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短編小説「眠れない夜は、気楽亭へ」その1

……眠れない。
どうしても眠れない。
怖いことばかり考えて、頭がぐるぐる回ってる。

どうすれば解放されるんだろう。
どうすれば他の人みたいにホッとして寝れるのかな。

そう思った時、心の奥のあのお店に、灯りがついた。


チリン、チリンと、風鈴のような音を立てたドアチャイムをBGMに出てきた彼は、私を見るなり「なんつー顔してんだ」と呆れたような顔をした。
「えへへ…眠れないの」
「んな事だろーと思ったよ」
そう言いながら彼は私の手を取って、店内へと導いてくれる。
不真面目に見えて、こういう気遣いはできるんだよね。
いつもは和服のはずの彼は、私にこうして“呼ばれた”ときだけ、ソムリエエプロン付きの洋服に袖を通してくれる。その姿は意外と似合っていて、見ているだけで自然と私の口元には笑みが浮かんだ。
「気楽亭」と書かれた暖簾を潜ると、大量のワインが私の目に飛び込んできた。
畳もカウンターも、日本庭園も、おしゃれなギターも。まさに和洋折衷という感じで、調和が取れている、不思議な空間。
彼はカウンターの奥に立つと、私に向き直った。
「何で眠れねぇの?」
「…えっ、と」
頭がぐちゃぐちゃで、言葉が出てこない私を、彼は何も言わずに優しく待ってくれている。
「……元々、微熱があって、具合が悪いんだけど」
ようやくぽつりと呟いた言葉を、彼は相槌を打って受け止めてくれたから。
それより先の言葉が、出やすくなった。
「日に日に良いことが沢山あって嬉しいのに……、どうしても、私のことが嫌いな人のことが頭に浮かんで、それが……、申し訳なくなって」
「は?申し訳ない?」
彼が聞き返してくる。何でそんな事を言うんだとばかりに眉を寄せて。
「私の言い方が悪かったから、他の人の感情をかき乱しちゃったんだと思うんだ。……私にそんなつもりはなかったけど、私の言葉で嫌な気持ちになる人がいるってこと、なるべく避けたくて。
今日、改めてそのことに気づいたから、謝りたいけど、その人たちにはもう私の言葉は届かないんだ……」
「……なぁるほどな」
彼はそう言うやいなや立ち上がって、所狭しと並べられたワインの群れの中から2本、一見すると無作為に取り出して、カウンターテーブルに置く。
「そんな時におすすめの、アッサンブラージュ」
そう言いながら彼は、ワインの栓を開けていき、目分量で適当に2つの赤ワインを混ぜ合わせていく。
トポトポトポ、と響く音さえ、私をほっとさせてくれる。
「……世の中いろんな奴がいる。たとえ好みがちょっとばかし被ってたとしても、結局は違う人間だ。だからそういうことにもなるだろ」
彼の呑気な、それでいてどこか真面目な声が、空気に溶けていく。
「何の気なしに言ったことが、実は人を傷つけちまう。そういう事はよくあるよ。なら、そこから学べばいいだけだ」
彼はワイングラスを軽く揺らして、ワインを混ぜると、私の前にコトリと置いた。
優しい、どこか泣きたくなるような香りが立ち昇っている。
「……でも、その人たちには」
「いつか、わかり合えっかもしれねぇし、根本的に合わねぇかもしれねぇ。そんなことは誰にもわかんねぇと思うぜ。……ま、未来に期待だな」
一口飲んでみろ、と言われたから、こくりとグラスに口をつけて一口飲んでみた。
甘くて、ちょっとほろ苦くて、そして、とっても優しい味だった。
ほぅ、と息を吐くと、「美味いだろ、それ」と彼はニコニコ笑った。
このバーみたいな空間には眩しいくらいの、太陽のような笑顔だ。
「ニュージーランドのピノ·ノワールと、チリのカルメネールで作ってみたが……、お前好きだろ?」
「!!うん!」
私の大好きなワインで作ってくれたんだ。すごく嬉しくて、もう一口。余計に美味しく感じた。
それにしても、ピノ・ノワールとカルメネールの組み合わせなんて珍しいな、と思っていたら、彼が私の心の中を察したかのように言った。
「ここはお前の、心の奥の世界だからな。何でもありになるんだよ」
「そっか……」
なるほど、と思った。……それにしては、目の前にいる彼はまるで本当に生きているかのようだけれど。
以前そう伝えたら、「お前の無意識の想いとかの集合体だからな」と言われたのを思い出す。
それでも。
(……まるで魂が、宿ってるみたい)
私がそんな事を考えているとはつゆ知らず、彼もカウンターテーブルの方に回ってきて、私の隣に座ってきた。
「なぁ、俺も飲んでいいだろ?」
「勿論。私の呑み友さん」
そう言ってやったら、彼は嬉しそうにふふんと笑って、自分のグラスにワインを注いだ。
「じゃあ、今日のお前の頑張りを祝って」
「「乾杯」」
グラス同士はぶつけず、軽く掲げるようにして声を合わせたときだった。
ぽん、と可愛い音がした。
見ると、赤い実のついた植物が、目の前に浮かんでいる。
「今日の、『花まるの花』……」
思わず呟くと、彼がニヤリと笑って付け足した。
「ヒペリカムの実の花言葉は、『悲しみは続かない』らしいぜ」
言葉が出なかった。
大好きなワインに、素敵な花まるの花。
こんなに幸せでいいのかな、と思ってしまう。
涙が溢れるのを必死に堪えていたら、彼がとどめの一撃を放った。
「今日も頑張ったよ、お前は」
泣き崩れた。
普段涙が出ない分、心の奥では思い切り泣ける。
子どものように泣きじゃくったら、「あーあーあー」と困り果てながらも、彼は背中を撫でてくれた。
彼が私の一部なら、私は私自身に慰められていることになるけど。
こうして彼の姿で現れてくれて良かったな、と思った。

ひとしきり泣いた。
ついでにワインもたくさん飲んだ。
既にあと数時間で夜が明ける時間帯だけど、それでも、ここで胸の内を吐き出せたから、そろそろ現実に帰っても良さそうだな、と思った。
「ありがとう」
そう声をかけると、「途中まで一緒に歩くか?」と言ってくれたけど。
「ううん。……もう、大丈夫」
そう返せば、彼は頷いて、ひらりと手を振った。
「じゃあな、またいつでも来いよ」
「うん。ありがとう。じゃあね」

私は彼に、彼の店である”気楽亭“に背を向けて歩き出した。
現実に戻ったら、目覚ましの音が鳴るまで寝よう。そして、次の素敵な幸せを待とう。
希望でいっぱいになった私の両腕いっぱいに、ヒペリカムの『花まるの花』は揺れていたのだった。

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