ミーツ・ザ・ワールド
自分の人生がおかしな、そして幸せな方向に
曲がったのは高校生になったばかりのあの春だ。
誰も知らないクラスメイトばかりの教室で、
自分の席の前は
既に髪が茶色くて香水が匂う男子がいた。
世の中に香水を付ける男子がいるのかと
初めて知った。
同い年にして、香りを自分に纏わせるなんて
8×4かシーブリーズくらいしか知らない私にとって
その香水の匂いは激烈だった。
母親が作ったご飯を喜んでむしゃむしゃ食べる自分とは見ている世界がもう何ステージも違う。
うわ!こいつまさかピアスまで開けてるぞ!
と気付いた。ポケットから出した財布も
何やらブランドの名前でしつこく覆われている。
走る速さやら、いかにだらしなく見せるとか、
勉強ができるとか、
そういうことで異性にアピールするのを
とっくに手放した野郎だった。
きっと私はこいつと恋に落ちることはできない。
私はまだガキすぎた。
高校生おそるべしと初日に震えた。
そして席の後ろは
とんでもなく目つきが悪くて、
私が後ろに回したプリントを雑に受け取り、
愛想もクソもないとはこのこと!!!
とあやうく声を出しかけたほどの女子だった。
髪の毛はショートにワックスで
無造作にセットされていたし、
カバンもスクールバッグ🎵という女子高生の
必須アイテム的なものではなく
なにやら黒くて大きくて
学校に馴染もうとしている人が
選ぶカバンではなさそうだった。
うち◯◯っていうねん!メアド教えてやー!
と気軽に話しかけてみようもんなら
まじで殴られるんじゃないか思った。
ブカブカのカーディガンを着て、
いつも携帯をいじっていた。
しかし、1年後に私はこのとんでもなく目つきの悪い女と腕を組んで歩き、何枚もプリクラを撮り、お互いの家に行き来して、カラオケで何時間も一緒に歌うようになる。
中学1年のときにさかのぼるが、
『陽陽陰陰陰陰陰陰陽陽陽陽陰陰陰陰陰陰』
とクラスメイト1人1人を指差しながら
陰陽師のごとく(適当)陰キャラか陽キャラかを
選別する男子がいた。
私は真横で『陰』と判定され、
途中までは『ヨウとイン??なんだ?』
とその意味すら気付かないまま
陰のベルトコンベアーに載せられて
中学卒業までに至った。
陰のベルトコンベアーに一度載れば
陽の国の人たちに軽口を叩いたり、
体育祭で目立ったりすることなく、
夜の公園で騒いだり、タバコを吸ってみたり、
他校の生徒とつるんだりすることなく
健やかに健やかに道を逸れずに育つ。
健やかに最低限だけ屈折して
あとはすくすくとまっすぐ育った私にとって
陽だか陰だかわからない異世界の人と
出会うのは高校生で初めてだった。
あの陰陽師の男子も、陽と認定されて
当然のように笑っていた女子たちも
陰と認定されたことすらよくわかってない
私を含めて
みんな実家がどこかわかり、親の顔もなんとなく
わかってて、私服のダサさもトントンで、
数年前のランドセル姿までをお互い知っており、
お母さんに作ってもらった弁当を食べて
空腹を満たしていた私たちは
結局同じゆりかごの赤子同然だった。
高校は
なんだか広範囲から偏差値が同じくらいの
人間がガバッと集められていて、
陽とか陰のベルトコンベアーに
載せられずに好き勝手やってきた人たちも
たくさんいた。
私は15歳でそれにとても安心して
ヤンキーとお菓子を分け合い、
腐女子と恋愛相談で盛り上がり、
ギャルの友達に生物学を教え、
サッカー少年たちと昼寝の方法を
教え合った
帰宅部と部活後に集合してカラオケに行き、
吹奏楽部と奮発してスタバに行った
いろんなレッテルを貼ったり貼られたり
まとめられたり、わけられたり
しながら、みんなごっちゃで生活した。
金原ひとみさんの
ミーツ・ザ・ワールドを読んで
そんなことを思い出した。