見出し画像

4.心の自由

心で思うだけならば
喜びも
怒りも
憎しみも
悲しみも
楽しみも
何をしても、何を思っても自由


そんな当たり前のことに
小学一年生から高校三年生まで
ずっと気づかず、悩んでいた。

ゴキブリが出たら
退治することが当たり前のように

たった一匹のアリを踏み潰しても
誰も怒らないように

私が殺してやりたい

存在価値がない人だ
と思うほど憎い人がいた。

そんな憎しみを抱える自分が
怖かった。

周りには、そんなに強い憎しみや怒りを抱えた人がいなかったから。

自分はおかしいんじゃないかと思った。

人を憎めるほど、自分はめいいっぱい
足掻いてみたのか?

「助けて!」って大声で叫んでいたら
未来は違ったんじゃないのか?

私は被害者ぶってる加害者じゃないのか?

"憎い許せない"
"いや、いつまでも、こんな憎しみを持っている
自分はおかしい。相手を許すべきだ"

心が叫ぶ。

私は一生懸命、答えを探した。
信頼できそうな人に話しを聞いてもらい
辛い経験をした人の本をたくさん読んだ。

そうして高校の時、出会った本に
過去を見返すために
頑張って勉強して
弁護士になった人がいた。

でも、私は過去のために
今を生きたくはなかった。

今も続く苦しみを
過去にしたかったから。

本を書いた人たちの経験は
それぞれの人の置かれた環境と
人と人との出会いから書かれたもので
私には当てはまらなかった。

でも、あるとき
ふと思った。

心で思うだけならば
誰のことも傷つけない。

心で思うだけならば
憎く思い続けても
許されるんじゃないか?

憎く思うことさえ
良くないことだ
、だと思ってきた私には

その考えは、目の前の霧が
一気に晴れるようだった。

そして、心の自由を感じたら
忘れられない辛かったことが
過去になった

自分を救ってくれる人や本を
散々、探したけれど
答えは自分の心にあった。

そのことに一番驚いた。

人を傷つける言葉も行動も
心で思うだけならば
現実にはならないのだ。

心の中だけは何を思おうが自由

これは私を憎しみから救ってくれた言葉
だけれど
捉え方によっては
私は危険な人なのかもしれない。

でも私は言葉の持つ力も
暴力による恐怖も
十分に分かっているつもりだ。

だから、自分の言葉にも
行動にも、因果応報だと
覚悟している。





サポートはお気持ちだけいただきます💖 記事を読んでくださってありがとうございました😊✨