電子書籍で削がれるもの
紙の本が好き。好きだけど海外に住んでいること、引っ越しや断捨離考えてデジタルに移行しつつある。老眼に優しい。で、新しく買う本は電子書籍ばかり。
でもつくづく電子書籍で失うものにはなかなか慣れない。手に持って紙をめくるという行為か存在しないということ以外での無くなってしまうもの、不便 さ、名前がつけられない違和感 ってどんなものだろう。
1
電子書籍は自炊本以外 貸し借りが不可。か、不可能。電子書籍を1枚1枚自炊すればいいんだろうけど、気軽に紙の本を貸すようなわけにはいかない。
これってへん。同じだけの値段を払っているのに、自分のものではないとはこれ如何に?理不尽。
2
1の続きだけどコミュニケーションツールが一つすっぽりなくなった感じ。見知らぬ人の感想を読んだり、自分の感想を述べたりすることは確かに可能だけど、そしてそれは多くの人の目にも触れるのだろうけど、生きたやりとりじゃない。
3
1番長い時を生き抜いている記憶媒体は石。紙は朽ちるし USBやメモリーカードの短さよ。せめて焼いたCDやDVD位の寿命が欲しいもの。手にとっても無意味なプラスチック片。目に一瞬で入ってくる固形 三次元の情報ではないところ。不安な程壊れやすい。
4
本棚に並んだ本は 本棚の持ち主しか見なかったとしても過去とか本の並びとかで多面的に持ち主の情報を提供する。フィルターを通して見る人格や歴史(の一部。)人の本棚を見る時にも同じように本棚の持ち主の経験とか時間とかに触れる。推し量ることしかできない漠然とした情報も含めて。
電子書籍には これがまるッと抜けている。人間1人1人の生きた情報のカケラが ザルでざっくり濾されてしまうよう。
父の電子書籍を、丸ごと全部引き継がました なんて話がこれから出てくるのだろうか。それなら三次元と結びついた記憶や匂いも面影もないけどかろうじて思考体験を読み取れる。
それとも、デジタルな本棚は省みられる事なく、消えて行くのか。ずっとアクセスもなく存在し続けるのだろうか。虚空を漂うデブリだ。
かように、思うわけである。たまらなくさびしいのう。
思うに電子書籍では紙の本に付随する「体験」がざっくりと削り取られると言うことだな。
最近何冊か本の切り抜きしたものを友に情報提供したくてUSBスティックに入れたりクラウドに上げてそこからダウンロードしてもらったりもした。返してもらう必要もなくお手軽である。(レシピ本の記事でファイルバカでかいけど)本ではなくファイルのやり取り。
人は こんな事を手紙からメールになりSNSに移行して行く度に 嘆いたりしたのであろうよ。
などと思いつつ 本日も電子書籍すなり。
追記 重大なものを忘れていた!
5 本屋を徘徊する体験。図書館に滞在する体験!溺れるように。
あまりにも長いこと日本語の本屋に居た体験がないので忘れていた。これ。日本に滞在じゃなくて住んでいないとなかなかできない。ああ、溺れたい。
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