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映画『セメントの記憶』感想リレー④

▼映画鑑賞後に現地を訪問したくなることってありますか。映像の風景を目前に、映画で語られた想いを再認識するために。だが、本作「セメントの記憶」に関しては、レバノンを訪問すれば、映画の光景が否応なく目に入り、映像と現実が即座に繋がる。今のレバノンを知るためにはもってこいの映画だ。

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▼映画鑑賞(19年3月)とレバノン滞在(19年7-8月)を踏まえ、映画の見どころとシリア人の今をお話ししたい。
▼昨今のレバノン映画「判決、ふたつの希望」「存在のない子供たち」を考えれば、本作「セメントの記憶」は少し主張が見えづらい。当初、こういう感想を抱いた。レバノンは海と山が美しい国。作中にも工事現場から眺める地中海には見惚れる。最初に学んだのは、ベイルートの美しさだった。

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▼その後、レバノン/シリアの歴史を勉強し、レバノンに稼ぎに出る社会的な動きを知った。方言も最もよく似ており、双子みたいな国民関係かと思った。「レバノン/シリアの関係は昔っから変わらない」との皮肉も聞こえた。

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▼だが、昨夏、ベイルートの地に足を踏み入れると、ジアード・クルスーム監督が訴えたものが、わかった気がする。レバノンという国は滞在すればするほどその闇が見える。訪問を通じて、シリアにも帰れず(帰る見込みさえないまま)、建設現場に出向く彼らの様子がようやく分かった。ベイルートには毎週末通い、工事現場を見るたびに胸が痛んだ。

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▼滞在も1ヶ月が過ぎた頃、山間部のシュトゥーラで忘れられない出会いがあった。遺跡観光の帰り道、ベイルート行きのミニバスでシリア人に会った。シュトゥーラはシリアのダマスカス行きのタクシーが集まる要所。彼はダマスカス郊外に住みつつ、ベイルートに仕事を求める。「出国入国の度に税金を取られる」ってぼやく彼は、頻繁にレバノンに来る。それだけシリアがレバノン経済に依存している。満席発車を待つバスの中で、家族のこと、ダマスカスの家のことを話してくれた。

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▼思えばこれは貴重な体験だった。私がレバノンで出会ったシリア人は多い。だが、過酷な労働でも必死で生計を立てるのは彼だけかもしれない。彼らがレバノン社会で低賃金労働者のシリア人として扱われ、言葉を失いつつあるのだろう。だからこそ、労働者の無口な姿を描くことには意味がある。

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▼全てではない。だが、シリア/レバノンの双子関係がいつしか、兄弟、いや上司部下に成り下がってしまったことに悲しみを隠せない。
(文/写真 馬場響)

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