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短編小説『眠れない夜は、気楽亭へ』その4

苦しさがとれない。
松林に囲まれた、海の見えるホテルのスイートルームにいるのに、どうしてだろう。
電気をつけていない部屋の中、窓際のソファに横たわって、私は夜空を眺めていた。
いい星月夜だ。北斗七星がはっきりと見える。
37階の角部屋であるここは、その高さのぶん空に近い。
手を伸ばしたら届くかもしれないと思う、けれど、決して届きはしないことを知っている。

あんな風に、私も輝けないものだろうか。
満月のように煌々とした光でなくても、優しく夜空を彩る光には、なれないのだろうか。
深いため息をついた時だった。

ぽっ、と灯りがついた。
見ると、白い大理石のテーブルの上の3つのアロマキャンドルに、彼が火をつけているところだった。
「随分落ち込んでんな、せっかく今日は特等席に連れてきたってのに」
彼は口ではそう言いつつも、私を責めている様子はない。その優しさに安堵する。
プルメリアの香りが、辺りをゆっくりと満たしていく。
胸につかえていた苦しみが、少しだけ消えたような気がした。

今日の気楽亭は、星降る海辺のホテルの一角である。

「この間は希望を持ってたってのに、今夜は一体どうしたんだ」
わかっているはずだけど、彼は改めて聞いてくる。
悪意があるわけでは決してない。だって彼は私自身だ。ただ、私の抱えているものを言語化できるようにしてくれているだけ。
「……私も、自分がよくわかんない。ちょっと元気になったかなと思ったら、落ち込むから」
「そりゃ、仕方ねぇけどな。そういう病気だし」
彼はワインボトルの蓋をきりきりと開けながら言った。
ちら、とボトルを見ると、“Marlborough”の文字が目に入る。ニュージーランド産だ。生産しているワインの95%にスクリューキャップを採用している国だ。
コルク栓ではないからと言って、安物だとは言い切れない。以前、同国の7000円台のワインを飲んだけれど、すごく美味しかった。
今夜、彼が入れてくれるワインも、きっと特別に美味しいに違いない。そう思って、私はそっと起き上がる。
「……いくら頑張っても、1年と保たずに倒れちゃうの。身体が、精神が、付いてきてくれない。
今だって仕事を探してるけど、身体にいろんな不調が出ちゃって、上手く、長く働ける気がしない」
私の声が、静けさをまとった部屋に響く。
だいぶ参っているな、と自分でもわかる声色だった。
キャンドルの炎が揺らめくのを見つめながら、私は言葉を重ねた。
「でも、書くことだけは続いてる。……私が無理せずに生きれる道はこれじゃないか、って思うの。……でも」
「自分にその実力があるかわからない、って訳だな?」
彼がグラスにワインを注ぎながら、ちら、と私を見た。
「……うん」
その通りだ。自分にそこまでの力があるのか、生活の基盤にできるのか。悩んでしまう私がいるのだ。
小説が書けるようになって、また読めるようにもなったけれど、どうしても他の人より出遅れているに違いないのだ。
売れるのか。稼げるのか。……普通の人より上手に生きられない私が?
ぐるぐるぐるぐる、不安はとどまることを知らない。

と、彼がすぐ側まで来て、ワイングラスを手渡してきた。
キャンドルの灯りを反射して金色に輝く液体は、まるで憧れを閉じ込めたかのようだった。
「ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブラン。飲みたかっただろ?」
そうか、これは白ワインなのか。
手を伸ばしてグラスを受け取り、いただきます、と呟いてから、一口飲んでみた。
途端、爽やかな辛さで満たされる。
まるで、果てしない草原の中にいるかのような感覚。
うじうじと悩んでいたのが、払拭されるかのようだった。
身体がぽかぽかしてきた私に、彼は言った。
「そりゃ、どうなるかなんてわからねぇけどさ。自分の好きなことを大事に続けていくことで、何かに繋がることもあるんじゃねぇの?」
彼も、彼用のグラスを取って、ぐいっ、と喉を潤してから続けた。
「そりゃ、すぐに結果になる方が金銭的には助かるけどさ、それ以前に培ってきたことだって、無駄にはなんねぇと思うぜ」
「……そうだね」
改めて自分を振り返る。
体調や病気のことも考えると、今、無理せずできることは書くことだ。
それが後に仕事に繋がるかもしれないし、そうでなくても「何かしている」事で心は安らぐし、自信にもなるかもしれない。
何にせよ、自分ができることを続けていくことしかないのかな、と思えた。
悩んでいても仕方がない。だって、これが今の自分の精一杯なのだから。

ふと、膝の上に重みを感じた。
視線を下げると、葉っぱのついた白い星のような花たちのブーケがある。
いつの間にか、今日の花まるの花が届いていた。

アロマキャンドルの香りもほんのりとしていいけれど、やっぱり実物は格別に香り高い。
手にとって、大きく息を吸って、身体中を幸せで満たして。
自然と笑顔が溢れた私を見て、彼もニカリと笑った。
「お前ならきっと、輝けるさ」
その言葉が、すっと心に入ってきて。
私は大きく頷いた。

北斗七星は空を巡っている。
沈むことなく、どんな時でも輝いている。









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