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いつかの誰かのイメージでできた鎧を着ていることに気づいたら……

私は、しっかりとしていなければならない。
私は、失敗してはならない。
私は、正しいことをしなければならない。
私は、誰とも仲良くしなければならない。
私は、いつも笑っていなければならない。
私は、立派な人にならなければならない。
私は、成功しなければならない。
私は、勉強ができなければならない。
私は、完璧な母でなければならない。

そう思って生きてきた。
いや、そう思ってなんていやしないと思ってたけど、どうやらそうだったらしい、と気づいた。

笑えるのは、その中に、美しさや女性としての魅力について、自分に課していないところ、そこへの期待はなぜかなかったんだね。

けれども、それでも、これだけの課題は、無理っしょ。
こんな人、いるのかな?
もし居たら、絶対無理しているでしょ? いつか爆発するでしょ? 何か裏があるでしょ? そんな風に思ってしまう。

何でこんなこと思ったんだろう。

そう考えると、きっと一瞬とかたった一回とか、そんな感じで例えば褒められて、それが嬉しかったから、ずっと誰かに褒めてもらいたくて、その自分であり続けたい、あり続けなければ、褒められない、愛されない、価値がないと思ってしまったのかもしれないな。

「しっかりしているね」と褒められたことがある。
「あんまり失敗しない」って言われたことがある。
「あなたの言うことは正しいね」と言われたことがある。
「誰とでも仲良くできて素敵だね」って言われてことがある。
「いつも笑顔で素敵だね」って褒められたことがある。

「立派だね」って言われたことがあって、ずっとそう在りたいと思ってた。
そのためには、成功しなければならない。
成功するためには、勉強ができなければならない。
そして、子を持ったからには、完璧な母でなければならない。

そうやって、ずっと、もっともっとって思ってきたね。

今となっては、誰だか特定すらできない、誰かのものさしで図られた、無責任な、イメージをきっかけに、自分の中に飼っている厳しい番人に見張られて縛られて生きてきたのかもしれない。

きっかけとなったそれらの言葉たちは、本当にそんなところがあったのかもしれないけれど、それは、その瞬間の私であったり、私の一部分であったり、はたまた、誰かの幻想やリップサービスだったのかもしれないんだよね。

自分で本当にそう在りたいと思ったのならともかく、いつかの誰かの幻想からできたイメージの鎧なら、そろそろ脱いでしまわないかい?

別に、
しっかりとしてなくたって、失敗したって、時には間違えたって、誰かを嫌いになったって、時には泣いたって怒ったっていいんだ!

立派じゃなくても、成功しなくても、勉強でわからないことがあっても、不完全で未熟な母であっても、存在してていいんだ!

だから、自分のこともさ、そろそろ本気で愛してみよう。

本当は、誰よりも愛されたい、自分自身に愛される許可を出そうよ。

今まで来ていた鎧は、いつかの誰かのイメージがきっかけでできた鎧だから、それを脱いで、ありのままの、自分でさ、少しずつでいいから歩いてみよう。

脱いでみたら、すごく完璧で頑丈に作ったはずのその鎧が、ただの鉄屑だったんだって気づいたよ。

そして、しっかりと着ていたはずのそれの、メッキは既に剥げていて、「大したことのない自分」だって、とっくにバレていたと言うオチにすら気づいた。

そして、それでも、愛してくれる人はいたんだと事実にも気づいた。

だけど、同時にその鎧は、精一杯、今までずっと私を守ってくれていたものだから、感謝の気持ちを持って送り出したい。

今までありがとう。そして、さようなら。

大丈夫。これからもきっと、大丈夫。

ありがとう。

愛している。


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