソリストは8分音符でソロを取ることが容易になる。
そして8分音符を演奏することによって、ソリストはドラマーに代わり、曲のリズムを「刻む」事が可能になる。ビ・バップにおいては、ソリストはたとえピアノの様なコード楽器であっても、シングルノートで8分音符のメロディを紡ぐことを要求される。アドリブで演奏されたソリストの8分音符のメロディはドラマーの右手のシンバルレガートと同等以上の強度を持って、演奏される曲のグルーヴを決定するのである。
この様なソリストの演奏に対応して、ケニー・クラークはバスドラムでビートを出すことを止め、シンバルでのリズムキープに徹すると同時に、ソリストのとるソロの隙間を埋める、まるでそのメロディの一部となるようなフィルインや、ソロが盛り上がるべきところでキューとなるようなロールを入れるなど、ビ・バップのソロに適応した現在のジャズドラムのスタイルを開発したと言われる。
また、ソリストが8分音符を使用して表現するのは即興のメロディであると同時にコードの流れでもある。細分化されたコードのコードトーンやそれに基づくスケールを織り込むことによって、ソロのメロディがコード進行を表現するようになるのである。更に、ソリストが即興で元々のコード進行を再解釈して細分化することも可能になる。コード楽器であるピアノやベースによらずにソリストが単旋律によって曲のコード進行を決定することが可能になるのである。
これに伴い、ピアノの様なコード楽器のバッキングが、コードそのものを弾くのではなくソロのメロディを補完する様なシングルノートのオブリガード主体のものになる。コードを弾く場合でもルートや5度の音を抜いて、ソリストが自由に転調してもサウンドする工夫をするようになった。
そこには、音楽を「メロディ」「リズム」「ハーモニー」に分析して、楽器ごと、パートごとに役割分担をすると言う様な合理主義は存在しない。ソリストが中心となって、メンバー全員が「メロディ」「リズム」「ハーモニー」を同時に含む演奏をするのである。そしてこれが本当に面白いのである。

また、ジャズを学ぶということはしばしば外国語を学ぶことになぞらえられる。ジャズの理論を「文法」と言ったり、アドリブソロでよく使われるフレーズが「イディオム」と呼ばれたりする。実際の練習も語学習得の訓練とほぼ同じスキームで進められる。理論(文法)を学び、パーカーのソロ譜を吹いたり(リーディング)、暗譜(暗唱)したり、自分でソロを組み立ててみたり(スピーキング)、コピーしたソロにかぶせて吹いてみたり(オーバーラッピング)、気に入ったミュージシャンのソロを譜面に起こしてみたり(ディクティエーション)、気に入ったフレーズを12のキーで練習したり(イディオム)、実際にセッションしたり(カンバセーション・トーキング)、この繰り返しである。全く外国語を習得するための訓練と同じなのである。なので、ジャズに於いてアドリブソロを取るという行為も外国語で話すという行為に近いモノがある。時々、理論ばかり語って全然コピーをしようとしない人がいるけど、ウィントン・マルサリスみたいなネイティブじゃないんだから、イディオムを学ばない奴が話せるようになるわけないのである。
ビ・バップの演奏の中にはソニー・スティットの様にしばしばプレゼンをかましてくる様なのもあれば、モブレーとウィントン・ケリーのバンドの様に駄弁って遊んでいるように聴こえるものもある。ゲームをプレイしているみたいなのである。確かにイディオムを上手くつなぎ合わせ、新しいメロディと強力なグルーヴをバンド全員が協力して生み出すという行為には、スルーパスを出し合いながらパズルを解く様なゲーム性が有る。ソリストは会話を楽しんでいるかのようだ。会話はミュージシャン同士だけではなく、自分自身、また観客となっている人々とも行われる。ソロを演奏しながら観客が「解っている」と感じる時、ソリストのテンションは一気に上がるのだ。そしてイディオムを繋ぎ合わせ、メロディに上手く意味を載せて良いグルーヴを生み出せた時、その場にいる人々は素晴らしいパズルの解が組みあがったのを目撃し、その空間には強力なカタルシスが発生するのである。
これは話芸に通じるものがあるのではないだろうか?ネタは全て先人達が創ってきたものでも構わない。しかし自分のとるソロは、今、自分が創ったものなのだ。
マイルスがディジー・ガレスピーをソックリに吹ける様になるまで練習をしたという話が彼の自叙伝に出てくるが、ある意味ビ・バップのソロは全てコピーで出来ている。命題的にパーカーをビ・バップの象徴と考えて「パーカー以降のジャズは全てパーカーのコピーである」と言い換えても良いだろう。しかし、もちろん我々の演奏するジャズは全て我々のオリジナルでもある。ソレは自分の語る言葉が我々の先祖から受け継いで来たモノのコピーであるにも関わらず、自分のオリジナルである事と同じである。そういう意味では「パーカーのコピーでは無い演奏はもはやジャズでは無い」とも言えるだろう。

