子育て登山8合目のお守り
子育て中の、ちょっとしたつぶやき。
一人っ子の息子は、今、高校一年生。
子育てがもし、成人の18歳までだとすれば、任期はあと2年と少し。
山登りだとしたら8合目くらいだろうか?
小さい頃、息子は、集団に馴染みづらくて、引っ込み思案だったから、とても心配だった。
親として何ができるだろう? って考えて、たくさん育児本を読み、ネットを検索した。
「HSC(ひといちばい敏感な子)」の概念に出合って、「うちの子だけじゃないんだ」ってホッとしたっけ。
こうした子にはどういう関わりをすればいいのかって本を読んで取り組んで、少しずつ、息子に友だちもできてよかったなと思ったり、過保護すぎる自分を反省して落ち込んだりしてさ、どうにかこうにか今に至っている。
小学校や中学校に行き渋ったときには「不登校になったらその時はその時だ」と親として覚悟したつもりだったけれど、「できれば学校に行って欲しいな」という気持ちがオーラのように体を包み、前面に出ていたらしい。
だから息子は「行くしかない」と思っていたらしい。
スイミングスクールも、相当嫌がっていたけれど、辞めさせなかった。
だけど、勉強に関してはあまりうるさく言わなかった。
その一つひとつの子育てでの関わりの選択の結果が今に至っているのだと思うのだけれど、「これでよかったな」と思うことと「もっとこうすればよかった」と思うことが入り混じっている。
「もっとこうすればよかった」と思う点の一つは、もう少し、勉強することの大切さを伝えればよかった気がすること。
私自身は学校の勉強が好きな子どもだったから、勉強が好きじゃない息子の気持ちがあまり理解できなかった。
最初は「なぜわからない? なぜ取り組まない?」と思って、”私だったらこうする”という接し方をしていたけれど、途中から、「人は一人ひとり違う」と気づいて、だけどちょっと「子どもを尊重した方がいい」と思いすぎて、「いつか、勉強の大切さに気づいて、そのうち、自分からやるだろう」と思っていたら、やらなかった感じだ。
反省点のもう一つは、一つ目と矛盾しているようだけれど、過保護すぎたこと。
監視しているつもりはなかったけれど、心配のあまり、凝視はしていたんだと思う。
言葉で多くの指示を出した覚えはないけれど、無言の「圧」で結果的にコントロールしようとしていたのかもな……。
息子を自分で自発的に何かをやろうとするようには育てられなかった。
息子は、「親はどう思うかな?」って察する人だった。
それに甘えていたのかな、私の方が。
「自分で考えていいと思ったことをやればいいんだよ」みたいなメッセージはちゃんと届けられなかったと思う。
私が「失敗が怖い人」なので、息子にもそれが引き継がれていたのかもしれない。
親の「行動」を真似するよね、子どもは。
一方で「これでよかった」と思うこともある。
それは「対話ができる関係」が築けたこと。
「実は、あの時、つらかったんだ」「お母さんの圧がすごくて、本音が言い出せなかったんだよ」などと、何年も前の息子の気持ちを知ることができているのは、息子が忌憚なく、今、本音を話してくれるから。
「そうだったのか。ごめんね。あの時は、私もいっぱいいっぱいだったんだよ」「自分なりに精一杯考えて、ああいう対応をしたんだよ。そうかつらかったんだね。気持ちを伝えてくれてありがとう」
息子に過去のダメ出しをされると、落ち込んでしまうけれど、それでも、そう気持ちを伝え直せるのは、「対話ができる関係」だからだと思って感謝している。
ある日「完璧な母親ってなんだろうね? お母さんは、ちゃんとお母さんできてなかったかもしれないね」と息子の前で話した時があった。
そうしたら、息子は「完璧な母親なんて、怖すぎるよ。きっとそんなのないから。言葉が悪いけど、もしそういうのがあったとしたら、「便利すぎ」て、俺は頼りすぎてしまってダメになってしまうと思うので、そうじゃなくて、今のままでいいよ」って言っていた。
過去のことを謝った時は「わかったよ。精一杯考えてくれていたんなら、いいよ」と言ってくれたこともある。
有り難くて、愛情を持って接してくれているのは私ではなく、むしろ息子の方だと改めて教えてもらった気がしたんだ。
息子の発言を聞いて、なるほどなと思ったり、よかったなと思ったりすることが多い。
もちろん、それは違うんじゃないかって思う時は、「私はこう思うよ」と伝えている。
この状態は、不完全だなと思うけど、それで充分じゃないかとも思う。
振り返ると、ああ、と後悔する気持ちになることもあるけれど、「現場で一生懸命考えて行動した結果なんだから、仕方ないよ、これでいいのだ!」 と思うことが、心のお守りになっている。
そんなことを思った。