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『君の不幸が消えないならば、世界をひっくり返すまで。』 第6話

(これまでのお話はこちら)


第6話『変化』

トラックが突っ込んできた時。
恐怖と共に、確かに茅早は安堵したのだ。

ようやく死ねる、と。

親もいない、友達もいない。
周りからは不幸を撒くと言われて避けられる。
実際その通りだったから、茅早は何も言えなくて。

毎日ろくな事がない人生だからこそ、せめて死ぬ時くらいはマシであってほしい。

意識不明の兄がいるから生きねばと思っているだけで、茅早の心の8割くらいはそんな思いが占めていた。

トラックにはねられるのは、果たしてマシな死に方だったのか。
あやめのおかげで生き延びた茅早は、それでも考えてしまう。

物心ついた時から、世界は茅早の敵だったから。

上手くいかなくて当たり前、生きているのが不思議なくらい。
だからあやめが自分を助けてくれて、これから彼女の側にいれば、本当に自分の不運もマシになるのでは、と僅かな希望が心に芽吹きつつも。
どうしても、勘ぐってしまうのだ。
(……もし、助けられたことこそが……)
……不幸だったら、どうしよう?と。

コンコン、と病室のドアがノックされて、茅早ははっと我に返った。
はい、と返事をすれば、入ってきたのはこの病院の看護師の一人で。
笑顔一つすら浮かべずに、ただ一言、「面会したいという方が来ています」と、抑揚のない声で言い放ってきた。
「……面会?」
そんな人、今まで殆ど来たことがない。現在の茅早達の法律上の里親だって、ここ数年は来ていないのに。
茅早が聞き返すと、看護師はあからさまにムッとした。
「秋沼さんという方ですが。ご存知ありませんか?」
「……知りません」
本当に知らない名前だ。だからそう伝えれば、微かに舌打ちが聞こえて。
「わかりました、では帰っていただきます」
そう言って、彼女は苛立ちを隠しもせずに去っていった。

遠のいていく足音に、思わずため息が漏れた。
あの看護師はものすごく無愛想で、他の患者に対する言動も良くない。けれどお偉いさんの娘か何かで、簡単に解雇できないのだと、噂を聞いた事がある。
けれど他からのクレームが多いから、自分たちの担当に回されているのだと、茅早は理解している。
……気味が悪いほど不幸な境遇の、自分たち兄弟のもとに。
冷たくされること自体には最早慣れてしまった茅早だけれど、やっぱりどうしても傷つくことは傷つく。
……まぁ、自分があの人のことをいくら考えたところで、現状は変わりはしないけれど。

(それにしても……、本当に、俺たちへの面会だったのか?)
あの看護師のことを頭から追いやって、茅早はこれまでに関わりを持った人間を思い返した。
(……確か、“秋沼”って人だったはずだが……そんな名前、やっぱり知らねぇ)
これまでに出会ってきた人は、悪い意味で記憶に残りやすい人達だったから間違いない。


……思い返せば、散々な目にばかり遭ってきた。

酷いいじめの標的になった児童養護施設。
そこから救い出されたと思いきや、実際は両親が遺したお金と、匿名の誰かから送られてくる謎のお金目当てだった里親。
仕方なく一人暮らしをすれば、借金から逃げようとした人が教えた偽の住所が運悪く茅早の家で、誤解をなんとか解くまで取り立て屋に恐喝されたり、脅迫文が投函されたり。
学校でも不良に絡まれるわ、万引きの濡れ衣を着せられるわで、安心して過ごせた日は正直数えるほどしかない。

安心とは、茅早にとっては慢心と同義だった。
ほっとした次の瞬間、不幸に打ちのめされるから。常に警戒していないと、何が起きても直ぐに対処できない。
慢心は死に直結する。自分にとっても、自分よりも死に近い、昏睡状態の兄にとっても。
周りはみな敵、そう思っていないと裏切られたときに傷つく。何かしてきた人間の名前を全て覚えておかないと、後々何をされるかわからない。そう思ってきた。

だからこそ、不思議に思った。
知らない名前。自分達宛の面会。
何か引っかかる、と本能が叫んでいる。
なぜか、「面会先を間違えたのだろうな」と考えてはいけないような、そんな気がした。

ざわり、と心が動いたような感覚を覚えて、茅早は思わず胸を抑える。
こんなことは、始めてだった。
内側で何かが心に触れているような……、けれど不快ではない奇妙さが、身体中を巡っている。
こんな時どうすればいいのか、わからない。
どうすればいい?