以上が僕が考えるビ・バップというものである。
しかし、ビ・バップの様な即興演奏―再生産することが不可能なもの―を記録したもの、つまりモダニズム―大量生産文化、機能的な生産ラインから生まれる規格的なプロダクト―のコンセプトと真っ向から対立するものが、モダニズムのコンセプトに則ってメディアに複製されて市場に流通し、大衆的な人気を得るなどということがどれほど稀有な事かは想像すれば解ると思う。ジャズ以外にも市場に乗った即興演奏を主体とする音楽はあったかもしれない。しかしそれはあくまで実験的なもの、マニア向けのものに過ぎず、ジャズ以外で大衆的な支持を得たものは皆無であったと言えるだろう。他のジャンルにもライブアルバムというものはある。がしかし、ビ・バップに於いては原理的にライブアルバム―二度と繰り返すことが不可能な一瞬の記録―「しか」ないのである。
ビ・バップはモダニズム全盛期の最先端技術だった「レコード」という複製前提のメディア産業が成立する事によって生れた。そしてそのモダニズムの時代の終わりにメディア産業ががこぞって商品化したものが、きわめて「非モダン」な存在である「即興演奏」だったという事、そしてその後、「即興演奏」の商品化の成功が、ヒップ・ホップの誕生までほぼ唯一の存在だった稀有なものであることは特筆に値するだろう。(しかし、フリースタイルのラップがアルバムの様な複製商品として成功した事例を僕は知らない。多分あるんだろうけど。)

上記の様にいくつかの水準で、複製、コピーの技術を前提とし、音楽を表現する事と同時にコミュニケーションを表現する事を重視する芸術を「モダン」と称することに、僕は大きな違和感を持つのである。少なくとも美術館に飾られた便器以上には「ポストモダン」な芸術であると言えるのではないだろうか。頭の良い人、如何ですか?

さて、そしてジャズの「進化」とは?という話である。
先にも書いたように、ジャズの「進化」とは様々な多様化のほとんどの可能性を切り捨て、恣意的なスタイルのみを歴史化することによって初めて成り立つ幻想であると言える。現在ジャズが進化の袋小路にハマっているように見えるのは、様々な多様化の試みの一つを採り上げて歴史化することが大変困難になっているからに他ならない。僕の知っている90年代以降にも、M-base、Tipo言語、フラクタル理論、マイナーコンバージョンコンセプト、アシッドジャズ等の「新しいジャズ」は生まれているし、嘗てはエリック・ドルフィーのアヴァンギャルド・スタイル、オーネット・コールマンの「ハーモロディクス理論」、ローランド・カークの多管奏法と循環呼吸法、マイルスが最もクリエイティブだった時代と言われる70年代のファンク・スタイル等々があったが、どれ一つとして多様化の域を出ず、フォロワーにも恵まれず、本家を残してそのほとんどがいつの間にか市場から消え去ってしまった。まるで鳥に進化し損ねた恐竜たちのようである。そして我々は相変わらず1940年代から60年代の音楽をジャズとして消費し続けている。
これは結局、ジャズは40年代~60年代から「進化」などしなかったということを証明しているようにも思える。60年代以降のスタイルの変化など、単に様々なミュージシャンが「俺流スタイル」を生み出しただけで、それをもってジャズの「可能性を広げた」ぐらいは言えても(まあ、そんな可能性は元々ジャズに内在していたものに決まっているんだけど)、ジャズが「進化」したというのは無理があったという事だろう。結局、現在のところ、鳥(Bird!)に進化できた恐竜はビ・バップのみであったのだ。
では60年代にあった最後のジャズの「進化」は何であったかと言えば当然「モード」奏法の確立である。モードは「コード進行」という西洋合理主義からジャズを開放し、よりプリミティブで自由な演奏を可能にしたと言われる。
しかしモードには致命的な欠陥が2つある。1つ目は「暗い」ということである。モードは「コード進行」という西洋合理主義的技術からジャズを開放したかもしれないが、その際に参照したものは結局のところ「平均律」という極めて西洋合理主義的な技術に基づいた「(キリスト)教会旋法」であった。マイルスも自叙伝でゴスペル、ゴスペル言ってるけど、言ってるだけ感が強い。それが原因かどうかは良く判らないが、モードジャズの演奏の多くは暗かったり深刻そうだったりするような気がする。ドリアン・モードって基本暗いし、浮遊感だったり無調性っぽかったり実験的だったり、別にいいんですけどなんか暗いんですよね。そんなんだから他の音楽ファンから「聴いたことないんですけど、ジャズって『進化』するんですよね、スゴイデスネ~。あ、私、別にジャズは良いです。」とか言われちゃうのである。そんな気がするのである。
2つ目はそれが「ジャズ理論である必要がない」ということである。スウィングすることが前提のビ・バップと異なり、モードは即興演奏の理論としては汎用性が高すぎてジャズフォーマットのみで扱う必然性がないのだ。あらゆる種類の音楽がモード理論で説明できてしまうならば、最もモード的にカッコいい音楽は何か、となった時に、ソレがジャズである可能性は高く無いだろう。敢えてモードでスウィングする必然性など有りはしない。実際、モード奏法が得意な人ってスウィング感というより疾走感というかドライブ感というか8ビート感のあるロックっぽいソロを取る気がする。マッコイとか。あれはあれでカッコ良いんですけど。でもアレ、割り切れない「非合理的」なリズム感が身の上だったスウィングと比較して、数学的に割り切れる「合理的」なリズムって感じもするのである。しかし、こう考えると、マイルスの音楽は「進化」するたびにモダニズムへ回帰していっているような気がするな。ロックとかフュージョンって楽器間の役割分業体制は露骨だし。
ジャズ以外の他ジャンルの音楽でモードが普通に使用され、肝心のモードジャズはなんか暗くて嫌われ気味だし(あくまで個人の感想です)、「進化する音楽」ジャズの希望・フュージョンはもはや時代遅れだしで、ジャズが「進化する音楽」として生き延びるためには「進化する音楽<は>ジャズ」という転倒を起こさねば「進化する音楽<としての>ジャズ」業界が立ち行かなくなってしまっているのではないか。結果的に矢野顕子の様な、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンとの共演が多い、「進化する音楽」をやっているような気がするミュージシャンが「ジャズライフ」誌の表紙を飾る事態になるのである。そんなことならサイモン&ガーファンクルだって当時のジャズ雑誌の表紙を飾ってもよさそうなものであったが、現在とは異なりもちろんそんなクソダサいことにはならなかった。ジャズ業界は、今や様々な「進化する音楽」をジャズと言い張ることによって「ジャズ」を「進化する音楽」として延命させようと必死なのだ。マジでカッコ悪い。

