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【無力感とともに、歩む】

TEAM家族のサイトを創るプロセスの中で、
一緒にサイトを創ってきたYUKAFUMIのお二人に
私のライフストーリーを聞いてもらったのをきっかけに、
より多くの方に私のライフストーリーを
シェアさせてもらう機会を頂きました。

「私にとっての”家族”とは?」

この問いを真ん中に置きながら言葉をつむいでゆく中で出てきたのは、

「家族とは、自分の無力さに気づかされる存在」

だということ。

19歳で命を閉じた妹は、私が人生の中ではじめて、
本当に人の”命”と向きあうことをさせてくれた存在でした。

向きあおうとするほどに、

何もしてあげられない。
彼女の痛みのかけらさえも、一緒に持つことができない。
心の底から彼女の苦しみを理解することもできない。

それまでの人生で、自分の足で立ち、
自分で人生を選択してきた実感があった私は、

「人の命、ということに対して、私はなんて無力なのだろうか」

ということを突きつけられました。

時がたち、今私が感じているのは、

私を成している要素の半分は、無力感なのだ、ということです。

そしてこの無力感は、
私にとって、とても大事なものだということです。

無力感があるから、
人に対して、命に対して、謙虚にあれる自分がいる。

無力感があるから、
私とあなたはどこまでも違う存在で、一人の個人である。
それがたとえ、親と子、という関係であったとしても。
妻と夫、という関係であったとしても。

そしてその場所に立ち戻るとき、
その人そのものから現れてくるものを見つめることができる。

無力感があるから、
今すでにあるものに気づいて、感謝することができる。

無力感があるから、
ただ願うことしかできなくて、
ただ信じることしかできなくて、
そして、そこからとくとくと、私は私として、
人とともに、今を生きよう、という力が湧いてくる。

この無力感とともに、ここから先も、
命に、家族に出会い、ともに歩んでいきたいと心から願っています。

追伸:
大切な友人が、私の「願い」を描き、言葉にしてくれました。
あるがままを、やさしく力強く、表現してくれています。

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