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書きづらい文章について思うこと
書きやすい文章と書きづらい文章がある。
私にとっての書きづらい文章とは「書きたいけれど、書いてしまうのが怖い」という気持ちが湧いてくるものだったりする。
書いてしまうのが怖いのは、それを読んだ誰かが傷ついてしまうかもしれないから。
私に、傷つけるつもりがなくても、傷つけてしまう恐れがあるテーマだと薄々感じているからだと思う。
はて、そもそも「傷つく」ってなんだろうか?
その人が嫌な思いをすること?
その人の心に凹みができてしまうこと?
例えば、誰かが嫌な思いをしたとして、その原因が自分ではなかったらどうだろう?
「そんな心ないことを言う人がいるんだね」ってその人に心を寄せて、思いやりを示すことができるかもしれない。
その人が傷ついてしまったことは気の毒だけれど、それをきっかけに、ほんの少し、自分が心のある温かい人であるという表現ができる可能性もある。
ただし、その人とコミュニケーションを取れるときに限られるけど。
でも、もしも、自分の言動が原因で、誰かが傷ついたと感じてしまった場合はどうだろう?
自分が、その加害者だったとしたら。
「自分が加害者」という言葉ですら、嫌な気持ちがする。
嫌な気持ちがする、ということは、自分も傷つくということなのか?
ということは「誰かを傷つけてしまうかもしれない」ということは、「自分が傷ついてしまうかもしれない」ということなのかもしれない。
誰かが傷つくこと以上に、自分が傷つきたくなくて、書くのを躊躇するのかな。
昔、見た、ドラえもんの秘密道具で、「返事先取りポスト」というのがあったことを思い出した。
それは、言いづらいことなどを書いた「出さない手紙」をポストに入れると、先に返事がもらえるというものだった。
もし今「返事先取りポスト」が使えて「これを書いて公開したら、誰かが傷ついてしまうか?」という文章の反応を、先に確認できるとしたらどうだろう?
便利かもしれないけれど、現実と架空がごちゃごちゃになってそれはそれで訳がわからない状態になる気もする。
それに、もしかしたら、必ずしも「書くこと=誰かを傷つけること」ではないのかもしれないとも思う。
書いた文章を公開することは慎重にするべきだけれど、思いを書き出すことで、「自分の気持ちを自分自身が誤解していること」にも気づけるかもしれない。
思いを全部出した上で、考えを整理し、思いを味わい、言葉を選び、折々の言葉、心の機微を丁寧に綴り直してまとめることで、他人も自分も傷つけない誠実な文章に辿り着く可能性もある。
そもそも、書き出したことで気持ちに整理がつき、一定の満足をして、別にどこかに公開しなくていいと思うかもしれない。
どうなのかなあ。わからないなあ。
でも、実際にやってみたら、何かしらわかるだろう。
まずは思いを書き出してみようかな、書きづらいテーマについての。
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