ポストモダンはファシズムに対する抵抗の思想であるという事は先述した。ソレはマルクスによって、銃の代わりに労働者達に与えられた共産主義の様なモノでは無い。僕等をアイヒマンにしよう、ニーメラー牧師のままでいさせようとする何かに対抗する為の方法論なのだ。その「何か」はなんなのかを暴露し、取り込まれずに闘うこと。ソレに勝てないまでも決して負けない為のテクニックなのだと思う。難しい事はよくわからないが要するにそういう事なんだろう。
そう考えると、白人ギャングの経営するバーにわざと遅刻して行き、演奏もせずに食事を注文した上にタダ酒を要求し、その後でとんでもなく素晴らしい演奏をして見せるパーカーの闘い方と、バードランドの前で言いがかりをつけてきた白人警官とケンカして殴られ、逮捕されてしまうマイルスの闘い方の違いを思わずにいられない。周知のように白人嫌いだったマイルスは、白人を罵りながら自分のバンドに多くの白人を雇い、ジャズをビ・バップには歯が立たなかった白人でも扱えるものに「進化」させていくのである。マイルス最後のアルバムが『doo-bop』だったことを鑑みると、マイルスも自分の音楽が白人支配の強化に貢献してしまったかもしれない事について、無自覚にも自分が白人にとって「優秀な奴隷」だったのかもしれないことについて、考えずにはいられなかったのだろうと思う。
結局、現在流通しているマイルスという物語もジャズの「進化」という物語も、事実という小さな物語を「切り貼り」―恣意的に選別してつなぎ合わせて―して作り上げた大きなストーリーのうち、他より見栄えの良いモノの一個に過ぎない。確かに現在の「ジャズの歴史」はマイルスを大きな縦糸として編まれていると言って良いだろう。だが、もしかしたらある日、ポニー・ポインデクスターのレコードをサンプリングしたポップソングが大ヒットし、ポニー・ポインデクスターがいきなり「発見」されて「ジャズの歴史」のメインストリームに登場するかもしれない。そしてポインデクスターの「革新性」みたいなものを多くの人が見出だして、「ジャズの歴史」がポインデクスターを中心に再編されるかもしれない。その頃にはマイルスは「なんか当時流行った音もしょぼいしソロもしょぼい派手ではあったパワハラ」の様な扱いになっていてもおかしくはない。実際、小説や絵画の世界ではそんな作家はいくらでもいる。そして、そんなことになったら面白いのにな~、と思うのである。

「ジャズはただ曲がりくねって流れていくだけだ。俺たちは変わるし、進んで行く。」(セロニアス・モンク)

<参考文献>
アメリカ音楽史」大和田俊之
タコの心身問題」ピーター・ゴドフリー・スミス 夏目大訳
ニュー・ジャズ・スタディーズ ―ジャズ研究の新たな領域へ―」宮脇敏文 細川周平 マイク・モラスキー
バードは生きている」ロス・ラッセル 池央耿訳
日本のヒップホップ 文化グローバリゼーションの〈現場〉」イアン・コンドリー

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