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物語としてのメルカリ

子どもの頃から、積極的に他人の人生に関わっていくのは苦手な質である。しかし、自分には直接の影響がない距離から人の生活をのぞき見し、想像を巡らせるのは好きである。正確に知りたいわけではなく、少しだけ見える・聞こえる情報から勝手なストーリーを想像するのが面白いのだ。

例えば、電車の窓から見えるマンションのベランダ。そこに干された洗濯物。その断片的な情報から、その家庭の生活に思いを巡らす。阪神タイガースの大きなTシャツと少年野球のユニフォーム。くたびれた女性物のカットソーに、大量に干されたタオルと新生児用肌着。野球好きの父子と、生まれたばかりの赤子の子育てに四苦八苦する母の姿を思い浮かべる。(なぜ子育てといえば母親なのか、というつっこみは一旦、置いておこう。)

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そんな私の最近のささやかな楽しみ、それはメルカリに出品された品々を見ることだ。

「祖母が娘のためにひと針ひと針心をこめて編んだセーターです。大事に着せていましたがサイズアウトしたため出品します。」こんな説明とともに出品された小さな子ども向けのセーター。見事な編み目からは、お祖母さんの高い技術が伺える。価格は8,000円。そこに詰まった家族の思い、製作にかかったであろう時間を考えるとまったく妥当な値段である。
そんな思いのこもったセーターが大事に受け継がれていくことを思うと、私の心は弾んだ。いつ次の持ち主が見つかるだろうか。ハートの「いいね」をタップし、ワクワクしながら売れる瞬間を心待ちにした。

しかし、待てども待てどもなかなか売れない。ブランド物の子供服が一瞬で売り切れていくなか、セーターの季節が終わっても出品され続けている。だんだんと値段を下げながら。

他人の子どものために編まれたという事実が買うのを躊躇させるのかもしれない。値段もメルカリでの相場を考えるとまだ高いのかもしれない。しかし、祖母の愛情が編み込まれたこのセーターを、たたき売り状態にしなければならない母親の気持ちを思うと胸が痛んだ。このまま売れない商品として市場に残されるよりも、一本の毛糸に戻し、別の作品に仕立ててもらう方が幸せなのではないか。そんな勝手なことを思いながら、これ以上は見るに堪えず「いいね」を外した。

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また、出品履歴からもその裏に隠された個人のストーリーを紡ぎ出すことができる。

私が出品中の商品に「いくらまでお値下げ可能ですか?(^^)」とコメントをつけてきた人物。ちょっと不快に感じながら、その人物の出品履歴を見ていると、紳士服量販店の中古のスーツや革靴と一緒に『マンション1棟買いなさい』『お金が貯まる10の方法』などといった怪しげな本が出品されている。スーツを脱ぎ捨て、ついにFIRE達成だろうか。そんな人生のドラマを想像する。

新生児服と女性のヒール靴が大量に出品されているときにも、女性の人生の節目の葛藤を勝手に読み取ってしまう。キラキラと輝くスパンコールのついた美しく高価な靴たち。それは出産前の彼女の人生の象徴でありプライドであったに違いない。ハイヒールを鳴らしながらおしゃれな街を闊歩していたのだろう。それが妊娠とともに出番がなくなり、出産後にはホコリを被っていったのかもしれない。その時彼女はどんな思いだっただろうか。後悔を伴う出品ではなく、次の人生を楽しむための出品であることを願う。

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ただ、これらはあくまで妄想であり、私は実際の出品者のことは全く知らない。事実は大きく異なるのかもしれないし、それで構わない。その程度の距離感が私にはちょうどいいのである。

しかしときに思いがけず、他人の人生に直に触れてしまったと感じることがある。私の出品していた子ども服用の洋裁本が売れた際、購入者からこのようなコメントが届いた。

「孫のために服をつくってあげたいと思い購入致しました。下手の横好きではございますが、心を込めて作りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。」

私はメルカリのやりとりはなるべく効率的にやりたいタイプで、ほとんどのやりとりを定型文でこなしている。商品が売れた際には「購入いただきありがとうございます。発送次第、通知よりご連絡しますのでしばらくお待ち下さい。」この1パターンで終了だ。必要なことのみ完結に述べた内容であり、いつもは躊躇なくこの文面を送っている。

しかし、このときは定型文で返信することをためらった。購入者の思いに対して、もう少し丁寧な回答が必要なのではないか、という気がしたのだ。その上、過去の取引実績をみても購入で1評価しかないメルカリ初心者である。「通知よりご連絡」の意味もわからないかもしれない。そこでいつもの定型文ではなく、以下の返答をした。

「ご購入ありがとうございます。お孫さんへのプレゼント、素敵ですね。私には制作が難しかったので、活用いただけて嬉しいです。発送し次第ご連絡致しますので、もうしばらくお待ち下さい。よろしくお願い致します。」

先方は私がいつもどんなやりとりをしている人物か知るわけでもないし、わざわざ個別のメッセージを送る義理はないのかもしれない。しかし、私の出品したものに対して特別な思いを持ってくれている人に対しては、いつもより姿勢を正して対応をしたいと思った。また、私自身が長くインターネットサービスに関わる仕事をしていたこともあり、高齢者がインターネットを利用する際、少しでもよい体験をしてほしいという思いもあった。

それはある意味で面倒な体験でもあるのだが、その面倒さこそが人間らしさという気もしている。安全圏から他人の人生をのぞき見して妄想しているだけではえられないリアリティがそこにはあるのだ。


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