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どこに重点を置いて支援しますか?(支援力UPクイズ9)

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【支援力UPクイズ9】

知的障害がある人には、どこに重点を置いて支援をしますか?
一番近いと思うことに投票してください。

1.世の中の常識を理解してもらう
2.愛情いっぱいで接する
3.その人が一人で何でもできるようになってもらう
4.その人ができなくてもこまらないことは支援しない

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今回は、こころの持ちようというか、なんとなくな感じの設問ですが、どんな風に思って支援しているのかな?に着目してみました。

コメントをいただいた中には、「理想は○番、でも、現実は△番」という方もいらっしゃいました。
理想で投票している人もいるということ。正しいと思っていることが、実際にできないとすれば、それはそれで、障害者業界としての課題もありそうです。

では、解説をしていきましょう。

1.世の中の常識を理解してもらう(8%獲得)

実際は、こういうスタンスで社会にいつも注目して、支援をしている人は多くいると思います。

世の中に認められるために、
世の中に合わせるために、
その人が困っているとしても、そんことは社会では通用しないよというスタンスで、世の中の常識をわからせようとしていることが多く見受けられます。

「○○をされて困っています」
「わがままが出ています」
「その人の言う通りにさせていいんですか?」
「仕事をさぼるんです」
「言うことを聞いてくれない」

あなたはお気づきではないようですが、こういう感情が支援者から出ることが多いとなれば、それは、世の中の常識があって、そこに知的障害がある人を合わせているようですね。

障害があるその人の行動が間違いと見るのではななく、社会の人たちや社会の仕組みが、その人に合わせて変わっていけるようにするのも、支援者の役割です。

社会は、時代に沿って、その時代の人々に合わせて変えられるものです。
知的障害がある人の暮らしやすさに視点を持ち、社会の変化も含めた支援をしていくようにしましょう。

2.愛情いっぱいで接する(14%獲得)

先に言っておきます。間違いです。

ここでいう「愛情」というものは、その人が欲しがっているものではなく、あなたが誇示したいものではないでしょうか?

知的障害がある人に愛情をかけられる自分を誇らしく思えると思いますが、愛情をかけた分、心のどこかで見返りも欲しくなります。

愛情というものの表現は、時に相手を束縛したり、自分の思い通りにしてしまったりもします。そして、愛情という言葉で、自分を正当化します。

自分の感情で支援をすることになれば、自分の感情がコントロールできなくなった場合、私が何とかしなければならないとか、私にしか、この支援はできないとも思ってしましますし、辛い私に合わせて!とも言いたくなることでしょう。

さらには、愛情をかけない支援者に対しても、感情論で求めすぎてしまいます。

愛情というものに頼っていると、大勢の知的障害がある人に均等に接することはできないでしょう。あなたにも好き嫌いがあるはずですから。そのうえで、均等に愛情をかけられない自分にも幻滅する可能性もあります。

親としての愛情があるというのは「わが子」に対してはあるかもしれませんが、「障害がある部分に支援する」ときには、愛情は不要です。

愛情というものでオブラートに包むのではなく、その人の必要な支援を淡々としていくこと。質の高い支援をすることに愛情の大きさは関係がありません。

3.その人が一人で何でもできるようになってもらう(11%獲得)

自立を目指すときに、何でもできた方がよいように感じてしまうのは、支援者あるあるです。

結論から言うと、人は何でもできるものではありません。

そのこと自体を、まず、自分が知っているはずなのに、知的障害がある人には、なんでもできるようになることを求めてしまうのです。
(例:名前が書けないと書けるようにしたい など)

できないことがあって困っているなら、だれかにSOSを出していくことができるほうが、自立に近くなります。SOSが出ないのであれば、支援者が気づくことです。

ひとりでなんでもできることを目指すことで、もっともっとがんばれという構図になりやすく、その人の障害状況が無視され、その人が疲れたり、管理されるようなイメージになります。

できないことは誰にでもあります。

できることはやっていただくとしても、できなくて必要なのであれば、少しお手伝いするイメージで、支援をしていきます。そして、社会の側がその人の困っていることややってみたいことに協力できることを橋渡しするのも支援者です。

4.その人ができなくてもこまらないことは支援しない(67%獲得)

これが正解ですね。

できないことがあると、「できないことはかわいそう」とか、「できないのだから支援しなければ」とか、「絶対に経験させてあげたい!」などと思うことはあると思います。

でも、その人はどう考えているのでしょうか?

できないこと=困っていることとは限りませんし、できないことをやってみたいとも思わないこともあるでしょう。

できなくても、困っていないのであれば支援の対象ではありません。

逆に言えば、できるとしても困っているのであれば、支援の対象にもなります。

支援者は、時におせっかいになります。
良かれと思ってやりすぎます。

支援は良い意味で申請主義です。
支援の対象であるご本人に確認をしつつ、勝手にやりすぎず、支援をしていきましょう。

5.おわりに

私は、支援には愛情はいらないと常々言っているのですが、愛情がないとだめな支援者とレッテルを張ったり、やる気や情熱が大事!と、感情論になりやすいのもこの支援業界ゆえなのかもしれません。

支援者が持つ感情が、支援を受ける人の生活を脅かし、人権侵害や虐待や殺人にまでなることもあり、そこまでなる愛情より、淡々と感情を抜きにしてでも、必要な支援をしてもらいたいとも考えてしまいます。

人間は感情ある動物ですので、こちらの気分に左右しないいつもと同じ質を持った支援をできるだけしてほしいと思うのです。

ですから、半ば冷たく感じるかもしれない「困っていないことには支援しない」ということも、もっとクローズアップすることも大切なのでしょう。

ちなみに、愛情はいらないことを無表情でいろと言っていることではないです。お間違いのないように。

アンケートにご協力をありがとうございました。

なお、次回の10回めで、一旦、休止とさせていただきます。
(気が向いたらまたするかもしれません)



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