甦るフランク・ロイド・ライト(9) ロートナー
拝啓、ジョン・ロートナー様
ジョン・ロートナー(1911年- 1994年)は、私の精鋭なる弟子の一人である。
紛れもなく彼は、私の次に地球上で優れた建築家だ。疑う余地がない。彼は、世界で最も私と同じ道を進んだ弟子であり同志だ。
私の弟子たちは大変だ。レーモンドの時も話したが、私という才能の光が強すぎて、弟子の成長の芽を殺してしまう。建築家には弟子が育つ建築家とそうでない建築家がいる。造形や素材観の拘束が強い建築家の弟子は育たず、抽象的な観念や空間を扱う建築家の弟子は育つ。なぜならば、造形やその肌理は、建築家の身体から湧き出るセンスなので、伝授することは不可能だからだ。建築家として輝くためには、それぞれが自分独自の空間体質を発明しなければならない。
以前スカルパを後継者と呼んだが、今回語るロートナーこそ、正真正銘の後継者だ。彼以上に私の建築を理解し、成長した男はいない。私に設計を頼みたいお客は、私は死んでいて設計してやれないので、彼に頼むことをお勧めする。と思ったが、彼はもう30年前に死んでしまっていたようだ。光陰矢の如しである。次なるロートナーを求む。そう、そこの君じゃ。
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彼は私の事務所在籍時(1934~1942)、色々な私の作品に触れた。タイムリーに一番影響があったのは、落水荘だ。彼はロサンゼルスを拠点にしたということもあり、傾斜地での作品が多い。落水荘をはじめとする私の斜面建築は、彼のデザインに大いに影響している。
今回は、彼が進化させた有機的建築につい説明したい。彼の建築は至高であり最高じゃ。彼は私の続きを見せつけてくれる。甦って本当に良かった。私の死後のロートナーの作品が拝めるのだ。完全に自分の範疇の話題なので、ノリノリじゃ。前回の篠原一男との対峙は結構辛かった。
まずは、彼との仕事を紹介しておく。
私の作品の中でロートナーの担当作は、Wingspread(1937)、Sturges House(1939)、Arch Oboler House Complex(1940)が挙げられる。これらの作品が、どう彼の初期作に繋がるか紐解こう。
上のWingspread(Frank Lloyd Wright 1937)からは、リニアに水平に伸びる造形を、彼は私から学んだ。ロートナーが私との仕事で、一番愛している住宅のようだ。大地に並走する空間は、私の建築において、基本中の基本だ。この後、彼の建築は大地から羽ばたくのだが、離陸準備はこの作品で完了した。
Sturges house(Frank Lloyd Wright 1939)は、丘から羽ばたいている。傾斜地での眺望の獲得の仕方と構造的なバランスの取り方を私から獲得した。内部の照明スタンドも彼がデザインしてくれている。この時期彼は、タリアセンの弟子たちの中でも、目を見張る成長を遂げた。
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それでは彼の初期の作品を見てみよう。
まずは、処女作のJohn Lautner Houseである。彼の自邸だ。WingspreadやSturges houseのデザイン要素が多く散らばめられていて嬉しい。ただ、私は弟子たちに、有機的建築のコンセプトは大いに継いでほしいが、造形は真似するなと言っておいた。ロートナーにもこの後の進化に期待している。
次にSchaffer Houseだ。空間の開放性が増している。彼のテーマは、空間の連続性を眺望へ発散することだ。私のハナ邸やタリアセン・ウェストにも似ている。
この頃、ガラスの製造方法が変わった。それまではロール方式だったが、フロート方式に変化しより容易に大判ガラスの製造が可能になった。その影響から、より内外の連続性が強化された。連続的というより、中にいるのに外にいる感覚だ。進化は進んでいるが、いくつか私の空間とも似ているので、並べてご覧あれ。左が私ライトで、右がロートナーだ。どちらも有機的で美しい。
そして、斜面に対する構え方も、進化していく。
下写真のPearlman Mountain Cabinを紹介しよう。この住宅の柱は、森の中の木と見紛う。内部・外部の連続性も素晴らしい。地面への接地が壁から、柱といった線材に変わってきていることも確認できよう。
また、1950-60年代は、アメリカは、宇宙開発や原子力開発などの未来志向が強い時代だった。その影響を受けてか、宇宙船やUFOのような住宅を連投する。
ここまで来ると、かなり私から脱却しているように思えるだろう。ただな、これらは私のブロードエーカーシティや未完の住宅の未来観が一助しているに違いない。
これらも有機的建築と呼べるのだろうか?
無論、然りじゃ。内部空間が生き生きと連続し、外部に発散していれば、それは有機的建築だ。
ロートナーは、彼独自の接地表現を発明し、外部への人々の意識を成長させた。
また、彼が私を脱却できた理由として、建築技術の向上・試行が挙げられる。特にRC造は、私の建築より美しい。これはルイス・カーンなどの影響もあったのではないだろうか。RC屋根の住宅をいくつか紹介する。ロートナーの住宅は、私同様、幾何学が強い。ただ、彼の方が構造的アイディアを駆使し、空間の流動性をより高めている印象だ。
以上、ロートナーの主要作品を並べながら、私の関連作品を付記した。ロートナーは、私の有機的建築のアイディアを正確に理解し、自らに取り込みながら、社会・最新技術を大いに汲み取り、美しい住宅を創造した。
なぜ、ロートナーが構法開発を積極的に進められたか。理由は、彼が製図が苦手だったからだ。当時、図面は手書きで、図面速く美しいドラフターが優秀な設計士とされた。もちろん私自身も図面の才能もダントツだ。しかし、彼は製図が上手くなかった。なので、彼は私の事務所で働いているときに、施工監理や配管工事などの現場監理に積極的に参加し、当の図面を描く作業はほとんどしなかった。奇しくも、このような彼の行動が、後々の構法技術を開発する思考に繋がる。私の建築の造形を、作図によって刷り込まれることはなかった。独自の路線を拓けたのは、彼の作図能力の低さが幸いした。彼は作図ではなく、己の身体に私の有機的建築のアイディアを刻み込んでいたのだ。
ロートナーの作品は、後にフランク・ゲーリーやザハやオスカーニー・マイヤーなど様々な建築家への影響があった。私の思想を停滞させず、己の身体で成長させ、次世代に繋いでくれた。
豪邸という快楽的なプログラムだからこそ成立している造形ではあるが、こういった住宅をみるのは、ワクワクが止まらない。私もまた設計がしたくなるのじゃが。
ありがとう、ジョン・ロートナー。
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今回、話の流れの中で紹介できなかったロートナーの作品はまだまだ沢山ある。
彼は、グーギースタイルというポストモダン建築も作っており、ロサンゼルスの建築文化に繋がる。フランク・ゲーリーにも大きな影響をもたらしている。またの機会に紹介しよう!
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