必死に頭を巡らせて……、ふと、あやめの声が蘇った。

---直感っていうのかな。そういうの、あたしは大事にしてる。

さっと、心に一筋の光が差し込んだような気がして、茅早ははっとした。
そうだった。先日、あやめと話した時に、何故そんなにも幸運になるのか、秘訣があるのなら教えてほしいと尋ねたのだった。
……きっと、不幸続きの自分とは違う考え方をしているのだろうから、少しでもそれに近づきたくて。……少しでも、不幸から逃れたくて。
そう伝えれば、あやめは暫く考え込んでいたが、やがてぽつりとそう言ったのだ。

---なんか、話してて思ったんだけど。茅早って色んなことを理詰めで考えてるでしょ?
その通りだったので頷いたら、あやめはこう続けた。
---それって、論理的でいいことではあるんだろうけど……。あたしはどっちかというと、心が動く方の物事を選んでるかな。
あたしの父親とかもそういう感じで生きてるよ、と言われて。

衝撃だった。
これまで、自分の感覚なんて、殆ど気にしたことがなかった。
そんなものに頼って間違えたら、死にかねないと思ってきたから。
実際、これまではそうだったと思う。冷静に物事を分析して、最適解を探って。そうやって茅早は生き延びてきたし、兄だって死なせずに済んだ。
けれど、運がいい人達というのは、ある意味真逆の考え方をしているとは。
言葉が出なくなった茅早に、あやめはあたふたとして。
---いや、茅早のこれまでの生き方を否定したつもりとかはないからね!あたしの一族がおかしいだけかもだし!
そう言ってくれたのだが。

……あの時、茅早は僅かに、けれど確かに思ったのだ。
”俺も少しは、感覚に頼ってみたほうがいいのかな“と。

確かに、合理的判断はこれからも生きる上で必須だけれど。
今までは、“最悪の事態を回避するだけ”で、“不幸そのものを回避する”、ましてや“運の良い方向に舵を切る”ことなどしてこなかったし、考えてもみなかった。

でも、あやめと出会って、命を救われて。
嫌なことばかりの人生に、いい流れが生まれたような気がして。
気のせいかもしれない。でも、それでもいいと茅早は思っていた。

いい加減、少しは楽になりたいのだ。
これまでの茅早にとって、それは死ぬことを意味したけれど。
生き延びていても、幸せを掴みたい。
あやめが助けてくれた時、無事で良かったと泣いた、その涙の美しさを目の前にして、そう思えたから。

これは兆しだ、と茅早の心がざわめいている気がする。
これまで生きてきた、真っ暗な世界から抜け出すための。
あやめみたいな、優しい存在と同じ景色を見るための、第一歩になるかもしれない。
そうであるなら嬉しい、……いや、そうなるために動きたい。

(思い出せ)
あやめはもっと詳細に、心の機微を知覚する方法を教えてくれていた。茅早にもできるように、頭を悩ませながら、段階を追って説明してくれた。

---まず、深呼吸して……
涼やかな声が蘇る。
息をゆっくり吸って、ふうっと細く長く吐いて。目を閉じて、心を見つめることを意識する。
自分の奥深くでは、何を思っているのか。
論理だけでは説明しきれない感覚はないか。

……何か心に引っかかっている。けれど、それが何だかわからない。
慣れないことに気持ちが悪くなりそうで、見るのをやめたくなって。でも、何かわかるまで、やめたくない自分もいて。
深い呼吸を続ける。
ざわめいていた心が、少しずつ落ち着いて。

きっと数分、もしかすると数十秒しか経っていないかもしれないのに、永遠のような気さえする時の流れの音が、茅早を包んでいるように感じた、その時だった。

ふいに、首元の勾玉が熱くなった気がして、茅早は目を開ける。
(……え?)
両親の形見だからと身につけてきた、緑の勾玉。兄のものと色違いのそれが、僅かに発光していて。
その光を見た瞬間、ぽん、と心に浮かんだ思いがあった。

---『その人を帰らせては駄目だ!!』
それを知覚した瞬間、茅早は弾かれたように兄の病室を出た。

なぜなのかはさっぱりわからない。理詰めで考えるときとはまるで違う感覚。
秋沼という人の顔も知らないのに。
もう帰ってしまったかもしれないのに。
なぜか、何かに引っ張られるかのように足が動く。
これに従ったらどうなるか、確かめたかった。
走っていきたくなる気持ちを抑えて、病院を出て。

その人は、そこにいた。

夕闇が迫り、受診を終えた人々が帰っていく中、その男性は門のそばで、名残惜しげに病院を見つめていて。
勢いよく飛び出してきた茅早と目が合った瞬間、目を大きく見開いたのだ。
「……桃吾……?」
男性が震える声で紡いだ名前は、茅早の父と同じもので。
茅早は彼の下に駆け寄って、恐る恐る尋ねた。
「父を……、知っているんですか……?」
瞬間、がしりと両手を掴まれた。
大きな温かい手だった。
これほど優しい温度を、茅早は久しぶりに感じた。
……遠い記憶の中で、頭をなでてくれた手と、似ていた。
「知っているとも!あいつとそっくりだ……君は、茅早君だね……!!」
涙を流しながら、その人は声を振り絞り、笑った。
「ようやく見つけた…これまで大変だっただろう、すまなかった……!!」
言葉の全てが温かい。どうしてこの人は、こんなにも茅早を案じてくれるのか。嬉しいけれどわからなくて、茅早は再び尋ねてみる。
「……あの、あなたは」
「あぁ、そうだった……最後に会った時、まだ君は赤ん坊だったね……」
男性は柔らかく微笑んだ。……茅早が覚えていないはずの、でもきっと記憶の何処かに息づいている、父親の笑顔と同じように。

「私は、秋沼修。君の父、桃吾の親友だ」

いつの間にか、勾玉の光は消えていた。

(続く)

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