【母の人生の物語から、私が受け取ったもの】
6月に訪れた穂高養生園の投稿を見て、
また一緒に行けたらいいね、との
母からのメッセージを受け取り、
そうだねえ!ということで、2回目の
母との穂高養生園での時間を過ごしました。
初めて二人で滞在したのが
次男が生まれる直前で
私がぽっこりお腹だったから、
時が経つのがとても早く感じられます。
これまでの人生、大病もなく
元気に過ごしてきた母ですが、
昨年大きな交通事故に遭い、
奇跡的に重症に至らず、
回復して、今は元気に過ごしています。
そのことを通じて、心のどこかで、
母はこの先も、長く元気でいてくれる、
と思い込んでいた自分がいたんだなあと気づきました。
でももしかしたら
残りそんなに長くないかもしれない
母との時間や父との時間をもっと大事にしたい、
二人が子どもたちと過ごす時間を
ひとときでも多く創り出したい、
という思いが強くなり、
今年はそのための優先順位を
意識的に上げています。
てくてくと、しっとりとした森の中を抜けて
カフェに到着し、ほっと一息ついたところで、
ふいに、母が5年前に亡くなった、
祖母と自分のことについて話し始めました。
”おばあちゃんが認知症になってからは、
おばあちゃんのことについて
おばあちゃんから直接聞けなかったから、
今思えば、おばあちゃんが元気なうちに、
もっといろんな話を聞いておいたら
よかったなって。”
”だから、お母さんも、話ができるうちに、
あっこちゃんにお母さんのこと、
話をしておこうと思うよ。”
そして滞在中、何度かに分けて、
母が生まれた時から今に至るまでの
人生の物語を聴きました。
小さな母から見えていた、
おばあちゃんとおじいちゃんの姿。
キラキラとした中学時代。
高校時代を経ての、東京での一人暮らし。
そこで感じた自分の弱さ。
娘を都会に送り出す背中を見送るおばあちゃんと、
私のそんな姿を見送り続けた自分との重なり。
父との出会い。
結婚当初、たくさん泣きながらも
女性として、妻として
自分自身を育んでいったプロセス。
兄が生まれ、私が生まれ、
父の仕事環境が大きく変化した中で、
子どもたちを預けて働きに出ざるを
えなかった頃の葛藤。
妹がお腹の中にやってきた時の心の揺らぎ。
さらに父の仕事環境が変化した中で、
議員の妻として、社会的な立場に
身を置くことの新たな経験。
選挙のたびに仕事を変わらざるを
えない環境の中、選んだ場所に
身を置き、取り組み続ける姿。
今もなお、母として、妻としての自分だけでなく、
仕事をし続けることを選択しているのはなぜか。
父への信頼と感謝。
周囲の人たちへの感謝。
母が人生の物語を聞かせてくれた日は
たまたま19歳で亡くなった妹の誕生日で、
ふと、私のとなりに妹もいて、
穏やかな笑顔で
母の話を聞いている、
そんな感覚になりました。
大切な人の、人生の物語を聴く。
それは、そのことを通して、
大切な人の命の一部を自分が受け取り、
それを自分の命の一部として生きてゆく、
ということなのだと感じます。
今、私が感じている感覚を大事にしていたい。
そして、私たちなりのやり方とあり方で、
子どもたちに、私たちの物語を
伝えていきたいと思います。
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