連載_4
(4)
マサコは手羽先屋の、薄茶色の暖簾をくぐる。『少し建付けの悪い引き戸』は独特なガラッガンッという音を立てて開いた。
店内は狭く、この時間は客もまばらだ。
木製のテーブルは4人用を無理やり8人がけにしている。加えて6席のカウンターがあるが、一番奥の席は店ものと思われる鮮やかな緑色の枝豆が詰めこまれた『くまもっちゃんスーパー』の白い袋が無造作に置かれている。
いつもの店員(おそらく40歳半ばの男性で、いつも店の名前がプリントされた前掛けをしている)は、すぐにはマサコの来店に気が付かなかった。
自分の来店を告げるため、店内を見やった。
カウンターに一人で座るフジサワとカチリと目が合う。
正直なところ気まずかった。ただ、こう完全にお互いの存在を認識してしまうと、店を出るわけにもいかないし、わざわざ離れた席に座るわけにもいかない。
マサコは観念して、フジサワの隣、カウンター席に座った。
「今日はお疲れ様でした。まさかここで会うとは思わなかったです。」とフジサワは言った。彼女の声は少しアルト気味で低く、早口で感情が読み取りにくい。
「けっこうここよく来るんですよ。手羽先がおいしいんです。」
適当な相槌をし、生ビールと手羽先から揚げを4人前注文する。もちろん、フジサワと分けるためだ。
細かい泡が蓋となった黄金色の生ビールは、ジョッキの持ち手もとても冷えていて、手のひらが心地よかった。ルーティンタスクのように無意味な乾杯を済ました。
同時に運ばれてきた手羽先は、まだ少しジュワっとした音をたてている。カリッとした歯ざわりが心地よい。口に含むと黒こしょうの香りが広がり、さらりとした油で揚げらていることがわかる。
これをよく冷えた生ビールで流し込む。その日の疲れも一緒に流れていくような心持ちだ。もう今日の出来事はこの店では忘れたい。
ビールジョッキを持ったフジサワが「先程の相談はありがとうございました。ちょっと変な相談でしたよね?」と、低い声で現実に引き戻した。
フジサワとマサコにとって、カウンターがかえってちょうど良かった。お互い自然に目を逸らしながら、このややこしい会話を重ねることができる。
マサコは手羽先の骨を見つめながら、「本当に鳥人間になるために、会社辞めるの?」と言った。
フジサワは少し気恥ずかしそうに「はい…。先程は失礼しました。開口一番『鳥人間になりたいんです』だなんて、驚きますよね。ただ、お話したように今からでも航空工学の研究をしたい気持ちは変わらないんです。」と返答した。
フジサワとマサコが、こうして二人で飲むのは初めてだ。10年ほど前は、毎週のように就業後、飲みに行っていたマーケティングチームも、ここ数年は働き方や生活のスタイルも変わり、酒を飲み交わす機会は会社公式のものを除いて無くなっていた。だから、マサコはフジサワが一度に生ビールを3杯も頼むほどに、酒を飲むことも知らなかった。
フジサワの話によると、今は受験勉強をしながら、大学の鳥人間サークルの手伝いをしているらしい。
フジサワはするすると自分のことを語り、マサコも自然に会話を重ねることができた。
お酒は関係値を縮めるツールようなものになのかもしれない、そう思うと悪くない、とマサコは思った。
紙でできた割り箸の袋に印刷された、タレ目の鳥人間がニヤリとマサコに微笑みかけた。
二人が将来は「トリゾー」を鳥人間コンテストのスポンサーにしようなどと他愛もない話題で時間を過ごしていると、少し乱暴にガラッガンッという音がした。
二人は暖簾をくぐったカワイと目があった。
(つづく)